「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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(3) 不殺生戒と職業(2001.4月)
 始めて書き込みをします
Q&Aの不殺生戒についてですが、「農業をしながら、悟れます」と言うことについて、よく分かりません。私も農業とまでは言いませんが、家庭菜園をしております。作物も生き物だと考えています。水をやり、肥料を与えることにより、作物も必死で生きていると言うことが分かります。それをとって人間は生きているのですから、「罪にならない」とは言い切れないと考えます。人は生きるものを殺さなければ生きれない存在なのではないでしょうか?まだ,仏教を学び始めたばかりなので、勉強不足なのかもしれません。もし、良ければ教えてください。

Q:
.「農業をしながら、悟れます」ということはわかりません。
 
A:これは象徴的な言い方です。古くから修行は社会から離れて、山に隠れてするものだと思ってきました。どんな仕事でも一人でするものであるならば、やはり一人になった方がやり易いものです。仏教も「こころは一人で育てるもの」と言う主義ですね。ですから出家して修行に励むことに力を入れています。しかし仏教は出家主義と言う訳ではありません。
社会から逃避することも、社会を非難することも、否定することもありません。出家した人々も社会とうまく付き合っていたのです。
 
 仏陀が、出家に解脱の道を語ったのではなく万人に解脱の道を語ったのです。
生きている上で起きてくる、解脱を妨げる障害が出家にも在家にもあります。それらを平等に戒めています。悟り、解脱というこころの転回がだれにでも可能です。
その気になれば、子供を育ているお母さんにも、会社へ出勤しているお父さんにも、学校へ通っているお兄ちゃんにも悟ることが可能です。
 
 こころが生きている上で汚れます。
どのように汚れるか、何故汚れるかと正直に観察をすると智慧が顕れてきます。智慧が解脱の引き金になります。人が生きているのだから、社会から離れても、離れなくても「自己観察」さえすれば、それが悟りの道になります。
以上「農業をしながら、悟れます」の解釈です。
 
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Q:人は生きるものを殺さなければ生きれない存在なのではないでしょうか?
 
A:生きることが善で、素晴らしいことで、最高な幸福であるならばなんとしてでも生きて行かなくてはならないことになります。
生きる目的は生きることであるならば人を殺してでも生きることはよいことになるでしょう。
 
 仏陀が生きることが苦「ドゥッカ」であると説かれました。
生き延びることが苦延びることです。だからといって死ぬ人は、解決を見つけなかったおろかものです。
 ライオンが鹿を食べなかったら死にますが、獲物をいっぱいとって食べて幸せそうに生きていることも立派な行為ではありません。
 
 せっかく生きている人間が、解脱をするために励むことが善で生きる目的です。
食うために生きているのではないのです。食うために生きているのだとすれば不殺生戒がなりたたないのです。
解脱をするまで「悪は最小限に善は最大限に」 と精進致しましょう。
以上
スマナサーラ
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