智慧の扉

2012年6月号

不殺生は「生命の真理」

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 ブッダは不殺生の教えを説かれました。しかし他の宗教でも「殺すなかれ」と教えています。では、仏教と他宗教は「同じことを教えている」と言えるのか? ここはよく理解して欲しいところです。仏教は、他宗教のものであっても道徳は道徳として認めますが、その拠って立つところは明確に違います。ブッダは「殺すなかれ」の理由をはっきり知っていたのです。それが本当のことだと自ら発見して教えを説いたのです。

「殺すなかれ」と説く他の宗教家は、その理由を知らず、ただ「神の言葉だから」「そういう言い伝えだから」で済ませます。ですから、同じ宗教の中でも平気で矛盾したことを説く。神が「殺すなかれ」と説いたはずの聖書では、同じ神が人間に生贄儀式を要求し、異教徒を皆殺しにせよと命じるのです。

 宗教に限らず、じつは世間一般の道徳は「ただ言っているだけ」のものに過ぎないのです。それに対してブッダは、「生命とは何か?」と知り尽くして、「生命は『害を与えてはいけない』性質である」という真理を自ら発見したのです。ブッダの教える不殺生は「生命の真理」であり、「法則的な道徳」なのです。

 例えば、生命の細胞は放射能で被曝してはいけない性質です。それは科学的な真理です。「真理」ですから、抜け道を探せるものではありません。道徳の項目は、実践するかしないか自分が決められます。放射能は危険でも、生命を被曝させるのはいたって簡単です。しかし、真理として「人を被曝させても構わない」ということはあり得ない。これと同じように、もし私たちが殺生を避けられないとしても、「生命を殺すこと」は真理に反します。「法則的な道徳」に背く悪行為なのです。