「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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釈迦尊の教え・あなたとの対話 ホームページに寄せられたご質問から
(45) 対話の仕方(2002.5月)
Q:  他宗教の人との付き合い方で迷っています。
 私はお釈迦様の教えが真理で正しいと信じているので、つい他宗教の不条理なところを指摘して論争になってしまい、友人との仲に溝ができて気まずい思いをすることがあるのです。
 自分が正しいと確信するほど他人の考えがいよいよ間違っているように思えて許せなくなるし、かといって表面上相手の話に合わせてお茶を濁すのも不誠実な態度ではないか、自分の信じるところを堂々と主張すべきではないかとも思えるのです。
 
 ターミナルケアの場で死に行く人のお世話をする時、その人の信じる宗教に沿って心穏やかに過ごしてもらうように看取るべきか。私が正しいと信じるところを分かってもらえるように努めると、患者の心に余計な混乱を生じさせてしまうかもしれないと思うのです。

A:対話の基本
 私は正しいと私が思っています。相手は自分が正しいと思っています。
要するに、皆ばらばらの意見を持っているにもかかわらず、各自で正しいと思っていることになりますね。
このような状態で他人と話すと、「ものわかれ」程度は可愛いと思いますが、実は喧嘩にもなるのです。争い、戦争などの原因でもあるのです。
 
では、意見違いの人とどのように対話すればうまくいきますか?
同じ意見を持っている人は他にもこの世にいるのかとも疑問です。皆意見違いですので、誰とでも対話をするとき取るべき態度は何ですか?
「私はこのようなわけで、このような理由で、このような証拠に基づいてこのような意見が正しいのではないかと思っています。」
「あなたはどのようなわけで、どのような理由で、どのような証拠に基づいてその意見を述べていますか」
ということは「意見のぶつかり合いではなく」、理由の解明でしょう。
 意見は個人のプライバシーですが、理由、証拠というものは共通なのです。
理由、訳、証拠などに対する解釈は合っているかないかを明確にすることは不可能ではないと思います。たとえ相手が自分の意見を認めなくても理由の話し合いであるなら、「溝」ができないと思います。
「意見」は個人のプライバシーであること、誰にでも勝手な意見を持つ権利があることを鉄則として認めた上で「話し合い」が成り立つのです。
 
ターミナルケア
 死を間近にしている人にとっては難しい理屈を聞いている余裕があるならば有難いですが、ほとんど無いのは普通です。
もし相手が尋ねたならば正直に自分が正しいと思っていることを話してあげる。そうでない場合は普遍的な真理を語る。
全ての宗教は「愛」を認めている。
「愛」は曖昧ですが、仏教の慈悲は定義がしっかりしていて誰にでも分かりやすい。
他宗教の人々も「愛」に対して疑問を持っている場合も有ります。その疑問にも仏教の定義から答えることはできます。
無宗教の方にも「愛」は悪いとは言えないのです。
ですから、ターミナルケアになっている方々に優しい、明るい心で、他を憎しまないこころで最後を過ごせるように協力して上げることはすばらしいのではないでしょうか。
 
Sumanasara

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