「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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釈迦尊の教え・あなたとの対話 ホームページに寄せられたご質問から
(30) 「解脱の体験は幻覚か」(2002.1月)
Q:解脱体験は、脳内物質の働きによる臨死体験みたいな主観的な幻覚ではないのですか?。

A:
  現覚です。
 世界が主観的な幻覚で生きているのです。
科学だ科学だといっても九割ほど主観的な説明でしょうに。
 
修行は巨大な幻覚から微細な幻覚まで破って、真理に、あるがままの事実に辿りつく方法です。
冥想というものは、意図的に幻覚を利用しますが、悟りの道はそれと全く反対方法へ進むのです。
 
 悟った人は「一切の存在は一時的である」と経験するのです。
「現象は無常である」と「実体がない」と客観的に知るのです。
泡沫のような存在に対して執着はまったくもないのです。
過去に悩まず、未来に期待せず、現在に捕らわれず、死が訪れるまで(生きて)いるのです。
苦はないのです。何が起きてもこころは平安なのです。智恵の完成者なのです。
何にも誘惑されないのです。貪り、怒り、無知という火が消えているのです。
 
 悟りは智恵であって幻覚ではないのです。
幻覚を見るのは精神的な病気の人であって、こころの病を治した人ではないのです。
 
 すべてはからだだと思って、身体のことにしか興味のない唯物論主義を重んじる方々にこの話は訳も分からない宇宙語でしょう。
 強いて聞きたいが、「身体のことしか考えたことがない、研究したことがないこの世の知識の達人達が最低身体のことさえも解っているのか」と。
薬や治療法やなんでもありですが、病気になったら身体を治せないでしょう。からだが協力を得て勝手に治しているのではないでしょうか。
科学者が持っているのは機能の説明でしょう。(それも曖昧で)。大雑把な説明だから、次から次へそれも変わるのです。今日と明日ぐらい有効でいられない「科学的な明快な分析と説明」に残念ですがブッダの教えを乗せることはできないと思います。学説が変わる度に降り乗り大変だから悟りを一時的な学説に乗せないでおいておきたいのです。
 
Vipassana実践方法は主観的な思考を破って客観的な見方を育てるためのものです。
悟った人が「目覚めた人」と言います。幻覚者だと言われたことはないのです。他宗教の神秘体験と対照にならないと思います。
 
Sumanasara

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