パティパダー巻頭法話

毎月更新される
スマナサーラ長老の法話集

パティパダー表紙このセクションでは、協会機関紙『パティパダー』に毎号掲載されているスマナサーラ長老の巻頭法話をご紹介しています。
このサイトには本誌より遅れて掲載されますが、『パティパダー』誌上には毎月、時節に沿った書き下ろしの法話が連載されています。最新の法話に触れたい方は、ぜひ入会もご検討ください。

新着の法話

261 阿羅漢は場合によって怒る?

自我の錯覚が煩悩を惹き起こす

今月の巻頭偈 Dhammapada Capter XXVI. Brāhmaṇavagga 第26章 婆羅門の章 Yassa rāgo ca doso ca Māno ma […]

260 自我が消えたらどうなる?

虚妄分別を破る

今月の巻頭偈 Dhammapada Capter XXVI. Brāhmaṇavagga 第26章 婆羅門の章 Aviruddhaṃ viruddhesu Attadaṇ […]

259 武器を持たない精神

自我がないとは、味方も敵もないこと

今月の巻頭偈 Dhammapada Capter XXVI. Brāhmaṇavagga 第26章 婆羅門の章 Nidhāya dandaṃ bhūtesu Tasesu […]

巻頭法話インデックス


人間はこの世に生まれ落ちたときから、“競争社会”の一員としてスタートさせられる運命にあります。小学校や中学校で猛勉強させられていい大学に入るのも、人よりいい人生を歩むため […]

罰という概念は人間だれでも好むものではありません。 「私は罰せられることが好きですから、いつでもどうぞご遠慮なく罰をあたえてください」というひとはどこを探してもいないはず […]

私たちは、この世に生を受けてからというもの常に悩みごとに見舞われています。物ごころのついたそれこそ子供のころからお小遣いが少ないとか、もっとおもちゃが欲しい、学校の成績が […]

元来人間の精神は脆弱(ぜいじゃく)であると言いきっても差し支えないとおもいます。「もっと良い人間になりたい」「自分というものを高次に磨いていきたい」「崇高(すうこう)な目 […]

人間の身体を清浄なものと思いこむことは、即ち悪魔(煩悩)につけ入る間隙を与える愚劣なる思考であるということは前号で解説したところですが、今回は人間の感覚器官の制御について […]

釈迦尊と同時代である宗教の開祖ともなったSañjaya(サンジャヤ)という有名な宗教家がいました。釈迦尊より年が上で弟子たちも多くを数えていたようです。仏教で一般的に言う […]

人類は、その歴史が始まって以来、二つの大きな悩みとともにその人間史をかたちづくってきたと言っていいのではないでしょうか。 二つの悩み、それは肉体の病いと心の病いです。しか […]

人間が他の生きものに比して決定的に差があると思っていることは“考える”ということだと人間自らが認めようとしています。 動物も考えてはいると思うのですが、人間は思考すること […]

人間の最も尊ぶ財産とはいったい何でしょう? これこそが人間にとっていちばん欲しがるものというのはどんなものでしょう? お金でしょうか、名誉でしょうか、それとも権力でしょう […]

今回は仏教のなかでも特に重大な意味を持つといわれている appamāda(アッパマーダ) という言葉について考えてみたいと思います。 この言葉はこれまでいろいろな解釈がな […]

先月号でお話した“いま、ここ”に生きるという概念について、今月号ではもう少し掘り下げて具体的にそれを考えてみたいと思います。“いま、ここ”を実感するための実践方法はVip […]

こころというものはなかなか理解しがたいものですが、人間が真理の道を追求するためにはどうしても理解しておかなければならない命題です。「こころ」とは何ですかと大上段にふりかぶ […]

人が生きるためには自分の敵と味方の区別をまず知ることです。結果として自分の人生を不幸にするものは敵となるでしょうし、幸福な生き方を手助けしてくれるものは味方ということにな […]

今月は「すべてに勝つ」というテーマです。 すべてに勝つということを、世界征服という意味に捉らえても構いません。マンガなどでは世界征服の野望を持った主人公を揶揄的に描いたり […]

我々の身体は、とても大事なものです。よほど非常識な人間でない限り、「そんな事はない」などとは言わないでしょう。生まれた時から、この大事な身体を育て守るために、我々は努力し […]

人間がものごとを、自分中心に主観的に考えるというのは、その個人の固定観念に基づいたものです。ですからいつでも正しく判断できるわけではありません。ある人がいいと言うことを他 […]

我々は生まれたときから死ぬまで、いつも必死で生きています。 小さいときは勉強したりスポーツしたり、頭と体を鍛えるために忙しく過します。それは大人になってから社会人として生 […]

道徳的な生き方により人格を完成することを人生の生きる目的としましょうと先月号で述べました。 道徳的な面で気づきながら生きることもなかなか大変なことです。瞬間的に生まれる感 […]

原始経典を読むと、「愚か者」という言葉がたびたびでてきます。たとえ出家者であっても過ちを犯すことがあります。その過ちを戒めるとき、釈迦尊は決まって「愚か者」という呼び名で […]

愚か者といえば、特別に知識のない人ではなく、真理を体験しようとしないごく普通の人々のことを意味するという話を先月講義しました。そうなると次には、釈迦尊に愚か者と言われない […]