智慧の扉

2014年7月号

冥想とは自己管理の訓練

アルボムッレ・スマナサーラ長老

なぜ、仏教では「冥想」をするのでしょうか?

 私たちは、育てられた環境によって、より立派な人間になりたい、という気持ちが生まれてきます。誰にだって、成功したい、負けたくはない、いい人間になりたい、悪いことをしたくない、という気持ちはあります。しかし、どうも何ひとつとして上手くいきません。
 
 自分自身でしっかりと生きているのか、そうではなく何かに生かされているのか、どうもよく分からないのです。本当は、周りの環境・状況に操られて生きている、というのが現状なのです。怒りたくないと思っているですが、怒ってしまう。絶対失敗したくないのに、失敗してしまう。この結果は、何なのでしょう?

 私たちは「自己管理できない生命体」です。私たちの心は、考えて行為をしていないのです。つい、やってしまうのです。その瞬間、判断能力はありません。悪行為をする時、本人には自己管理できていないのです。

 私たちは、誰かに支配・管理されているから「自己管理できない」のではないのです。そうではなくて、心の中に、どんな悪でも犯してしまう致命的な欠陥があるのです。

 お釈迦様は「これではダメです。訓練しましょう」と、自己管理する能力を身に付けることを教えられたのです。訓練すると、もともと「怒りたくない」という気持ちがあったのですから、その通り怒れなくなるのです。もともと「失敗したくない」気持ちがあったのですから、失敗しない人間に成長していくのです。

 敢えて努力する必要はなくなってしまうのです。怒れないこと、失敗しないことが、普通になるのです。ですから、完全に自分の責任を自分で取って、人生を操縦する能力を身に付けられるのです。

 そうなると、悪人にはなれないのです。自己管理できると、嘘つくことが上達するということは、あり得ないのです。嘘をついている人も、本当は嘘をつきたくないのです。どうしようもなく、仕方なく、やってしまうのです。

 私たちは、きちんとした訓練を受けて、自分のことは自分で操縦する能力を身につけなくてはいけません。心のプログラムの間違いを直すのです。そのためには、「冥想」という訓練がどうしても欠かせません。訓練しないと、誰一人として信頼できない人間のままです。いつ何を仕出かすか、分からないのです。