智慧の扉

2006年9月号

認知症の人々を理解するために

アルボムッレ・スマナサーラ長老

認知症はとても深刻な社会問題と言われています。認知症の母を見舞った娘さんが、お母さんから「看護師さん」と呼ばれてショックを受けた。そんな話をよく聞きます。世の中では悲劇的な出来事だといって暗くなるのですが、私は、「だから何? そんなの別にたいしたことではないですよ」と思うのです。

仏教の立場から言えるのは、「認知症のことなんか気にするなよ」ということです。どんなに苦労したところで、人間の体は壊れてしまいます。内臓は弱くなって食べ物が消化できなくなるし、歯はボロボロになって入れ歯の厄介になるし、足腰が立たなくなって車椅子を使うことにもなる。

そこで、なぜ脳だけ特別扱いするのでしょうか? 認知症は脳機能が壊れることで起こる症状です。歳をとれば当然、脳という肉体の機能は壊れるのです。そして、脳で処理しているのは「この世で必要な知識」だけです。親子関係さえも、この世でだけ必要な「かぶりもの」に過ぎないのです。だから脳の機能が低下したとき、簡単に剥がれ落ちてしまいます。でも、認知症で脳が壊れたからといって、心が機能しないわけではありません。それを理解せずに認知症の方に接すると、患者の尊厳を傷つけることにもなります。

年老いて認知症になった母が、娘さんを「看護師さん」と呼ぶ。それって実はとても自然なことで、ぜんぜん驚くに値しません。人間を動物として見たとき、親と子の関係は、子供が立派に成人した時点で終わるのです。病院にいるお母さんにとって切実なのは、看護師さんと自分との関係で、親子関係はもう「いらない知識」です。認知症の家族はそのことをよく理解しないといけません。死にゆく人が、この世でしか役に立たない、いらない知識を徐々に捨てることは、とても自然な現象なのです。他の世界に、親とか子といった関係性を持っていくことはできないのですから。

このように心と脳の関係から「認知症」を捉えなおせば、患者と家族や周りの人々が、もっと明るく楽しく、助けあえるのではないでしょうか。