「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【95】 真理を知ると安心する

Q:  「ヴィパッサナー冥想の時には思考を止める」と習いましたが、まず妄想を止めて、次に思考を止めるということでいいでしょうか。

A: そういう段階をつけると、道が遠くなってしまいます。要は、頭の中であれこれと考えることを止めればいいのです。「考えることを止めてやるぞ」という勢いで隙間なく実況中継すれば、すべての段階を通過できます。
 私の定義でいえば、思考イコール煩悩です。煩悩というのは悩みです。思考、妄想、煩悩、悩みなど、どんな言葉を使っても同じです。「私はすごく悩んでいる」というのは、煩悩があるからでしょう? あるいは、ゴチャゴチャ考えているからでしょう? 煩悩がある人はずっと考えている。あれこれ期待したり、希望したりする。それで、ずっと悩むことになるのです。

Q: 悟った人というのは、何かを期待したり、希望したりすることはないのですか。

A: というよりも、真理を知ると、期待や希望など成り立たなくなるのです。期待や希望は、「自分」という自我があるからつくるものでしょう。自我などはもともとないのだから、本当は、期待希望というのは成り立たないはずなのです。悟った人は、ものごとは因果法則に則って流れているだけのことだとわかるのです。

 手を叩いたら音が出る。石が当たったらガラスが割れる。そのように、Aという原因からは、Bという決まった結果が現れる。それが法則です。普通の人は、この単純な事実がわからないのです。そこで、「お金持ちになりたい、うちの子は天才になってほしい」など、ありとあらゆる希望や期待をするのです。そうすると必ず悩む羽目になります。そういう期待や希望というのは、はずれることに決まっているのです。

 はずれない期待や希望をしたければ、できます。例えば「今日は木曜だから明日は金曜になりますように」とか「明日も太陽は昇ってほしい」とかね。そういう希望をするならば、決して悩む羽目にはなりません。「明日も太陽が昇りますように」と期待して困っている人はいません。けれども人は「なぜうちの子は天才に生まれなかったのか」と悩む。それで人生は苦悩に満たされるのです。悩む人々は考えすぎなのです。起こるべきことが起きるだけなのだから、本当は何も考える必要はないのです。悟った人はそのことを知っているので、考えたり悩んだりすることは、ひとかけらもないのです。

 皆、太陽が東から昇って西に沈むことについては徹底した安全な気持ちでいるのではないですか? 神様でさえ、それを変えることはできないのです。それくらい確実なのです。だからそれについて我々は、すごい安定感をもっていて、楽にいるのです。なぜならばそれは法則だからです。

 真理を得た人は、常にそういう安定した状態なのです。智慧で見ると、一切のものごとがありのままに見えるのです。その人は、我々が「太陽が東から昇ること」については全く悩まないように、どんなことに関しても悩んだり考えたりすることはありません。お釈迦さまは、悟られてすぐに自分の喜びを表して「ものごとはありのままに現れてくる」という偈を唱えられました。智慧で見ると、一切のものごとはありのままに見えてきます。すべての疑が消えてしまうのです。因縁によって、ものごとは一時的に現れて消えていくだけだとわかるのです。

 悟りの話は難しいかも知れませんが、とにかく我々にも、自分があれこれ考えていることだけはよくわかっているはずです。だから「これを止めてやるぞ」という勢いで実況中継すればよろしいのです。実況中継していると、どうしても思考が現れてくるということが見えてくるし、それなりに思考が少なくなっていくのです。

Q: 悟った人は人間関係にもいちいち悩まないのでしょうか。

A: 全部、木曜の次の日に金曜日になるということと同じぐらいのことになるのです。そんなこと知っているのだから、悩むはずがないでしょう。

Q: 人間というのはこういうものだと知っているということですか。

A: 「人間とは」というよりも、「この人はなぜこういう行動をとるのか」とわかっているのです。例えば、ある人が言うことを聞いてくれないとします。それはどうしてなのか、はっきりと知っているのであれば、「困った」ということにはならないでしょう?「当たり前のことだ」と落ち着いていられるのです。普通の人は「なぜこの人は私の言うことを聞いてくれないのか」と悩んだり困ったりするのです。悟った人はそれがないのです。困ることや心配することは、何一つなくなってしまうのです。

 しかし、別に悟らなくても、ちゃんとヴィパッサナー冥想するならば、人間関係とかそれくらいの問題を解決することは、それほど難しくないのです。皆、捉え方がまずいのです。枝をいっぱい広げている木を倒そうとして、葉っぱを一枚一枚とろうとしている。それよりも根本から切れば、簡単に木を切り倒せるでしょう。だからとにかく、思考が停止するくらい真剣にヴィパッサナー冥想をやってみてください。すべて良い方向に直っていきます。それが一番早道です。

 仏教徒として生きようと決意して思考を転換すれば、ゴチャゴチャと悩むことはなくなるのです。自分の生き方を、「私は一秒単位で観察して智恵を開発しながら生きるぞ」ということを第一にもってくる生き方に変えることです。そうすると、人間関係とか仕事の悩みなどはとても小さなことになってしまって、ゆったりと生きられようになります。

Q: そういう思考転換をすると、今の我々のサラリーマン生活とか、そういうことはどうなるのでしょうか。

A: そういう日常のことは全部、ついでにやるものになるのです。別に、何か特別なことをするわけではないのです。智恵を開発することが本職だという生き方に変わるだけで、外から見たら普通に会社の仕事をしているのです。今までと同じことをしながら、こころの中で、観察することに優先順位をつけているのです。その人にとっては、その場その場において、一秒単位で智慧を開発することこそが本当の仕事であって、会社の仕事なんかはついでにやるものにすぎない。ついでのことだから、ずいぶん気楽にいられるようになります。それまでのあの執着、あの強烈な悩み苦しみが消えてしまうのです。

 だから、はっきりと、生命としての本職を「こころを育てること」に決めることです。仏教徒になるということは、人間としての自分の本職をしっかりと自覚することです。こころを育てることこそが本職だと決めるだけで、信じられないほど悩み苦しみは消えます。

Q: ヴィパッサナーの坐禅冥想していて、妄想が出ると「妄想」と確認しますが、その時に「この妄想はこういう原因で現れた」とパッと考えることは、因果法則を観ることにはならないですか。

A: この妄想はこの原因で現れたものだと、はっと気付くことは度々あるかもしれません。しかし人間は弱いもので、ちょっとしたことで心の中で自画自賛することが始まるのです。これが、今までの妄想の流れに新しく付け加えられる、新しい妄想の流れになるのです。そんなことになったら、冥想によって妄想を断つどころか、増えるはめになるでしょう。そういう「考えて見つけること」は、信頼しない方がいいのです。原因が勝手に現れるまで確認だけをしていくのです。とにかくサティすること、実況中継することが、冥想のやり方です。そのやり方を自分で勝手に変えてしまうと、修行ではなく、修行まがいのことをやっていることになります。方法を勝手に変えるのは本人の自由です。人の自由には立ち入らないというのが仏教の立場だから私は何も言いませんが、責任は持てません。言われた通りにがんばっているのにうまくいかないなら、こちらも心配して対策を考えられます。

 とにかく、サティを入れて「確認する」ということをしない限り、こころは直りません。隙間なく実況中継すると、集中力もついてくるし、やる気も出て、精進もできるようになります。悟るためのたくさんの善因を、サティが呼び寄せるのです。

 冥想とはたった一つ、「常に実況中継すること」。それだけなのです。そのたった一つのこともせずに、自分勝手に解釈して冥想したりするならば、どうしようもありません。歩いてるか坐っているか、そんなことは関係ないのです。何時間もきれいな形で坐禅していても、確認していないなら、修行してないのです。食事をしていても、確認しながら食べているなら、修行しています。確認しながら歯を磨いていれば、冥想しているのです。冥想というのは、実況中継です。本格的に修行するならば、実況は24時間するのです。

 実況中継とは、「生きるということは何なのか」と理解することは置いておいて、まず先に実験するということです。自分とは何なのか、観察するのです。例えば怒りが出たら、「ああ、また怒りが出た、こんなことではダメだ」と思うのは良くないのです。ただ自分に怒りがあることを「怒り」と確認する。それだけでいいのです。自分の欠点を何とか消してやろう、隠してやろうと思ってしまうと、直らないのです。ありのまま自分を観るためには、実況中継で、自分そのものに細かく全部ラベルを貼って、具体的に観察することです。そうすると、自分が見えてくるのです。

 この世の中で確かなことはたった一つ。みんな死ぬ。それだけでしょう? 他のことはすべて不確かです。でも本当は、もう一つ確かなものがあるのです。それは仏道です。サティを正しく実践すると、必ず次から次へと進んでいって、悟りに至る。それも確かな事実なのです。だから、真剣にサティの実践をした方がいいと言う以外はないのです。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(編集 早川瑞生)

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