智慧の扉

2011年8月号

誰も「無縁」ではいられない

アルボムッレ・スマナサーラ長老

昨年に放映された同名テレビ番組をきっかけに「無縁社会」が話題になりました。社会との関わりを失って、孤独の中で亡くなる人々が増えていることに警鐘が鳴らされたのです。しかし生命の法則から考えれば、無縁社会はあり得ない話です。生命はみな、ネットワークで生きています。もし誰とも「縁が無い」なら、その人は覚っている聖者です。完全に覚った方以外、ネットワークから「無縁」になることはできないのです。

いろんな事情でいま孤独に生活している人も、決して「無縁」ではありません。ただ、自我意識に目を覆われて、他の生命との間に張り巡らされた縁に気づかないだけです。一人暮らしで寂しさを感じる人でも、『慈悲の冥想』をして、常にすべての生命の幸福を願う心を育てれば、周りから「仏様のような人だ」と慕われます。

私がスリランカに帰ったとき、たまたま乗り合わせたバスがやけに明るい雰囲気でした。見るとバスの運転手さんが降りていく乗客みんなに、「ブッダの祝福がありますように(ブドゥサラナイ)」と声をかけていたのです。その言葉はシンハラ語で「幸福でありますように」という意味です。運転手さんのその一言で、みんな幸福な気分になっていました。

「生きとし生けるものが幸せでありますように」と願う人が孤独に悩むことはありません。その人は、生命のネットワークの中で楽々と生きていられるのです。解脱に達するまで、私たちは生命同士の「縁」の中で生かされます。だからこそ、私たちは生命と「良い縁」を築くために、いつも他の生命の幸福を願って生きるべきなのです。

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