パティパダー巻頭法話

No.48(1999年2月)

危険を抱きしめるべからず

幸福はこころ次第 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

今、とても寒いですね。出かけるときには暖かい服を着て、必要ならカイロも入れて用意しないと、風邪を引くかも知れません。私なら大丈夫と高をくくる前に気をつけた方がよいでしょう。当たり前のことかも知れませんが誰もがことあるごとに「風邪を引かないように暖かくしなさい」と親切に注意してくれると思います。

人は誰でも、健康でいなければなりません。健康は最高の利得であると、お釈迦様も説かれています。(ārogya paramā lābhā)おいしいからといって何でも無差別に食べるのではなく、コレステロールやカロリーなどの摂取量も考えなくてはなりません。適量の運動も欠かすことはできません。健康のことが気になる人は、飲む水についても気をつけなければなりません。なぜなら、他に何に恵まれていても、病弱であっては不幸だと感じるからです。

また、この世では、収入がなければ、大変みじめな人生になるでしょう。みじめでも何とかして生きていられればまだましですが、ほとんどの場合は生きていられません。収入がないということは、人生にとっては大変危険な状態です。安定した収入が入るように、常に知恵を絞って励まなくてはなりません。サラリーマンであれ、経営者であれ、商売人であれ、家庭の主婦であれ、安定した収入を保つために、あらゆる方面で策を練らなければなりません。

家庭の中にも、あなたを襲おうと危険が待ち伏せしていますよ。それは、夫婦の信頼関係、親子関係、嫁姑関係などです。ちょっとした不注意でその関係にひびが入ると、不幸な結果で人生が終わってしまう恐れがあります。ですから、常に注意して、互いの信頼関係が強く良好になるように励まなければなりません。

幸福な人生を攻撃する危険はそれで終わりではありません。一社会人として、社会との関係もスムースにいかなければ大変な不幸に陥ります。結婚式、葬式、入社式、卒業式、忘年会、新年会、正月行事、お盆、法事、お見舞い、またお歳暮、お中元、年賀状や暑中見舞いなどの習慣…数え上げればきりがないほど、我々は社会と関係を持っています。このようないかなる関係であろうともちょっとした不注意が、平和な人生を揺さぶります。これも、私たちが気をつけるべき人生の危険です。

これだけの危険のなかで、幸福な生き方をつかむこと自体が大変なのに、注意すべき危険は、まだまだあります。地震や火事、水害、台風、交通事故、通り魔、ストーカー、泥棒、公害、流行病などもあるのではないでしょうか。これらの危険も、私なら大丈夫、と安心することは決してできないはずです。幸福であるということは、このような限りのない、さまざまな危険を上手に避けて生きることです。要するに、生きるということは、要注意の道なのです。言い換えれば、危険からうまく逃げることなのです。

今まで話したのは、すべてからだのことだけです。からだに関わる危険は数多いですが、生きている上で、人が必死になって避けるべきものは、精神(こころ)を襲う危険だと思います。心さえ強くて清らかであるならば、これまで話した危険などは泡のごとく消えていきます。人は、心で感じて、心で考えて、心で話しています。心で一切の行動をしています。もとになるその心は、強くて清らかでなければいけません。心は、具体的、合理的、客観的に、ものごとについて、判断するものでなければなりません。それだけで、すべての問題が解決しますが、本来、人には、そんなことはできないものなのです。我々の心は、すでに、さまざまな危険に襲われています。欲、怒り、憎しみ、悩み、嫉妬、恨み、不安などの危険な『細菌』は、何の天敵もなく、思う存分繁殖しているのです。我々の心は、健康で強くなるどころか、これらの細菌に襲われて、大変病弱で瀕死の状態です。経済的、社会的危険を避ける努力より、必死な思いで、心の危険を避けるために努力すべきです。お釈迦様のおっしゃった、わかりやすい言葉でいうなら、すべての悪をなすべからずということになります。(Sabba pāpassa akaranaṃ)こころが、欲、怒り、嫉妬などの細菌で汚れ、濁っていれば、合理性も客観性もなくなって明確な判断ができなくなります。そのような人に果たして、からだの健康についても、仕事についても、家庭や社会、人間関係についても、正しい判断ができるでしょうか。こころの危険は、すべての危険のもとであることを、しっかりと理解しなければなりません。

我々は、悪について、軽々しく考えがちです。たとえ小さな悪行為でも、悪行為は悪い結果しか出せません。心がすでに悪の細菌で侵されて病んでいますから、悪行為をすることが、当たり前の生き方になっているのです。「当たり前だ」「普通だ」「当然だ」「誰でもやっているのではないか」「これぐらいのこと、何ともない」「他人に何の迷惑もなければ、勝手なことをしてもよいのではないか」などの考え方で、悪行為をしてはならないのです。悪行為する人が、人生に関わるすべての危険を抱きしめることになります。命を大事にする人が、毒を避けるように、悪をなさないようにするべきです。こころの危険さえよく注意して避けていれば、人生に関わるすべての危険を避けたことになり、最高の幸福を獲得します。

今回のポイント

  • 幸福をつかむ人は、人生の危険を避けるため、戦います。
  • こころが悪で汚染されたら、危険を避ける能力を失います。
  • 幸福のもとは、合理性、客観性、智慧によって強められた、清らかなこころです。

経典の言葉

  • Vānijo’va bhayaṃ maggaṃ – appasattho mahaddhano,
    Visaṃ jīvitukāmo’va – pāpāni parivajjaye
  • 同行人が少ないとき、多くの財を持つ商人が、(盗賊が待ち伏せている)危険な道を避けるように、
    また、生きたいと願う人が、毒を避けるように、人はもろもろの悪を避けよ。
  • (Dhammapada-123)
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