智慧の扉

2011年7月号

「自ら確かめられる」真理

アルボムッレ・スマナサーラ長老

釈尊はすべて自ら確かめた上で真理を説かれました。そして釈尊の説かれた真理は、私たちも「自ら確かめられる」真理なのです。例えば「無常」は、確かめられる真理です。私たちが何を見ても、それは無常により、変化により成り立っています。しかし人間は事実を嫌がるのです。無常の話は嫌がるのに、「あなたには素晴らしいオーラがある」という話は大喜びする。そういう人間に釈尊が付けた敬称は「愚か者」です。

人間は嘘が好きです。でも嘘によって苦しんでいるのも人間なのです。嘘を止め、無常の真理を認めることで、私たちは信じられない心の安らぎを得るのです。無常こそ真理です。しかし「無常だから頑張らなくてもいい」ということも成り立たないのです。私たちは、すべて変わるからこそ、成長できます。しかし、何ものにも執着はできないのです。

釈尊は「私」「私のもの」というものは成り立たない、とも説かれました。「私の身体」と言いながら、身体は何一つ希望を聞いてくれないのです。希望を一つも聞いてくれないものに「私の身体」と執着するのはバカげた話です。身体は措いて、心は自分のものでしょうか。悩んでいる心に「今から悩まないでください」と言っても聞いてくれません。「何一つとして自分のものにならない」と認めることで、ほんものの心の安らぎを実感できるのです。

私たちは何も持たずに裸で生まれました。この肉体さえも、ある期間だけ借りて、使って、地球に返すものです。すべて無常だ、私の思い通りになるものは何もないのだと認めて、とことん落ち着きましょう。釈尊の教えを学んで、どこまでも軽く明るい心で生きていきましょう。