「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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釈迦尊の教え・あなたとの対話 ホームページに寄せられたご質問から
(25) 「悟りの条件」(2001.11月)
Q:悟り・解脱をした人を第三者はどのようにしたら識別できるのでしょうか?
 また、第三者に識別できるものなのでしょうか?
 解脱の条件についても教えてください。 

A: 誰でも気になる質問です。
先ず、第三者に識別出来ないと思います。
思考パターンと判断基準が一般の人と違いますが、普通の生活では第三者にまったく気がつかないように生活するのです。
知りたがる方がもし仏教をかなり詳しく勉強して理解しているならば、なんとなく推測だけ出来る可能性があります。しかしその場合でも厳密な判断能力をもっていないと、鋭い人でないと誤解で終わります。
仏教について感動ばかりする人であるならばまた無理です。反発意識をもっている人にもできないのです。
 
悟り、解脱とは自我意識=(私がいると言う自覚)は現象であると経験することです。
解脱した人にとっては「私が悟りました」と言うことさえも成り立たないのです。ですから悟りを開いてない、一般の方には自分の心の状態を言いません。同じレベルの人々は互いによく知っています。
 
一般のレベルで知り得る方法は比較してみることです。そのとき「煩悩」の概念を使用します。煩悩のことは悟らなくても皆にあることだから理解できるでしょう。貪り、怒り、嫉妬、憎しみ、悩み、愚かさなどがあるかないかは調べれば良いのです。
 そのときでも貪りだ、怒りだ、と誤解してしまうこともよくあります。
例えば叱ったとしましょう。怒りで叱るのは普通のことです。悟った人も相手が叱らないと真剣に励まない性格であるならば「叱る」しか方法がなくなるのです。
ですから、「人を叱った。怒りがある」と決めたら間違いになります。
 
ただ単に他人のことを一々知りたがる性格の人が自分を調べていると分かったら(そのようなことは悟りの人に簡単にばれます。)煩悩がないことにも気付かないようにするのです。
本当のことを言うと、悟りを開いてこころを平安にした方は「私が悟ったと」自分の立場を認めて欲しくて馬鹿なことを言わないが、論理的に具体的にこころの状態を堂々と他人に説法をするとき言っているのです。なのに、第三者が全く気がつかないのです。
悟りや解脱は第三者に関係のない話です。
苦をなくすために真剣に働く人のみそれを気にするのです。
しかし、その人に必要なのは誰かさんが悟っているかいないかではなく、正しい修行方法です。
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> 解脱の条件についても教えてください。
> 

蜂蜜の色は醤油ににているから醤油の味だ、紅茶に似ているから紅茶の味だ、ワインに似ているからワインの味だ、云々と精密な論理をするより「舐めてみたら」早いではないでしょうか。
 
こころは完全にリラックスできること、
主観を捨てられること、
真剣に精密にサティの実践できること、
こころを統一することができること、
あいまいな中途半端な生き方を止めること、
など等が条件ではないかと思います。
 
また、過去に惹かれないこと、将来に更けないこと、
今の瞬間を確実に観察できることが条件だと言える。
条件の説明は聞く相手次第です。
 
人が、どのように生に束縛されているかと調べてみるのです。
それがその人の悟りを妨げているのです。
それはないことが悟りの条件です。
 
三宝の祝福がありますように。
スマナサーラ

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