「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
HOME「ブッダの智慧で答えます」(Q&A) →(9) 過去と未来への期待…中部経典131の解釈(2001.6月)
釈迦尊の教え・あなたとの対話 ホームページに寄せられたご質問から
(9) 過去と未来への期待…中部経典131の解釈(2001.6月)
 私には過去の失敗をくよくよと後悔したり、明日の試験や仕事について「失敗したらどうしよう」と悪い結果を思い煩う性癖があるので、「実在しない過去や未来を妄想せずに、今自分がやるべきことを全うすればそれで十分」というこの経典の教えは、余計な葛藤を回避して心の安定を保つ大きな救いとなっています。
 
 後悔や取り越し苦労は心的エネルギーの浪費だからカットすべきであるというのは納得できます。しかし、過去の成功体験を思い返して自らを奮い立たせたり、明るい未来やよい結果を期待して意欲を燃やし、事に当たる場合は、単に「過去や未来を妄想した」として否定できないように思うのです。過去の経験や未来の希望に求めずに、自信の根拠や行動のモチベーションはどこに求めればよいのでしょうか?
 
 また「今自分がやるべきこと」についても、未来を予測して設定した目標を達成するためには、という観点から、過去の経験に照らし合わせつつ、今何をすべきか決定するものではないでしょうか? (冥想が進んで「智慧」が開発されれば、未来や過去に囚われず、当意即妙の対応ができるのではないかと想像するのですが。)
 
 「妄想」に陥らずに、将来の目標を立てたり、過去の経験を今やるべき行動に活かす方法について、ご教示願えれば幸いです。

[Rev. A. Sumanasara]
ご質問ありがとうございます。パソコンが壊れてしまって返事がおくれたことをお詫びをいたします。まだパソコンが治療中ですが返事は正しく届くかは、未知の世界です。

Q:1
後悔や取り越し苦労は心的エネルギーの浪費だからカットすべきであるというのは納得できます。しかし、 過去の成功体験を思い返して自らを奮い立たせたり明るい未来や良い結果を期待して意欲を燃やし 事に当たる場合は、単に「過去や未来を妄想した」として否定できないように思うのです 。 過去の経験や未来の希望に求めずに、自信の根拠や行動のモチベーションはどこに求めればよいのでしょうか ?
 
A:
私にはこの質問意味は「過去、未来を妄想しないと確り悩めなくなります。では人がどのようにして悩めば良いのでしょうか」のように読まれてしまいます。間違いでしょうか。

 
「過去の経験を思い返して自らを奮い立たせる」−
スマナサーラの注釈:
人に今なすべき仕事があります。でもその人が怠け者である。中々行動開始しない。こころの中であらゆる言い訳を妄想している。「やらなくてはいけないと分かっていますよ」とも言う。あるいは過去の失敗などを思いだして、妄想して自信がなくなっている。あるいは「失敗したらどうしよう、恥ずかしい、面子がたたない」等、将来のことを妄想している。あるいはプライドという妄想で悩んでいる。このようなとき、その患者を騙すために使う(plasbo)偽薬です。その患者に過去に何か成功した良い思い出があったならば効く可能性はあります。ろくな経験がなかったならば最悪です。故にヤブ医者以外使わない治療法です。
 
仏陀の治療法:やりたくないと思うなら人間らしく「これは私がやりたくない」と明言して止めなさい。
やらなくては行けないと分かっているなら、たとえ苦しい仕事であろうとも人間らしく勇気をだしてやりなさい。
将来のことをごちゃごちゃ妄想するものが人間失格で、おろかものです。
このような人には仕事などの責任をまかせないのです。
 
「明るい未来や良い結果を期待して意欲を燃やし」−
注釈: 一見、悪そうに見えない言葉です。今、仕事中苦しんでいる、悩んでいる、仕事から何も充実感も喜びも感じてない、「とにかく早く終わりたい、はやくおわらないかなぁ」などを考えている、そもそも仕事をしたくないと言う怠けがある、などの症状を持つ患者の嘆き歌のワンフレーズ(一行)です。この歌を歌って仕事をする人が永遠に苦しむのです。なぜなら、何もしない瞬間が人生にはありませんから。常に何かをしなくてはならないのは人生です。それをこなす為に「明るい将来」を歌って意欲を燃やす必要があるとするならば永久に苦しむしか他の方法はないのです。これも怠けで病んでいる、又、 今なすことについて充実感を感じないで苦しんでいる患者にヤブ医者が与える偽薬です。この偽薬である程度患者を騙すことができます。ある日突然「いくら苦しみながら踏ん張っても ホーッ とできる瞬間が中々ないのではないか」という事実に患者が気づいたら最悪の状態になります。とても危険です。
 
仏陀の治療法:生きることは瞬間瞬間の出来事です。瞬間瞬間やらなくてはならないことがあります。それをやらない時にも「やらない」と言う怠ける行為をしています。人生には「停止、休止、一休み、休息休憩」などがないのです。瞬間瞬間の仕事をやり遂げるしか人間には他のことをする余裕がないのです。「明るい将来」を妄想するときも、やらなくてはいけないことをいったん停止して「妄想する」と言う行為をしているのです。「やるべきしごと」の立場から見れば時間とエネルギーの浪費です。「明日があるさ、明るい将来へ」などの共産主義独裁国家のスローガンで苦しみながら生きる必要はないのです。瞬間瞬間の行為をなすとき充実感を感じること。大胆な、奇跡的な、世界記録的な成功の夢を見るより、瞬間瞬間の行為をこなす、こなせるときの喜び、充実感を感じることです。その人にだけ苦がないのです。存在の全てが瞬間瞬間の連続です。
 
「事に当たる場合は、単に「過去や未来を妄想した」として否定できないように思うのです。」−
注釈:それはあると思います。地震に遭遇する、人身事故で電車に長時間閉じこめられる、竜巻で家が飛ばされる、社長の機嫌を取ろうと少々時間を延長して付合ったところで子供の誕生会に遅れてしまうなども人生にはあります。個人ではどうすることもできない出来事についてヤブ医者はそれを「他因」にする。祈り、祈祷、お札、呪文、呪術、お守りなどで未然に防ぐ方法を教える。気休めの偽薬です。問題は解決しません。
 
 自己の妄想によらない「事」が二つあります。
1.他の妄想によるもの。 2.自然法則によるもの。 その二つも又、未然に防ぐことができるもの、防ぐことができないものと二つに分けて考えると全部四つになります。
一は分かり難いので説明します。
「母がパチンコ遊びに夢中になっている間、車の中に寝かしておいて赤ちゃんが脱水症で亡くなる。」父親の立場から見れば自分の妄想で起きた事件ではないが自分が他人の妄想で起きた悲しい「事」に遭遇する。
高速道路で居眠り運転した他の人の過ちで自分の車も事故に遭う。
社長が世界を征服する夢を見ていたせいで会社が倒産することになる。社員が他人の妄想で不幸になる。
などです。これらの「事」は妄想の危険性を広く知り渡れるようにして未然に防ぐことは不可能ではないのです。
 
仏陀の治療法:何が起きてもその場でその場で落ち着いて対応できるようにこころを育てる。「ある日突然事が起きた」と思うこと自体が妄想の結果です。自分にとっては起こりえる事と言うのは○○であると妄想して偽の落ち着きを戯れていたのです。それでその妄想の達人の予想以外の××の事が起きたら混乱に陥るのです。頭がパニック状態になるのです。
 
 将来は未定です。何が起こるかは予測しても百パーセントの確立性がないのです。ですから瞬間瞬間起こる出来事の全てが一回きりの、初めての出来事として対応する心構えが良いのです。そうすると毎日のつまらない出来事さえも結構面白くなってくるのです。それで、何が起きてもその場でその場で対応できる知恵が生まれてくるのです。
 
「過去の経験や未来の希望に求めずに、自信の根拠や行動のモチベーションはどこに求めればよいのでしょうか? 」−
ヤブ医者の答えは、「神様、ほとけさまが常に偉大なる愛にもとづいて見守っているから何事にも心配しないでがんばってください」になります。ひとは何かに依存して偽の安心感、自信を作るのです。「おかあちゃんが守っているから」などの呪文で小さい時は落ち着きます。大きくなったら会社が守ってくれる、国が守ってくれるなどの呪文もあります。それらの呪文に時々クレームが付きますから「神、ほとけ」の呪文を使います。
 
この治療方法は以下の例えで理解出来ます。
 虎かライオンか他の猛獣が人を襲ってきます。人が怖くなって怯えて震えます。そこに救い主が来ます。「汝、目を閉じよ。そうすると汝に恐怖感がないであろう」。
その人が救い主の言葉を信じ、目を閉じます。見事に恐怖感が消えてしまったことに驚きを感じます。
 それでその猛獣が逃げようともしないその人をいとも簡単に食べてしまいます。[救い主が誰の味方だったのでしょうか]
 
仏陀の治療法:瞬間瞬間に連続的に現れてくる小さな小さな出来事をその場でその場でなし遂げる。
小さな出来事だから必ずともいえるほどうまく行く。強引に奮い立たせるほどの自信はいりません。
それでその人が充実感を感じるのです。ついでに喜びも。
 具体的な人生はこの瞬間の出来事の連続です。結果を総合的に妄想してみても充実感に溢れる、喜びに満たされる人生だということになります。
 
もう一つの方法もあります。
自分のためになること、周りの人々のためになること、生命全体のためになることであるならば早速実行する。
このような人間になりますと道徳を人生のmotivationにする。
「するのは良いことのみ」ですので確実な自信が生まれてきます。
 
もう一つ方法があります。
妄想に支配されている生き方を止めて論理的に具体的に物事を観察する人間になる。
知恵の開発に励む。
自信があって「事」が起きたらうまく乗り越える生き方は立派そうにみえる。
「事」が起きたらなし遂げるだけでは仏陀が納得しないのです。
瞬間瞬間我々は何を学ぶか、何がこころにフィードバックするか、こころが成長していくか、悪が減っていくか、善が増えていくか、こころの汚れがなくなる方へ向いているかなどの自問がとても大事です。

 
 上手に生きるための知恵ではなく上手に生きることから知恵を収穫するべきです。知恵が人を完全たる平安へ導きます。
ですから答えは「知恵に求めるべき」 です。
 
Q:2
また「今自分がやるべきこと」についても、未来を予測して設定した目標 を達成するためには、という観点から、過去の経験に照らし合わせつつ、今何をすべきか決定する ものではないでしょうか? (冥想が進んで「智慧」が開発されれば、未来や過去に囚われず、当意即妙の対応ができるのではないかと想像するのですが。
 

A:
未来を予測して設定した目標:
言葉に厳しく注意するべきだと思います。なぜなら、「未来」と言う言葉が漠然として何の意味も持たないではないかと思います。それで、仏教的な言葉の使い方を説明致します。「未来」というのは今の瞬間(時点)から先へ流れるであろうと思う瞬間(event)のながれのことです。今の時点から考察すると過去は無限から、未来は無限までという終着点が見出さないものであると理解出来ます。出来事は時空の中に起こるものです。時点はない「事」が成り立たないのです。その訳で、以下のような表現が言葉の空回りで意味を持たないものになります。
 
例:1.昔は良かった。(何時からいつまでですか?)
  :2.明るい将来が期待されます。(その将来が何時始まるの?今の瞬間から?また一億年経ってから?)
それで、「未来を語ったり、予測したりするならば「時点」を決めなさい」という結論になります。でないと、人が単なる夢物語、妄想、幻覚を語ることになります。「明日大阪へ行きます。」、「来年結婚します。」などの言葉には意味があります。具体的に時間の設定があるからです。
 
 具体的で、論理的であるならば、「時点」を定めているならば未来の予測、計画などが成り立ちます。その目的に達するための道も具体的にでてきます。それでもそれは単なる青写真のみです。頭の中の概念のみです。すべてが「今の瞬間の行動に」かかっています。未来を描くプロたちが立派な計画たてるでしょう。でも、「過去に、将来に振り回されずいまなすべきことを成し遂げる」という仏陀の言葉が無効にはならないと思います。
 
過去の経験に照らし合わせつつ、今何をすべきか決定する:
「わたしにとって過去も、将来も大事だ、今のことはどうでもいい。かえって、過去に、将来に振り回された方が現実から逃避するために絶好のチャンスだ。私のありがたい苦しみにケチをつけるな」と弁解するように見えなくもないのですが。過去とは何ですか?今の自分が過去の結果です。過去の経験の結晶です。ですから実際にない、存在しない過去を妄想しなくても今の自分で十分です。それなのに過去を妄想するとエネルギーの浪費です。過去を生かす人が過去に拘らないのです。過去の結晶である今の自分を効率よく使うのです。
 
 「照らし合わせられる過去」過去について語ります。
先ず、結論です。そのようなものは(照らしあわされる過去)ないのです。過去の経験で作り上げた今の自分が「活動中」(active)状態でいなくてはならないのです。過去というお墓を掘って、調べて、今どうするべきかを決めるという思想は理解し難いのです。色々例で考えましょう。4歳の子供が火遊びして火傷する。35歳になったところでcampを張って料理しようとする。そのとき賢明に4歳の経験を思い出しながら、参照しながら、怯えながら行動するでしょうか。あるいは何のこともなく楽しく料理をして遊ぶのでしょうか。4歳のできごとを思い出さなかった人は過去の経験を生かさなかった「アホ」でしょうか。
 
18歳で人が運転免許を収得する。運転をする暇は中々なかったのですが、60歳になったところでやっと余裕が出る。ではその人に過去の経験に照らし合わせつつ運転できますが。敗戦直後にアメリカから東京に来た子供がいたとします。その人が3−4年後に母国へ帰り、再び平成13年に東京を訪ねる。−過去の経験をうまく生かして東京探検、一人で、やってもらいましょう。−
 
過去と言えば無限にあります。ほとんどの過去は復帰できない状態で死んでいます。一部の過去の経験だけ今active状態になっている。そのひとにそれは過去の経験というより今、機能している現在の能力です。 ということは、現在の能力をフルに生かす人こそが過去の経験を有効に使っているのです。過去の経験を踏ん張って、無理をして、力んで思い出して、それに照らし合わせて対策を練る人が夢想家であって活動家ではないのです。
 

  1. 過去の出来事を思い出せる能力。− これは記憶力です。自分のことも人のことも、歴史も、勉強したものも思い出すことが出来る。
  2. 過去の経験を生かす。− これは記憶力ではなく人が今持っている能力なのです。思い出さなくても出来る。運転のように。我々はいま何とかして生きているのも過去の経験を生かしているからです。過去に振り回されているからではないのです。

1と2は互いに異なる二つの機能です。ごちゃまぜにして欲しくないのです。
 
1の例:私は子供のときオムツをつけられた。よく寝小便して怒られました。
 
2.の例:今、寝小便はあり得ない。絶対しないと自信がある。
 
(2の場合は1を覚えていても、さっぱり忘れていても関係がありません。)
(この質問は、大人になって寝小便してもしなくてもかまわないが、子供のとき寝小便して恥じかけられたことだけ良く覚えて置くべきですよと言う立場を取っているのです。)
 
又、注意です。政府、会社などがデータ、研究などに基づいて行動するために計画(plan,program,projectなど)をたてるのです。これらは具体的な現実的な思考であって過去に振り回されている妄想ではないのです。国家のプロジェクトと個人の生き方が同じだと勘違いしない方が無難です。
 
冥想が進んで「智慧」が開発されれば、未来や過去に囚われず、当意即妙の対応ができるのではないかと想像するのですが。:
冥想する人々の経験から推測するとこの想像は合っていると思います。
 
Q:3
「妄想」に陥らずに 将来の目標を立てたり 過去の経験を今やるべき行動に活かす方法について ご教示願えれば幸いです。

A:
過去の経験を今やるべき行動に活かす方法について:
私の能力は未熟ですがこちらに出来るだけ、十分、この問題を分析したつもりです。結論を繰り返します。今の行動は過去の経験を活かすことです。過去の経験を活かさずに何の行動も出来ないのです。只、今なすべきことをなし遂げる人は過去の経験をフルに活かしているのです。今、お箸で弁当を食べているあなたは過去の経験を十分活かしているのです。母に教わった箸の使い方を活かす方法を聞くべきでしょうか。もしだれかがそれも教えたならば次に「それを活かす方法」を聞くでしょう。
 
将来の目標を立てたり:
いまの生き方を無駄にしている人の悲鳴ですね。本気で将来を考えるならば妄想を止めることです。現実的に、合理的に物事を判断することです。計画などを立てる時、計画の大胆さより、実行出来るかないかに重点置くことです。「実行できるか?」それは全ての計画の真髄です。魂です。
 
「妄想」に陥らずに:
人の脳細胞の中まで管理できません。あれ考えるな、これ考えるなと言うのはあまりも馬鹿馬鹿らしいです。人を殺すなかれと刑法まであるのに、人は人を殺す。皆やりたいからやっているのです。例え脅してもやりたいことはやるのです。刑務所に何回入れても麻薬に手を出す人は麻薬に手を出す。
 それなのに「無駄なことを考えるなかれ」の戒めは素直に実践するとは想像もできません。やりたいからやっているのです。言って上げても止めるとは思えません。本人が止めたいと思ったならば、ただそれだけで問題は終わりです。
妄想をする癖を直してこころを成長させて、汚れから脱出させる方法があります。
Vipassana実践と言う名で紹介していますが。
 
ご教示願えれば幸いです:
今までの話をまとめます。

  1. 自分のためになること、回りの人々のためになること、皆のためになることであるならば何の躊躇もしないで行動します。
  2. こころが汚れる、暗くなる、悲観的になる思考を止めて明るい、活発な思考で置き換えます。
  3. 「自分がなによりも偉い」とこころのなかにある評価が現実的でないと理解して止めます。自分も他の皆も同じだと思います。
  4. 自我中心的な妄想の代わりに慈しみの思考で頭を満たします。
  5. 論理的な、合理的な、現実的な人間になります。
  6. 精神弱者の生き方である「証拠がなくても何でも信じる、何にでも頼る」性格を改めます。
  7. 今の生き方が正しければ将来を心配する必要がないと理解します。
  8. 自分の命よりも智慧を大事にする。生きることは智慧の開発のための戦場だと思います。
  9. 妄想で散乱して弱くなって精神病のボーダーラインにいるこころのエネルギーを集中力を育てて強化する。
  10. 一切は無常であるという真理を体験する。

後書
「過去と未来のことで振り回されることを止めて、今なすべきことをなし遂げる」 と言う仏陀の言葉について質問されました。質問者は無意識的に「どうすれば過去と将来に正しく振り回されますか」と言う立場を抱いていました。言い換えれば「どうすれば仏陀に逆らえますかと仏陀の弟子に聞くことです。もし他宗教のかたであれば親切に質問者の立場を認めて返事するだろうと思われます。「どうすれば君の母を殺せますか」と子供に聞くべきではないのです。
しかしこの質問でみえてくるのは以上のような、恐ろしさも、矛盾でもないのです。人はだれでも悩まされいる問題です。妄想と現実の境目が跨っている。言葉をマンネリ的に使っていますが言葉が持つ意味のリミットを理解してないので判断能力が曖昧になる。人間の普遍的な問題ですから質問者に対して大変失礼であることを承知の上で返事を書いて見ました。
経典に注釈をするとき紀元前からも使用されてきた文書スタイルを用いました。
失礼になるように書いてしまったことを深くお詫びを申し上げます。
幸福でありますように。
Sumanasara
←目次へ戻る
HOME「ブッダの智慧で答えます」(Q&A) →(9) 過去と未来への期待…中部経典131の解釈(2001.6月)
© 2000-2005 Japan Theravada Buddhist Association.