「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【98】 妄想は諸悪の根元

Q: 悪いことを考えることは、実際に悪いことをするよりよけいに悪いと聞いたことがあるのですが、そうなのでしょうか

A: それはおっしゃる通りで、悪い思考の方が身体による悪行為より、ずっと罪が重いのです。例えば、「殴る」という行為を 100 とすると、殴ろうと思った罪が 80 で、殴る行為は 20 ぐらいのものです。「殴ってやりたい」と思うだけで、すでに 80 %の罪を犯しているのです。

Q: じゃあいっそ殴ってしまっても、あまり罪は変わらないということですか。

A: 道徳的には、ちょっと罪が重くなるだけのことです。逆に、体だけの行為には罪はありません。例えば、歩いている時に知らずに虫を踏みつぶしてしまっても、気づかずにやったことだから罪にはなりません。虫を殺そうとわざと踏みつけたら、「殺生」という罪になるのです。何かの不注意で誰かにぶつかってケガをさせてしまっても、それは過失であって、「罪」とは言わないのです。

 ですから、思考・妄想というのはたいへん危険なものなのです。妄想というものは、一つ残らず罪になるのです。皆、「私は何も悪いことはしてないぞ」と胸を張ってますけど、けっこう妄想しているでしょう? それで、知らないうちに、ドンドン罪をため込んでいるのです。だから、たいへんなことですよ。「私は人を殴ったことはない」と言っても、何回「殴ってやりたい、殺してしまいたい」と思ったことがあるんですか。そういう一個、一個の妄想、それぞれが、罪になっているのです。

 原因をつくったら必ずそれに応じた結果が出ます。それは誰にもどうしようもないのです。止めることはできません。それが因果法則です。

 大事なのは、その事実を知ることです。「妄想するのは良くない」と言われても、ただうるさく思うだけで、本気で聞く気にはなりませんね。しかし、もしも本当に思考の恐ろしさを知ったならば、説教なんかされなくても、妄想する気にはなれません。「やはりこれはたいへんだ、本当に怖いんだ」とわかったら、自動的にこころが変わるのです。今の我々は事実が見えていない。だまされているというか、幻覚を見ている。事実を知った人が、たちまちしっかりするのです。

Q: 「殴りたいけれど、殴ったらたいへんなことになる」とガマンするのが普通だと思うのですが、殴らなくても、ただ考えただけで、何か具体的に悪い結果がもたらされるのでしょうか

A: その辺りが、皆、わかってないところですね。実際はその通りなのです。
 「殴りたい」と思うのは、相手を憎んでいることでしょう。相手に怒っているのです。怒りは、それ自体が悪であって、罪です。怒りの感情が出たとたん、すぐにその結果があります。怒るとサーッと体中に猛毒が出るのです。それで自分の健康は、かなりダメージを受けます。敏感な人でないとわからないかもしれませんが、かなりのストレスなのです。だから悪結果を、即、自分が受けているのです。すでに自分を破壊しているのです。

 ふつうは、殴りたいと思うけれども殴りません。それは、殴ったらどうなるかと、その結果を怖れるからでしょう。殴ってしまったら、相手に殴り返されるかもしれない。訴えられるかもしれない。そういう社会的なダメージを受ける危険性があることを知っている。だから殴ろうとしないのです。しかし、皆、怒りの思考が自分自身を蝕むことは知りませんね。だからそこら辺で安全対策をとろうとはしないで、平気でいくらでも怒ってしまうのです。

 本当は、体の行為より思考の方が怖いのです。思考はどこまででも回転します。どんな方向にでも行くし、死ぬまでもち続けることができるのです。

Q: 「身体に悪いから怒らない」というのは卑怯というか、臆病のように感じます。世の中には怒るべきこともあると思うのです。不正なことがあるのに、「怒らないといけないけれど、身体に悪いから放っておこう」というような感じでニコニコしているのは、弱虫の生き方ではないでしょうか。

A: 確かに、「怒ると身体に悪い」というのでは、説明が足りません。怒りの害は、もっと、ずっと大きいのです。怒りの本当の問題は、こころが破壊されることです。怒ると、自分が達しないといけない位置に達することができなくなるのです。怒ると自分の生き方さえわからなくなってしまいます。怒ったらその時点で、もう、ろくでもない人間になっているのです。

 世の中では、いつでも「身体に良いか、身体に悪いか」ということばかり気にして、それだけしか考えていないでしょう。もっと大事なことがいくらでもあるのに、莫大なお金を身体のために使っているのです。だから、そんなに身体が大事なのであれば、怒りは身体に悪いということだけでも覚えて怒るのはやめてくださいということで、身体のことを言ったのです。怒りが身体にとって猛毒だということも事実です。しかし、何よりも問題なのは、怒りで人格が破壊されてしまうことです。

 それでも、怒って不正をなくすことができるのであれば怒ってもいいのですが、逆なのです。怒ると不正を正すことができなくなるのです。いくら怒っても、望む結果は出せません。ですから、たとえ世の中にどんな不正があったとしても、怒るのは正しい道ではないのです。

 世の中に不正があるならば、それについてよく理解して、どうすればいいのかという解決策を考えるべきです。落ち着いて、正しい提案をすることなのです。世の中にあるべき姿で正しく回転してほしいと思うなら、怒らないことです。世界を平和にしたければ、怒らないことです。「あいつが悪い、悪の枢軸だ」と相手を攻撃するのは間違いです。「仲良くやりましょう」という態度でいると、相手も言うことを聞いてくれるのです。

 怒りは自分のわがままから生まれます。「自分が正しい、相手が間違っている」と思うから怒るのです。「私は正しい。私の言うとおりにやりなさい」と強引に何かを押しつけることは、民主主義ではありません。世界で戦争を起こしている人々は、そういう「正義の味方」でしょう? その人々は、テロ組織よりも怖いのです。残虐に大勢の人々を殺戮するのです。

 怒ったら、やってはいけないことをやってしまうのです。例えば自分の子供が遊んでばかりいるとします。「この場合は怒らないといけない」と思って、親が怒って怒鳴る。それは、やってはいけないことなのです。なぜなら、結果として、子供はさらに勉強したくなくなってしまう。あるいは、まじめにやろうとしても、頭に入らなくなる。決して頭が悪い子ではないのに「勉強ができない子」というレッテルが貼られることになったならば、それは母親が望んだ結果じゃないでしょう? そのように、怒ると、逆効果になるのです。

 どんな理由があるにせよ、怒ったら悲しい結果になる。ひどい結果になる。自分が期待してない結果になる。必ず失敗する。負けるに決まっている。ですから、とにかく怒らないことです。社会の不正をドンドン増やしたければ、怒ってください。不正がない平等な世界であってほしいなら、怒らないことです。怒らずに智慧を働かせて対応するのです。そうすれば、問題は解決します。

Q: 怒りを抑えないといけないということは、ガマンするということですか。

A: いえ、お釈迦さまの方法を使えば、ガマンにはならずに、きれいに感情を抑えられます。それがヴィパッサナーという、客観的に自分を観察するという方法です。おっしゃる通り、「怒ってはいけない」と言われてガマンをしたら、それがまたストレスになってしまいますね。しかし、ヴィパッサナーの方法を実践すると、怒りをガマンするという問題も穏やかに解決するし、その上に、こころが成長していくのです。

Q: 長い間生きてきて、本当にたくさんの憎しみを人の何十倍も体験しているので、こころをきれいにするというのはもう間に合わないんじゃないかと思うのです。

A: それは妄想です。「人の何十倍も」などと、どうしてわかるのですか。他人のこころの中がわかるわけはないでしょう。「私はあの人より罪がある」とか、「私はあの人ほど罪を犯してない」とか、そんなことは言えたものではないのです。また、そんなことを考える必要もありません。すべてただの妄想で、本当に知っているわけではないのです。自分が見た一部から判断した推測にすぎません。金閣寺を見て、「日本は黄金の国だ」と言うようなものです。そんなことをいくら妄想しても、こころが汚れるばかりで、何の得もないのです。

 生命は皆同じなのです。だから、犬や猫でも、けなしてはいけません。今は犬として生きていても、輪廻の中で、自分よりすごい善行為をした可能性はいくらでもあります。生命は皆、平等なのです。

 人間の寿命は短いということは、お釈迦さまはよくご存じでした。ですから「一生懸命にがんばってください。すごくがんばれば二、三週間で成功できますよ」とおっしゃっています。仏教で、怒りは猛毒だとか、妄想は罪だとか、そういう怖い話をするのは解決方法を持っているからです。脅すためではありません。冥想実践という解決法がありますからがんばってください、ということなのです。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(編集 早川瑞生)

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