智慧の扉

2019年4月号

因縁の発見と、今ここにあること

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 いわゆる「覚り」は四段階で起こります。智慧を開発して、輪廻から完全に卒業するためには、どうしても四段階というステップを踏まないといけないのです。そこでパーリ経典に度々出てくるフレーズで、「yaṃ kiñci samudaya dhammaṃ sabbaṃ taṃ nirōdha dhammaṃ(ヤン キンチ サムダヤ ダンマン サッバン タン ニローダ ダンマン)」ということがわかったならば、その人は預流果に覚っていると言えるのです。意味は「因縁により起こるものは、すべて滅する」ということ。原因によって現れたもの(現象)は必ず消えるのです。

 では、原因がなく何かが生まれる・現れるものがあるでしょうか? そんなものはあり得ません。現象にはすべて原因があるのです。この真理を自分で発見したならば、その人は第一ステップである預流果に達していると言えるのです。完全な解脱ではありませんが、いくらかの自由を獲得したことになります。ブッダの教えとは「因縁の教え」なのです。
 
 各自で因縁を発見したとすれば、一人ひとりが自由になるのです。自由になった人を感情の奴隷として操ることはできません。他人に「私はどうしたらいいのでしょうか?」と聞く必要がなくなってしまうのです。今ここにある現象は、今ここにあるだけです。時間・場所(時空関係)が変わってしまうと、現象は壊れて別なものになってしまうのです。例えば、自分がいま座っている場所から立ったならば、もう時空関係が変わっているのです。「座っていた自分が立った」のではなく、まるごと別な現象に置き換わっているのです。

 現象というのは瞬間だけ成り立つものです。子供たちに付き合っていると、ある面ですごく可愛くみえるのですが、敢えて角度を変えてみると瞬間で可愛くなくなったりする。だから、現象は一時的です。「可愛い」という感情に執着してしまうと、ずっとその感情の奴隷になって、際限なく悩み・苦しみが起こる幻覚の世界に閉じ込められるのです。

 因縁とは、集中したこころで現象を客観的に観察すると、自ずと発見できる真理です。今ここの現象は、今ここだけです。時空関係は目まぐるしく変わってしまうのです。ブッダの提唱する「正しい生き方」とは、決して大袈裟なことではありません。変わり続ける現象への後悔や希望を捨て、瞬間瞬間を目覚めて生きるということなのです。