「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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釈迦尊の教え・あなたとの対話 ホームページに寄せられたご質問から
(57) 妄想について(2004.3月)
Q: 始めまして。毎日こちらのHPを見させてもらっています。
以前から、悩んでいることです。
 学生時代に対人関係が苦手のため学校専属のカウンセラーにカウンセリングを受けていました。今は学校を卒業してしまいカウンセリングを受けることはできません。
まだ、カウンセリングを受けていたある日に、母と食事の用意をしていた時に持っていた包丁で母を刺したくなる感情が出てきてしまい、どんどん強くなり怖くなり手伝いを止めたときがありました。
 次の日にカウンセラーにそのことを言ったところ、それは親離れしている心の表れではないかとのことでした。カウンセリングを受けると時々、びっくりするような感情が出てくることがあるそうで、それはカウンセリングは心を見る行為だからだそうです。その後も、日に強弱があるのですが夜になると両親を寝ているところを刺したくなってしまいたくなる感情がでてきて、その思いがどんどん強くなりつらいことがありました。この時に両親の思いを確認すると、両親にあまり愛情が無く、「やってしまっても良いのではないか」との思いが頭をよぎるときがあり怖くなります。
 
現在は土日に実家に帰るのですが今でも変わらず、そのようになることがあります。最近は両親といるとき昼夜とはずこのような妄想にとりつかれることがあり、仕事中も「このような妄想をどうしたら消せるか」等が気になり心配になり、集中できません。
 
最近の何か変わったことがあったか考えると、仕事が忙しくなった、仕事に対する思いが少し真剣になった、ヴィッパサナー瞑想を今までより(会社の行き来に行う程度ですが)取り組むようになったぐらいです。
 
このように思ってしまう原因を考えると、親離れとの葛藤(自覚していませんが)、自分が人より変わっていると思っているまたは異常だと思っている(最近の嫌な事件と重ねてしまう)、妄想好き、友達がいない、物事に固執してしまうだから性格等が考えられるのですがよくわかりません。また、単に気持ちが落ち着かないだけではないかとも思っています。
 
両親に対しては時々うるさいなと思うだけで、邪魔だとは決して思っていません。しかし、両親に対してあまり愛情が無くなってきているようで「死んでもらっても良いや」と思うことがあります(こういう自分は嫌ですし、さびしいです)。また、動物好きだったのですが愛情があまり沸かなくなってきており、両親に対しても動物に対しても慈悲の瞑想がやりにくくなってきています。
 
このような妄想は、出てくるとやりたくなってしまうものなのでしょうか(よく聞きますが、高所に行くと飛び降りたくなる等)。またこういう妄想は出てくるのを無くしたいと思うのですが、無くしたくない思いもどこかにあるようなのですが、そういうものなのでしょうか。
 
東京にいれば、精舎の方に出向き長老様に御相談をしているのですが、遠方に住んでいるためこちらにメールさせていただきました。
 
このような妄想が出なくなるためにはどうすれば良いでしょうか(本当に妄想なのか分かりませんが)。また、瞑想に時間を割くようにしていますがこれでよろしいでしょうか。
皆さんの御助言をお待ちしています。
 
長文になったことお許しください。

A: 妄想の処理をする前の下ごしらえ
 
HP管理人が妄想の問題を解決する方法を書いていますので、その文章を真剣に読んで理解してもらえれば幸いです。ここから、私がそれに付け加えたいアイデアを書きます。
 
あなたは、両親に対して愛情が湧いてこない、殺したくなる妄想が出てくる問題で悩んでいるようです。両親に対して慈しみが湧かないということは、たいへん危険なことです。
 
育ててくれた人に対して感謝の気持ちがないならば、人間としてこの世で幸福に生きる権利さえも、法則としてなくなってしまうのです。
哺乳類の動物たちさえ、親に対してはそれなりの愛情を持っています。
親のことを大事に思えないことは、重大な妄想の問題だとみなしたほうがよいのです。
 
まず覚えておいて欲しいのは、両親と言ってもただの人間だということです。当然、どんな人間にもあるような長所短所はいくらでも見つかります。
人間の悪いクセというのは、長い間一緒に暮らしていると、相手の長所を当たり前のようにみなしてしまい、短所だけ際立って見えてくることです。
 
親子関係の場合は、その悪いクセが特に激しく出ます。
親は子供の短所を優しい眼差しで見ているのに、子供が親の短所を鬼の目で見てしまうのです。
 
もし自分が「私の短所を優しい眼差しで見て欲しい」と期待するならば、他人の短所も同じ優しいまなざしで見てあげるのではなければ、理屈はなりたちません。分かり易くいえば、「自分の失敗は許してくれ、しかしあなたの失敗は絶対に許さないぞ」というおかしな屁理屈なのです。
 
親離れする時期になると、親がうるさく感じるものです。その時は、いい加減に親離れしなくてはいけないのです。気が弱い人は、食べものはどうするか、生活はどうするか、洗濯は誰がやってくれるか、朝は誰が起こしてくれるか云々と考えて、なかなか親離れできず、親に寄生してしまいます。寄生して親を憎むのです。
 
人は突然何の準備もなく、親離れした方がいいのです。いくら不自由を感じてもそれは仕方がない。自分で何でもやるようになって初めて、これまで親がどれほど自分に対して親切にやってくれたかと理解できます。鈍感な人は、何年親と一緒に過ごしていても、親の有難みには気付かないのです。
 
あなたは今は仕事をされているのだから、土日であっても家に戻ってはいけません。二、三年ぐらい全く家に戻らず、親に電話もかけず、ひとりで生活して欲しい。仕送りを期待するなんてもっての他です。
 
投稿にあったような一方的な妄想は、ものごとを多面的に見る能力のない人には普通にあることです。どちらかといえばそれは暗い性格の現れです。
人間は子供の頃から、色々なことをしておかなくてはいけない。勉強や遊び、友達を作ること、いろんな場所に行ってみること、いろんな趣味にチャレンジすること、などなどです。
 
そうするならば、ものごとを多面的に見られるようになるのです。終わった過去は今さらどうしようもないのだから、それは終わったことにしてほしい。これからはものごとを多面的に見られる人間になってほしいのです。 
 
たくさん友達がいればありがたいのですが、一方的な思考の人には、友達は寄ってこないものです。ですから、友達をつくるため、よけいに頑張らなくてもいいのです。
 
それよりは、仕事以外に色々な趣味を作って欲しい。プラモデルでも、ゲームボーイやプレステでもよいから、何か楽しくて、没頭できるものを探してほしい。しかし、パチンコはダメです。賭け事(競馬・競輪など)はよくないのです。
土日、電車でどこか知らない土地に日帰りで行ってみるとか、野菜を栽培してみるとか、そういう趣味になることは、世の中にいくらでもあります。
 
冥想をするにしても、いくらか準備が必要です。日常的にいくらか明るい人間になったところで、冥想ができるようになります。日常生活を通じて、冥想をするための下ごしらえが必要なのです。
 
妄想に耽っている人は、妄想することに長い時間を費やしています。自分の人生の大半を妄想でつぶしているので、それを止めたくはないのです。止めたくても止められないのです。
 
妄想を止めてしまうと、その空いた時間をどうするのか、という問題が出てきます。それならば、妄想に浪費する時間を、もっと有効な仕事やら趣味などで埋め尽くしてしまえばいいのです。
 
ヴィパッサナー冥想で教えている、妄想を管理する確認作業は、生半可な気持ちで出来るものではないのです。妄想に耽るよりは、何百倍も精神的な力が必要とされます。それで人格向上につながります。
 
というわけで、このアドバイスについても考えたうえで、管理人さんの書かれた妄想の問題を解決する方法を試してみて下さい。
 
それから最後に、「自分の性格はこれこれだから」云々という言い訳を探すことは、止めて欲しいのです。
 
三宝のご加護がありますように。
 A.Sumanasara

Q:
皆さん、ご助言ありがとうございます。 
 先ほど、ほんの10数分ぐらい前に「毎週帰るのはやめようと思ってる」と言ったところ「別にいいよ」と言ってくれました。それといろいろ心配してくれました。前からそうだったのですが親から「休みには帰れ」と言われていたのではなく、自分が、一人でいるのがさびしいとか、もろもろの理由があって自分で帰っていたのです。皆さんにはご心配をおかけしました。家から出て行くときも両親はあまり帰ってこないだろうとと思っていたようです。
 長老様のご助言は参考になりました。遊びから仕事の事など思い当たることがたくさんあります。「あなたは今は仕事をされているのだから、二、三年ぐらい全く家に戻らず〜」を読んだとき、離れていかなければならないのかと思い大変さびしさを感じました。また、これこれをやってくれたとか思い出したりもし、こういう所が嫌なんだよな等、自分の親に対するいろいろな思いを良い意味で再確認させていただきました。
 とにかく、自分でも考えましたが私には親離れ(残念ながら二、三年ぐらい全く家に戻らずは実行できるかはわかりませんが努力します)といろいろなことを経験してみることが必要なようです。これで自分が変われると思います。

  管理人の返信 (ご参考までに)
<Re: 妄想について>
HPをお読みいただき有難うございます。
長老は予定表にもある通りの過密スケジュールでお留守ですが、21日に大阪でお会いする予定なのでお尋ねをしてみます。
 
文章を読んでみて私なりに考えたことを書いてみます。
 妄想してしまうから、その妄想を止めたくてさらに他の妄想をしてしまうというように、心は限りなく妄想するものです。
 
HPの説明にあると思いますが、ヴィパッサナー実践は、
冥想をしてこの妄想を止めてやろうと予定を立てたり、こうすれば止められるはずなのにどこか変だ、などと分析したりすることではないということ。
自分で感じるのがわかりやすい身体の動き、心の働きを、その瞬間瞬間に確認すること。
心に妄想が浮かんだら「妄想・妄想・」と浮かんだ妄想に対して言葉で確認すると、確認したところに妄想でない心の働きが発見できるかも知れません。
その確認を次々続けている状態が冥想と言えるのだと思います。
 そこに妄想のない瞬間があれば、心が落ち着くことを実感すると思います。
とにかく幾らでも難しく考えたいこの頭に付き合わないで、今の僅かな間だけでよいから、今の瞬間に自分がしている呆れるほど簡単なことに、真面目に真剣に心を向けてみれば良いと思います。
 自分の性格がどうだとか、過ぎた昔にこのような思いをしてしまったとか、また次に会った時に嫌な考えが出たらどうしようかとか、今の大事な瞬間に詰まらない思い(妄想)を繰り返さないで良いから、しっかりと確認していくことが大事です。
 頭に浮かぶ想いは自分でしていることではない等と言って、出るに任せて放っておけばよいというものでは全くありません。
ヴィパッサナー実践は、どっぷりと考え事をしながら寝ているボケ瞑想ではありません。浮かんだ瞬間に「妄想・妄想」と確認できるようにしっかり真剣にしていないと冥想ではありません。
歩く、坐る、日常の動作のヴィパッサナーも同様です。
 
感情を起こすのならば、怒りでなく「慈悲の実践」です。慈しみの気持ちを心に作ることですが、これも難しく考えないで言葉通りの感情を心に作ってみれば、その僅かな時間だけでも「怒り」や「欲」ではない「慈悲の心」になっている自分の心が有ればよいのだと思います。
過ぎた昔の怒りは、また掘り起こさないこと。 これからどうなるか知らない未来のこころの働きのことは今心配しても仕方がないと理解した方が良いと思います。
 
生きとし生けるものが、幸せでありますように。
HP管理人(笛)

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