「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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(72) 阿羅漢の人数

Q:  阿羅漢の人数
 くだらない質問かもしれませんが、お釈迦様の時代には、阿羅漢は何人いたのでしょうか。第一回仏典結集の時には500人の阿羅漢が集まったといいますし、日本各地には500羅漢像などがあります。一説には1250人と経典にでているとも聞きました。

A: これは本当にわからないんですよう。Yasaという若い方の出家とともにたちまち阿羅漢たちは60人でしたし、それは釈尊が悟りを開いて一年足らずでしょう。それから、伝道に行きましたが、釈尊はJatila行者の三兄弟に説教するために出かけた。そちらの弟子たちはまとめて1500人でしたそうです。皆、阿羅漢になったのです。
Sariputta, Moggallana両尊者の活躍も並大抵のものではなかった。経典では釈尊の説法会を説明するたびに沢山の人々は阿羅漢になったとrefrainでかくのです。
阿羅漢になったら、出家するでしょうし、これについてお釈迦様が、「家を破壊するために」くるのだと批判を受けたこともあった。当時の仏教界には悟りは決して珍しいことではなかったのです。在家の方々は中に第一段階の預流果に達した人々も沢山いました。
とにかく、現代私たち知っているのは記録に残している方々の情報だけです。
食事や住むところなどの問題も出てきますから、出家皆釈尊と一緒に旅をしたわけでもない。阿羅漢たちはほとんど一人でいるか、伝道して回るかでした。出家したばかりの人々は少々時間仏陀と一緒に旅をするが、仏教を十分理解したところで悟りに励むのです。ですから、一人で生活をする。
たまに、釈尊も大大会行います。そのときですね、大阿羅漢たちは一箇所に集まるのは。
仏典に記録してあるのは全てサンプルになる人格者です。知識の頂点に達していたSariputta尊者や、殺戮者のAngulimala,(極端的な例ですが)などです。平の一般の出家者について記録するほどではなかったみたい。記録されている阿羅漢や在家信者の話は、すべて後輩に対するアドバイスと模範なのです。人類の性格のcross cutのようなものです。勉強になります。
阿羅漢の数はわかりません。結集のときも特別に選ばれた方々だそうです。阿羅漢なら皆OKではなかったのです。その特定の仕事に対して能力あるかないかは基準でした。「一説にある1250人は」そのときの集会に集まった方々の数でしょう。沢山いる、数えられない、旺盛、などの意味を語るためにPali聖典によく使う数字があります。84000です。かるがるく、仏陀の時代では阿羅漢たちは84000以上でしたと記録するのです。
役に立つかどうかはわかりませんが。
幸福でありますように。

Q:  ところで、次の質問ですが、お釈迦様の時代には、なぜそんなに大勢の人々が阿羅漢に悟れたのでしょうか。なぜ、現代では阿羅漢は大変珍しい存在になってしまったのでしょうか。それとも、現代でも阿羅漢は結構たくさんいるのでしょうか。

A: 
  > 次の質問ですが、お釈迦様の時代には、なぜそんなに大勢の人々が阿羅漢に悟れたのでしょうか。

  1. 時代的に、同じ時代の人々はほとんど似たような興味をもっているのです。現代でもそうなんです。釈尊の時代では「食い物よりも精神の探検」だといえるような流行でしたし、Siddhatta王子も「なぜ皆探しているのに真理を発見しないのか」と言う疑問ももっていました。お釈迦様に出会った探求者たちは、もともと大物たちで、方法は変わっても「瞑想」などは日常的な当たり前のことでした。「お釈迦様がラッキーでしたとしか言いようがない。
  2. 発見者自信の発表は生き生きして力強いでしょう。仏陀から直々説法聞くことと、仏陀に学んで伝えることはレベルは違います。自然の流れで仏法を伝統的に伝えられていくと、「あの説得力」は徐々に減ります。
  3. 仏陀の方法論、指導法、言語力、影響力などは最高のレベルでしたし、それに大弟子たちの力も加えると。Purisadamma saarathiiとは仏陀の9徳の一つ、人々を導くことにおいて御者・リーダーと言う意味です。
  4. 社会は限りない贅沢を欲しがってもいなかった。日々の食べ物ぐらいあれば、満足でした。それにインドはそれなりに豊かでした。どこまでも欲を目指す現代人と違って、現在は豊かでいるなら、「あの世の幸福に挑戦するそう」というのは一般常識でした。
  5. 豊かであっても、悩み苦しみは常に目の前にあった。民主主義的な共和国家は壊れて、独裁国家(王政)があらわれる変換時期でした。国は滅びる、親戚が殺される、自分の財産まで、隣国の軍人に奪われる。俗世間は空しくてたまらなかったのです。
  6. それに対立して、現れたのは、宗教と哲学。知識人も一般人もそちらに居場所をみづけたのです。宗教も、論理学も、弁証方法もピンからキリまであったので、人々の基礎ができてあったので、お釈迦様が「ラッキー」でした。

  また、色々と理由がありましが、省略します。要するに「時代のながれ」かなぁ?皆、興味があったのです。

   > なぜ、現代では阿羅漢は大変珍しい存在になってしまったのでしょうか。
     それとも、現代でも阿羅漢は結構たくさんいるのでしょうか。

 お釈迦様の時代のようにざらにいるとは決していえないのです。いるともいないとも、私個人としてはいえるものではない。修行して経験に達した方々はいることはいるが、皆、それを大秘密にしているのは普通の決まりになっているようですね。ですから、私に報告をした方々のことも、公にしてはいけませんし、全然そんな気にもなりません。解脱を真剣に捜し求めている方々に簡単にみつかることだけは確かです、現代でも。

仏陀がいてもいなくても真理は真理ですから、その真理を発見する人は覚者なのです。悟る方法を教えているから、その通りにやればだれにでもできるというのは決まりです。現代人の社会関係は価値観的に乏しい、豊かなのに、金儲かることにしか興味がない。(精神的貧乏)「将来は不安」といっても、結局は金のこと。開祖さまになって、新興宗教をつくっても、それは結局、金と権力を儲かる手段。宗教から人々は求めるのは人格向上ではなく、ただの「ご利益」。(どこまで、貧乏で、ケチか神のみしらずです)教育も金を儲かるためだけの勉強。真理・道徳・人生論などは毒物。娯楽などの誘惑はあり過ぎ。宗教は会社失敗する人の、人生を失敗する人の、精神的な問題あるひとの駆け込み寺と現代のバカモノたちが思っている。従って、瞑想なんかは「格好悪い」に決まっている。修行する人さえもなんとなく後ろめたさをかんじる。これらは現代人にとってはハンディですがやればできる。何時の時代でも悟られると釈尊が説かれました。(女性の出家で、教えの寿命は半分になったとおっしゃっていたのにも関わらず)仏陀の教えは流行になるならば、覚者たちはいくらでも現れる。確か。価値観、興味などで汚染しているからといって人間の(こころの)能力は昔も今も同じ。 
 

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