パティパダー巻頭法話

No.75(2001年5月)

ブッダの出現は幸福です

祝福を行うWesak祭り Sukho Buddhanaṃ Uppado!

アルボムッレ・スマナサーラ長老

5月7日の満月の日に、仏暦は2545年に変わります。テーラワーダ仏教徒にとって、この日は365日の中で一番大切な日です。この日1日、ほとんどの人々は修行に励みます。それ以外の人々も、盛大にブッダの誕生を祝います。

日本の伝統と違ってテーラワーダ仏教では、お釈迦さまのお誕生も、悟りを開いてブッダになったこと(成道)も、涅槃に入られたことも、一緒に祝います。歴史的に3つの出来事がどれも5月に起きたかどうかはわかりませんが、これらは同じ日に起きたと固く信じられており、一緒に祝うことが伝統になっています。西暦5月の満月にあたる日は、陰暦ではVesākha月ですので、祭りの名前もヴェーサーカ祭りといいます。仏教徒の間では、wesak festivalとして知られています。

festivalとして知られています。
宗教の話のなかでは『象徴的意義』が用いられるのが習慣になっていますので、お釈迦さまの降誕、成仏、涅槃という三大事を同一の日としたことは、象徴的な意味合いで理解した方がよいのではないかとも思います。
未だかつて人類が発見できなかった苦しみを乗り越える方法、究極的な平安の道を、お釈迦さまは発見したのです。
お釈迦さまの誕生については「Ayaṃ antimā jāti, natthi’dāni punabbhavo」(これが最後の生まれであり、これより再び生まれることはない)と書かれています。
限りなく輪廻転生して苦しんでいる生命に対して、輪廻を終える『ラストスパート』の誕生です。様々な修行方法を遍歴しても悟ることができなかったお釈迦さまが、中道を発見して悟りを開いたのです。
その悟りについては「Khīnā jāti:生は滅した、 kataṃ karanīyam:なすべきことはなし終えた、 vusitaṃ brhama cariyam:修行は完成した、 akuppā me cetovimutti:こころの解脱は揺らがない、 ayaṃ antimā jāti natthi’dāni punabbhavo:これが最後の生まれであり、これより再び生まれることはない」と経典に記されています。ですから、修行を完成して、成仏なさったこともラストスパートなのです。

悟ることで、苦しみを乗り越えて、完全なる解脱を体験しましたが、それからも、45年間、お釈迦さまは伝道をなさいました。こころに苦しみはありませんでしたが、肉体をもっていましたので、病気になったり時には飢えたりといった肉体的苦は残っていたのです。80歳になってから、ウッパワッタナという沙羅園で、お釈迦さまは亡くなりました。そこで身体の苦しみも終わったのです。これについては「Bhagavā parinibbāyi(世尊が涅槃に入られた)」と簡単に記されています。Pari は「完全に」という意味です。Nibbāyati は「消滅する」という意味ですから、Parinibbāyi は「完全に消滅した」という意味になります。(炎が消えるという意味で、有名な『涅槃』という言葉が作られています)お釈迦さまが亡くなったこともまた、苦しみをなくすためのラストスパートでした。

ラストスパートというのは、ゴールの直前に起こることですから、次の瞬間にゴールに達することは確かです。この意味で、お釈迦さまの降誕も成仏も入滅も、生命としてのゴールに達することを意味しています。こういうことは宗教の世界で、象徴的意義に基づいて物語られるのです。ですから、お釈迦さまの降誕はVesākha月の満月に起きました、大悟を得たのもVesākha月の満月に起きました、涅槃に入られたのもVesākha月の満月に起きました、と信じられているのは、史実を無視したのではなく、ブッダが現れたことの重大性を、象徴的に、敬意をもってお祝いする意味なのです。

5月7日は、勝利の日です。一切の苦しみにうち勝った記念日です。人類に幸福への道が開かれたこの上なくめでたい日です。仏暦の数字も、この日で変わるのです。仏教徒の正月でもあります。

この世にいろいろな人が生まれてきて、思想家になったり発明家になったりします。宗教家も現れてきます。
人々に何かいいことをしてあげようと、皆努力しますが、人類の生きる苦しみの問題の解決方法を誰も見つけられないのです。
何か宗教を信じてみても、「死んでから天国…」などの約束で終わることになります。
生きる苦しみには答えがないのです。
科学の世界では、楽に生きるためにいろいろと道具を作り出しますが、それを使う人類が、新しい苦しみや問題に出合うだけです。結果として、自然まで破壊して、生き難い環境まで作ることになるのです。どう考えても、人間が幸福を目指す道は歪んでいるのです。いくら苦労してもがいても、ゴールには達しないのです。

人類が歩む道(貪瞋痴を満たす欲の道)は、新しい苦しみを作る結果になるのです。
そのような人間の生き方に賛成することもなく、否定することもなく、よりすぐれた超越道といえる『中道』を、お釈迦さまが発見したのです。
ですから、世の中にとって本当の幸福といえるのは、ブッダが出現することだと説かれたのです。(Sukho Buddhānaṃ uppādo)

一切の固定概念を捨てて、あらゆる感情にも左右されず、客観的に「生きる」という問題を探求して、お釈迦さまは悟りを開いたのです。
仏教はブッダの偉大なる智恵で語られたので、一見わかりやすく見えますが、実際のところは欲に溺れた人にとっては、いちばん理解しにくく難しいものなのです。
お釈迦さまさえ、悟ってまもなく、この真理を教えようとしたら私が疲れるだけだと思ったのも、この理由からです。

お釈迦さまはこのように語ったのです。
「私は、とても深く、発見しにくく、理解しがたい、安らぎの、優れた、理論を乗り越えた、完璧な、賢者には理解可能な真理を会得しました。」
(Adhigato kho me ayaṃ dhammo gambhīro  duddaso duranubodho santopanīto atakkāvacaro  nipuno pandita vedanīyo – MajjhimaNikāya – 1,167 )

古い友人であった5人の比丘達に、最初の説法をなさるために出かけたお釈迦さまは、道中でウパカ遊行者に逢いました。
苦しみを乗り越えて落ち着いたお釈迦さまを見て、びっくりしたウパカが、「あなたの師匠はだれですか」と訪ねました。

お釈迦さまは、
「私は一切を乗り越えました。一切を知りました。一切の現象にとらわれることがありません。一切を捨てました。渇愛を滅して、解脱しました。自分一人で発見しましたので、仰ぐ師匠はいません」
(sabbāhibhū sabbavidū’haṃ asmi, sabbesu dhammesu anūpalitto, sabbamjaho tanhakkhayo vimuto, sayaṃ abhiññāya kaṃ uddiseyyaṃ.) (Majjhima Nikāya – 1,171)

と答えました。

ブッダの生誕を記念して、皆様を祝福いたします。

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