「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【96】 「好き」の結果

Q: どこの国にも憂鬱という言葉があります。人類というのは、その誕生から憂鬱感というものを内在していたと思うのです。私は、人間に内在する憂鬱感がひどくなると鬱病になってしまうのだと思っているのですが、どうして人間は鬱病になるのでしょうか。

A: 「好き」ということでしょう。

Q: え? 「好き」というのは?

A: その思考が好きだから選んでいるのです。人間というのは、本当に嫌だったら、止めるのです。
 例えばまずいものがあって、すごくまずいと知っているならば、食べないでしょう? まずいものは食べたくないのです。まずいものでも食べたならば、やっぱり食べたいからでしょう。

Q: ちょっとわからないです。

A: わからないでしょうね。人は「好き」ということが、わからないのです。わからないかもしれませんが、我々がやっていることは、どんなことでも、まず「好き」ということがあって、自分の意志で選んでやっているのです。

Q: 「好き」というより、怯えてというか、怖いからしてしまうこともあると思うのですが。

A: それは二次的な感情です。二次的には色んな感情が出てきますが、怯える場合も「好き」というのが基本です。まず我が身がかわいい。自分が「好き」だから、自分を守りたくて、怯えが出てくるのです。

Q: 好きというよりも、こころのクセではないですか。こころのクセというように言い換えてみると、もうちょっとわかりやすいかと思うのですが。

A: こころのクセというのも二次的なのです。一番ではありません。好きだから、何かを何回か繰り返す。それでもうクセになっているのです。 だいたい二、三回繰り返してしまうと、もう慣れてしまって、どうにもならなくなるのです。

Q: しかし、苦しむことが好きだというのは、私はちょっと違うような気がします。

A: 確かに、「苦しむこと」は嫌でしょう。苦しむことは嫌なのに、自分のこころの感情が「好き」なのです。だからたとえ苦しくても、その感情に執着しているのです。

Q:  それは、憂鬱に浸るというか、憂鬱という感情が好きだという意味でおっしゃっているのですか。

A: 憂鬱だけではないのです。人間がやっている一切のことは、自分が好きでやっているのです。例えば落ち込んだり、家から出ないで引きこもったりしているでしょう。あれも好きでやっているのです。

 けれども、本人は苦しいのです。それで「そんなに苦しいのであれば、やめなさい」と言っても、やめてくれません。「好き」だから、いくら言っても聞いてくれないし、理解もできません。こころを直すのが難しいのは、そういうところなのです。

Q: 以前、長老が、ストレスが病気の原因になることを本に書いておられたのを読みました。NHKで日本はストレス社会だと言っているのを聞いて、やはり私はストレスで鬱状態になったのだと思っていました。いくら「好きだ」とおっしゃられても、私は鬱は好きではない。今ひとつ納得できません。

A: あなたがおっしゃっている言葉は、自分の状態を正当化することばかりでしょう。それが「好き」ということなのです。だから直らないのです。

 例えば「人間が現れた時から憂鬱というものはあるではないか」とか「日本はストレス社会だからしょうがない」とか、一生懸命に論理をつけている。それは、「鬱になるのはしょうがない」ということでしょう。それでは「自分はもう直らない」と言っているのと同じことになるのです。自分のこころの問題は、あくまでも自己責任で、自分が自分を直さなくてはいけないのです。それにどのくらい力を入れるかです。

 ストレスというものも、ただ単に「好きだから」と何かをしてしまう時にたまるものなのです。ただ「好き」というだけで何かをしても、うまくいくわけがないのです。当然、思う通りにはいかないことが出てきます。それでストレスがたまるのです。ですから、やはり一番の基本は「好き」ということになるのです。

 生命というものは、嫌いなことをするはずはないのです。人はいつでも行為を選んでいます。いつでも、選択肢の中から「好き」なことを選んで、それをやるのです。嫌だから選ぶというのは、論理的に成り立ちません。

 問題は、好きなことをやるのはいいのですが、それによってどういう結果が出るのかということがわからずにやってしまうことです。行為には必ず結果がもたらされます。それは自動的なことだから、どうにもなりません。自分がやった行為の結果が嫌で、それに文句を言っても、どうしようもないのです。その行為をしたときは、自分が好きな行為を、結果を無視して選んだのです。嫌な結果が出たところで、文句を言ったり悩んだりします。結果が好ましくないから、ストレスも溜まる。精神的にも苦しむ。鬱にもなる。原因の全ては、行為にある。行為は、人が勝手に好きで選んだものです。最初から良い結果が出る行為を選べば良いのに、その時「好きなことをやる」という基準で行為を選ぶ。行為に合う結果を避けることはできません。行為を完了すると、それに適した結果が必ず現れる。嫌な苦しい結果が出ても、その原因は自分が好きで選んだ行為なのです。鬱に限らず、全ての精神的な問題の原因は、好きで行った行為にあるのです。ですから、「好き、好きなことをやる」ことは、重大なポイントなのです。
 嫌な結果を認めたくない。失敗の原因が「好き」に引かれた自分にあったことも認めたくない。では何をするのかというと、嫌な結果に攻撃しようとする。しかし結果は変わらない。大胆なたとえで言えばわかりやすい。「面白い、やってみたい」と思って、人を刺す。結果として、相手が死ぬか、命に関わる重傷を負うかです。今さら「あなた死ぬなよ、ケガするなよ、そんなつもりでは全くなかった」と言っても、その結果からは逃げられません。人というのは、何でもかんでも無批判で好き勝手に行うが、結果も自分が好きな通りに起きて欲しいと思っているみたい。理性がある人なら、期待する結果が現れるように行為をするのです。結果は選べませんが、行為は選べるのです。「好き」という感情で生きることをやめて、好ましい結果が出るようにと行為を管理すれば、ストレスも鬱もなく穏やかに生きていられるのです。

Q: よくわかりません。

A: ポイントはシンプルです。我々は、自分の不幸、失敗、物事が上手くいかないこと、期待が外れること、ストレスが溜まること、精神的な問題を引き起こすことなど、何でもかんでも他人のせいにしながら、生きてきたのです。外に原因があると思ってきたのです。「いやいや、問題は自分自身にあるのですよ」と言われると、まず「へえ!」という気分になる。今までの思考パターンと違った考え方なので、聞いただけで理解できないのだと思います。じっくりと考えて欲しいのです。

Q: 他人のせいにすると言われても、そんなつもりはありません。分かりやすく言えばどうなるのでしょうか?

A: 「人は悪魔の誘惑で罪を犯す、神様の恩恵で幸福になる、怨霊のせいで家族が不幸になる、星まわりが良くないから問題を起こした、上司の気が荒いから仕事でストレスが溜まる、経済状態が悪いから会社の品物が売れなくなっている」などなど、皆日常茶飯事で、何の躊躇もなく言っているのではないのでしょうか? このような言葉を全て集約してみると、「私のせいではありません」ということではないでしょうか。それが、他人のせいにするという意味です。人の精神病も他人のせいにしようとするのです。「親が厳しかったから、学校で会社で苛められたから、幼児虐待を受けたから、自然災害で親戚を失ったから」、それで精神状態がおかしくなったと言う場合も、明らかに外で原因を探しているのではないでしょうか。その時も、「私は悪くない」という意味ではないでしょうか? 仏教では、一切の精神病は自分自身の非論理的な、根拠のない妄想のせいだと断言しているのです。ストレスや苦しみなどは、望み通り・計画通りの結果が出ないとき起こるものだと言えるのです。望む結果を出したければ、好き嫌いの主観的な感情を置いておいて、客観的に状況判断して、適した原因を作れば良いのです。

Q: 苦しまないための安全対策というのはあるのでしょうか。

A: 二つの方法があります。問題を根本的に完治する方法と、その場その場の対処療法です。

 問題を完治する方法というのは、ヴィパッサナー冥想を実践することです。ヴィパッサナーでは、思考を止め、妄想を止めるということをやるのです。妄想こそが問題の大本で、汚い、恐ろしいもので、自分を破壊して苦しみを延々と続けさせるものなのです。その妄想そのものをストップさせたら、問題は解決します。

 妄想・思考をストップすることは、最初はかなりたいへんです。こんなことは無理ではないかと思うかもしれません。しかし、ヴィパッサナー冥想でなんとか思考をストップさせているうちに、智慧というものが出てくるのです。智慧が出てくると、妄想が徐々に、徐々に、死んでいくのです。最終的に、すべての妄想がなくなってしまいます。そうなったら終了です。過去でいくら罪を犯していても、全部、一切、無効になってしまうのです。

 ヴィパッサナー冥想の実践をすると、自分が見事に直っていくのです。どういうふうに直るのか、それを論理的に理解する必要はありません。また、論理的に理解することは、我々には不可能です。とにかく言われた通りに実践していると、ものごとが見えてきます。頭がすごくしっかり回転して、すべてうまくいくようになります。

 ヴィパッサナー以外の一時的な対処療法というのは、いろいろな種類があります。例えば「妄想というのは汚い、カッコ悪い」と思ってやめる方法、「きれいな考え方をしよう」と善の思考を不善の思考に入れ替える方法、慈悲の冥想の実践などです。体の病気でも、完治するための治療と応急処置の二つがあるでしょう。苦しくて、緊急手当が必要だという人もいます。その場合は、一時的な対処方法で苦しみを抑えて、それから完全に煩悩をなくす方法(ヴィパッサナー)にチャレンジしたらいいと思います。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(編集 早川瑞生)

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