「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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釈迦尊の教え・あなたとの対話 ホームページに寄せられたご質問から
(56) 寺とは何か(2004.6月)
Q: 大乗仏教の中で育った日本人として、素朴な質問があります。
ゴータミー精舎とは日本的にはゴータミー寺という解釈でもよろしいのでしょうか?
 日本にもいろいろな宗派のお寺もあり、修行をするお寺・観光のお寺・法事の為のお寺等など・・・
 私達一般の日本人には上座仏教国でのお寺のシステムの様なモノがはっきりと理解できません。(エメラルド寺院を観光寺として認識しているくらいです。地元の信者さんたちにとっては心のよりどころかもしれません。)
特に現代の日本人には神社・仏閣すらも観光の為か年始のお参りくらいしか想像できません。
 今現在は2名のお坊様が常に修行されている状態と推測されます。本来、上座仏教国では閉ざされた空間に、お坊様と女性が同席する事も無いような事を聞いています。
その様なお寺に在家の者が度々瞑想の為とは言えお邪魔しても良いものなのかどうなのか?
在家の私達はどの様に関わっていけばいいのか・・・
お坊様たちへのお食事のお布施にしましても、テーラヴァーダ協会員主体で行われている模様ですが、協会員でも無く、テーラヴァーダ仏教にも余り詳しくないが、それでもお釈迦様や悟りを目指して修行なさっているお坊様たちを尊敬しているというような一般の日本人はどの様にお布施などをすればいいものでしょうか?
  
 ゴータミー精舎とは
例1 プロのお坊様達が修行をする所である。(入場制限あり)
 2 プロのお坊様がアマチュアに法を説く時間制限あり)所である。
 3 アマチュアが瞑想修行をする所である。(時間制限あり?)
 4 お坊様にお布施をしながら事務仕事をするところである。
  (9時〜5時)
 5 一部である。もしくは全部である。

等の様な指針のようなモノはございませんでしょうか?
ゴータミー精舎建立の目的をご指導いただけたら幸いです。
 
PS  
 私でも気楽にいける上座仏教寺院は、エメラルド寺院や暁の寺院で、ゴータミー精舎は日本テーラヴァーダ仏教協会に入会しなくては入りづらいような寺院です。
 日本テーラヴァーダ仏教協会とゴータミー精舎と普通の日本人の関り方もお願いいたします。

A:質問掲示板に「ゴータミー精舎」は精舎か寺かという質問がありました。返事が長文になってしまうのでこのコーナーに表示します。
日本語で精舎・寺はどれほどのニュアンスの違う単語かは全くわかりません。日本のある新興宗教団体が日本国であらゆるところで建築したゴージャスな建物に○○精舎と名づけていることを知っています。この○○精舎のなかで、自分たちの宗教活動をしています。現代的な曖昧な日本語で解釈するとその宗教団体のビル名は精舎ということになります。ビルというのは何かの活動をするための入れ物だと思います。
 
いうまでもなく TOYOTA新宿精舎という風に一般会社は自分のビルに精舎と名づけしません。要するに「精舎」は仏教用語です。自分が仏教だと名乗って活動する人々は好みなら自分の活動する場所を精舎と命名するでしょう。そう言うわけで、もしかすると、テーラワーダ仏教が活動する場所が「ゴータミー精舎」(ゴータミージはゴロが悪いし)という呼び名になったのではないかと思います。
 
精舎・寺・院・寺院の違い
 これまた、日本語の単語だから本当に意味はわからない。自分の主観で、妄想で言わせるならば、庵・精舎と言えばビルにつけた控えめの名前で、寺・院・寺院などになるとスケールが大きくなるような気がします。寺・寺院などの場合はビル一棟ではないでしょう。
 
寺の活動内容
 仏教活動に決まっているが、大乗の諸宗派によって異色だと思います。葬式だけ行う寺は通称葬式寺と言われるかもしれませんが寺のご住職はそれを認めるかないかはべつです。ペット専用のお寺もあるらしい。座禅と葬式を行う寺も、祈祷と葬式を行う寺もある。葬式は寺につき物みたい。禅寺の場合も座禅修行は寺の禅堂で行う。それは寺という場所の一角です。観光寺は観光会社ではなく、見学することで仏教に触れてもらう寺です。それで、仏教に関係あることはなんでもいいから、行う場所が寺と呼ばれるのではないかと思います。例え、お土産品、お守りを売ることでも寺の活動内に入ります。伊勢丹デパートでお守りを売られても買う気にはならないと思います。(売れるものなら、既に、売り場を設けていると思いますが)
 
テーラワーダ仏教の寺
 それは、テーラワーダ仏教に関わることが行われている場所です。大乗仏教より歴史が古いテーラワーダ仏教世界でも様々な仏教活動をしています。修行も、法要も、葬式も、お祭りもあって、信徒の交流場としても使われる。参拝者は多い場合、商人たちは店を開いて商売もする。寺によって商売を許可するばあいも、断る場合もある。商売は仏教行事ではないが、参拝者が必要とするお供え物、食べ物などを売っている。
スケールの小さい順から言えば、修行専念している出家が住むところ、同じく在家修行者も受け入れるところ、村の寺、町の寺、寺院、歴史的に重要な寺、国の文化財になった寺、世界遺産になった寺などがあります。歴史的な寺から文化遺産になった寺までの寺々の維持管理に政府も手を加えている。
 
日本テーラワーダ仏教とゴータミー精舎
 小さな建物だから控えめの名前である精舎が相応しいと思います。その建物の中でテーラワーダ仏教活動を行っています。維持管理、会計、販売、冥想会などの催しの管理など俗世間に係わる作業が沢山ありまして、それはテーラワーダ仏教協会という組織で行っています。それも仏教活動の一部なので、当然精舎の一角で行われています。勉強会も、冥想会も、その他の法事もやる。仏教の仲間たちが集めて話し合ったり、雑談したりすることもあります。最近日本の二名様が正式的に比丘出家を受けましたので、夜遅くまで精舎にいます。出家に食事のお布施をするのは、テーラワーダ仏教の常識的な善行為なのでその二人のお坊様に食事のお布施も行われています。自由に瞑想したい人には場所はいつでも空いています。しかし、例えば、飲み大会をやりたいと言われるとそれが仏教活動ではないのできっと断られると思います。協会のメンバーのみがテーラワーダ仏教徒とだという定義はないので会員でなくても精舎の活動に参加できる。仏教を学ぶところも寺ですから、他宗教を信じている人も仏教を学びたいと思ったら精舎は解放されてあります。要するに、行うことは仏教行事であるならば、信仰さえも問わないという意味です。ですから、会員になるどころか、仏教を信じていなくても精舎の活動に参加できるのです。
 
寺と修行の優先順
 寺があるから仏教活動か、仏教をする為に寺を建立するかと言えば正しいのは後者です。歴史的に見ても先ずブッダが現れて、出家弟子たちも出現しました。ビルも土地も既にあって始めたものではありません。そこで、ブッダと比丘たちがいるところに人々も集合するようになった。それから、場所の必要性が生じた。在家信者たちは先ず出家に住めるところ、泊まれるところを提供(布施)しました。そちらに、信者も集めて説法聞いたり、修行したりしました。それが、時代と共に、徐々に発展していって建物数が増えたり、仕事別に堂を作られたりしました。インドのナーランダー寺院は国際的なマンモス大学にもなっていた。しかし、学校でありながら寺でもありました。現在にある寺というものも、仏教カルチャーセンター、仏教徒の交流場、僧坊、学校、出家と在家の修行場、社会の宗教的役割を果たす役所などのどんな言葉にも合う複雑な所です。寺とは何かと簡単に理解しようとするところに無理があります。活動が失われた日本の寺と比較して理解するのも難しい。

Q: 本来、上座仏教国では閉ざされた空間に、お坊様と女性が同席する事も無いような事を聞いています。
 
A: 閉ざされた空間というのは仏教に対する中傷です。世界のいかなる組織も閉ざされたものです。公共施設・区民会館なども閉ざされた空間ですよう。誰でも、簡単に自由奔放に使えるものではありません。使用する為に何かの資格が必要です。解放された所といえば、仏教の寺のみです。モスクに異教徒は立ち入り禁止。教会もそれほど自由に出入り出来るところではありません。仏教の寺になると信仰さえも問わない。自由に入って仏教を学ばない人にこそ問題がありまして、別に寺は人を選別して、一部を断っている訳ではないのです。仏教を習う人にも「仏教徒になれ」とは言わない。自由な空間です。
欲を戒める世界から異性が混じることは成り立たない。互いに混じることも、誘惑をすることも迷惑をかけることもなく自由に活動する、修行する。出家が女性の身体に触れないように気をつける。何かの活動が行われる時、女性の身体に触れてしまう恐れがある時男性が間に立って協力してくれる。女性蔑視は全くない平等な環境なので男性よりも女性の方が活発に仏教行事に参加することも事実です。しかし、彼女たちも決して出家の戒律に触れてしまうような失礼な振る舞いは致しません。
 
 
Q: その様なお寺に在家の者が度々瞑想の為とは言えお邪魔しても良いものなのかどうなのか?
 
A: これが、寺という場所の本来の目的ではないでしょうか。
 
 
Q: 在家の私達はどの様に関わっていけばいいのか・・・
 
A: 仏教徒の世界はどちらかというと兄弟・姉妹たちの集まりのようなところです。皆偉大なる父・釈尊の教えに出来るだけ従って行動する。出来が悪い兄弟もいるかもしれませんが、そのひとを貶したり苛めたり、馬鹿にしたりすると父親は賛成する筈もない。親の口癖は「兄弟仲良く」ということですから、釈尊もこの点では全くも同じです。仏教は年上、目上の人を敬う世界ですから、先輩に適宜に失礼にあたらないように気をつければ充分です。出家は在家より年上です。出家がそもそも兄弟だから結構気持ちの良い関係になると思います。たとえ先輩であろうともブッダの教えに適しない点を見つけたら教えてあげるのです。出家者が現れたと言うことは突然先輩が現れたという話しで、聖者が現れたでも覚者が現れたでも、神様になった訳でもありません。常識的に接すれば良いと思います。
 
 
Q: お坊様たちへのお食事のお布施にしましても、テーラヴァーダ協会員主体で行われている模様ですが、協会員でも無く、テーラヴァーダ仏教にも余り詳しくないが、それでもお釈迦様や悟りを目指して修行なさっているお坊様たちを尊敬しているというような一般の日本人はどの様にお布施などをすればいいものでしょうか?
 
A: 日本で出家したいと決めたことは大変な勇気を必要とする行為です。出家をしたところで、社会は受け入れるか、生活できるか、無視されるか、非難されるか、家族から勘当されるかわからないままに決めたことだからです。仏教に興味ある人々は応援したほうが、本人たちにも自信が出来て真面目に修行して一人前の坊主になるように頑張ると思います。
取りあえず、協会にしょっちゅう来て頂いてボランティアなさっている二、三人ぐらいのかたがたは何とか頑張って食事の用意をしているところです。仏教徒でなくても出家に布施をすることは大徳になります。誰が誰にあげてもコを得るのです。しかし、戒律を守り、仏弟子比丘になって、他人にも模範になろうと努力する方々にお布施するのは大徳です。
365人の祈願者が現れれば食事のお布施は年に一回です。作ってあげることは出来ない場合、材料か、費用を協会に渡せば、ボランティアのだれかが作ってお布施するでしょう。結婚記念日、誕生日などの祝日を言い訳にしてでも良い。その場合は出家が三宝の祝福もしてくれる。
日本の裕福な社会が、出家比丘サンガを受け入れるような状態ができたら、より大勢の人々にも出家できるし、優秀な人材も現れるし、釈尊の根本仏教を日本に根付かすこともできるので、布施はとてつもない有難い行為だと思います。在家の方々が出家にお布施をすることが、ブッダの教えに長続きできるようにと命を吹き込むことなのです。

 
Q: ゴータミー精舎とは
例1 プロのお坊様達が修行をする所である。(入場制限あり)
  2 プロのお坊様がアマチュアに法を説く時間制限あり)所である。
  3 アマチュアが瞑想修行をする所である。(時間制限あり?)
  4 お坊様にお布施をしながら事務仕事をするところである。
   (9時〜5時)
  5 一部である。もしくは全部である。
等の様な指針のようなモノはございませんでしょうか?

 
A: 寺の役割を冒頭で説明したので、そちらに返事があると思います。人が、勝手に作るカテゴリに寺をはめることは簡単ではありません。ゴータミー精舎は単なる入れ物でそれが現れる以前からも仏教活動をしてきたと思います。ですから、ゴータミー精舎は今までやってきた活動に新しい入れ物が出来たということで私は理解しています。活動範囲が超スローモーションですが、徐々に広がって行くことも事実です。
 プロのお坊様とアマチュアという分け方は仏教に当てはめないのです。仏教はどちらかというと能力主義かも。仏教の理解、修行の経験が進んでいるなら、在家の信者から出家がアドバイスを受けたり、説法を聞いたりすることもテーラワーダ仏教では普通です。その場合でも、ブッダの家族では出家が年上ですから出家生徒に対して敬語を使います。タイでは出家にも冥想指導する女性のかた一人がいます。大きい寺なら仕事別に堂を設けられます。例えば食事のお布施する場所ダーナサーラー、説法する・集会する場所ダンマサーラー、事務所、出家が住むプライベートな場所サンガーワーサ、在家男性が修行の為に泊まるところ、同じく女性が泊まるところ、本堂ビハーラ、仏塔等です。ですから、以上のカテゴリに答えにくいですが、あえて一つを選びなさいと攻めるなら、6番目になるべき全部であるということになります。
 
 
Q: ゴータミー精舎建立の目的をご指導いただけたら幸いです。
 
A: 目的は以上説明した通りです。しかし、この返事を書く私が建立した訳ではないから建立に携わった方々に失礼だと思います。仏法僧にお布施したものだと私は理解(勘違いか誤解かもしれませんが)しているから、この入れ物をブッダの教えを広げるために、修行する人々に自由に使えるようにと工夫しているところですが、皆納得してくれるとは思っていません。現在はミャンマー・スリランカの比丘たちも自由に来てくれるし、ミャンマーのお坊様方も気楽に説法会、冥想会などをやっている。一般仏教行事もそれなりに行われている。信仰に拘わらずだれにでも入ることが出来る。立派な寺業をやっていると自分では思っている。評価は他人がするものだと知っていますが、
 
 
Q: P.S.  
 私でも気楽にいける上座仏教寺院は、エメラルド寺院や暁の寺院で、ゴータミー精舎は日本テーラヴァーダ仏教協会に入会しなくては入りづらいような寺院です。
 日本テーラヴァーダ仏教協会とゴータミー精舎と普通の日本人の関り方もお願いいたします。


A: 会員以外立ち入り禁止ということは絶対ありません。誰が来ても精舎にその時いる人は大変喜びます。余り経験がない人がいる時は接待に迷ってしまうことも度々あります。しかし、寺は「いらっしゃいませ」と言うところではありません。来る人はブッダに、その教えに触れたくてくるので協会の客ではありません。精舎という建物の監督でもありません。気楽に出入り出来るはずです。もし、クレームが生じたらたちまち対応します。
日本テーラワーダ仏教協会は仏教を伝道することを助ける組織です。ゴータミー精舎は活動する建物です。日本人は皆自由な存在です。
A.Sumanasara
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