智慧の扉

2020年12月号

「与える」ことで心のプログラムを書き換える

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 ブッダは聴く人を段階的に真理へと導く説法のカリキュラムを持っていました。「次第説法」という仏教用語でも知られています。ブッダが教えるレッスン第一は「施しの説法 dānakathā」です。端的に言えば、「施し」とは「与える」ことです。一般の仏教徒は「たくさんお布施して功徳を積みなさい」という感じに軽々しく理解するのですが、ブッダはそういう宗教的な「行」を語ったわけではありません。施しとは、心理学的に深い意味を持った実践なのです。

 どんな生命にも自我の錯覚があります。生命は「自分のために他のものを取りたい」という根本的な欲求で生きているのです。「これが必要」と判断したら、何としてでも取りまくる。それが心の基本プログラムなのです。ですから、そもそも私たちの心には「与える」というプログラムなど存在しないのです。そう言われると、「人は与えることもしているではないか」と疑問が起こるでしょう。しかし、よくよく観察してみれば、人々は一方的に与えているのではなく、何か大きな見返りを期待してやっているのだとわかるのです。母親が我が子にお乳を与えているのは無償の愛のように見えますが、実際には我が子から受ける喜び・楽しみを期待しているのです。

 それに対して、ブッダが推奨するのは、「見返りを期待せず、ただ与えること」です。ただ与える、という実践によって、心のアルゴリズム(流れ方)が転換するのです。そうすることで、苦悩に満ちた私たちの生き方が、大胆に変化します。くり返しますが、私たちの自然な生き方とは、取ること、奪うことです。同じように、他人も私から奪おうとしています。奪われないためには、自分を頑なに守らなくてはいけません。だから人付き合いにも、どこかでストレスを感じるのです。心を許せる友達もなかなかできないのです。いつでも「取る・奪う」生き方でいるからこそ、世界には苦しみが絶えないのです。

 私たちの生き方が「与える」プログラムに変わると、心に初めて安らぎが生まれます。与えることで自分の周囲に他の生命が寄ってきて、自動的にこちらにも何か与えてくれるようになるのです。生きるために、無理に「取る」必要はなくなります。あなたがもし幸福な人生を送りたければ、まず心にある「取る」というアルゴリズムを「与える」というアルゴリズムに入れ替える必要があるのです。このように、「施し」というブッダのファーストレッスンには、自我の錯覚にひびを入れ、心の基本プログラムを書き換える偉大な働きがあるのだと理解してください。