パティパダー巻頭法話

No.191(2011年1月)

新年の祝福の言葉

最高の幸福を目指して 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

三宝のご加護により今年も幸福でありますようにと、皆様に祝福いたします。新年と人生の節目節目に、祝福して祝うことは世の中の常識です。性格の悪い人であっても、その日には相手を祝福するのです。ですから祝日は、我々が明るい心を作るためにはよいチャンスだと思います。

しかし一週間程度明るい心で生きることが、充分だとは言えないのです。仏教的な生き方とは、毎日、人々の幸福を念じて生きることです。他人に祝福することは、一年に一回に限るのではなく、毎日のように行うべき善い習慣なのです。生きとし生けるものが幸福でありますようにと、朝も夜も念じて生活する皆様方の人生は、幸福に満ちていると思います。お釈迦様は、智慧こそが人間にとって宝である、と説かれたので、新年のお祝いの言葉として、お釈迦様の智慧の言葉を一つ申し上げたいと思います。

Ārogyaparamā lābhā
Santutthiparamaṃ dhanaṃ
Vissāsaparamā nāti
Nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ (Dh.204)

人は何を行っても得をしたいと思うのが普通です。損をしたいから何かをやる、ということは成り立たないのです。誰もやらないのです。得と言えば様々です。収入を得ることも、豊作になることも、学業成就することも、商売繁盛することも、得なのです。では最高な得は何でしょうか? お釈迦様は、健康であることが人にとって最高な得になると説かれたのです。健康が壊れると、いくら富があっても意味がありません。健康でいられるようにと注意して生きてみましょう。

皆、財産を欲しがるのです。金だけ欲しがる人もいるし、土地、家、車、宝石などを欲しがる人もいるのです。財産に頼って楽しみたいのです。では様々な財産の中で、最高な財産とは何でしょうか? 実は、財産を欲しい、ということは勘違いなのです。財産は煩わしいものです。しかし、財産さえあれば、人生は楽しめるのです。だから財産に価値が生じるのです。要するに、財産は道具に過ぎないのです。お釈迦様は、こころが満足を感じることができるならば、それこそ最高な財産だと語られたのです。日々、満足して過ごせるように、努力しましょう。

知り合い、親友がなければ、人生は寂しいのです。しかし家族、親族は自分から離れないので、大事な存在です。親友がなくても、親族がいるから、寂しいと思う必要はないのです。とは言っても、親族は必ず幸福の原因になるとは限りません。家族から、親族から、大変な悩み苦しみも受ける可能性があるのです。では、最高な親族とは誰でしょうか? お釈迦様の答えは、信頼できる人が最高の親族である、ということです。ですから、たくさん友達を作ろうと思って頭数をかぞえることよりも、自分の知り合い、友人、家族などが信頼できるか否かを調べたほうがよいのです。自分が信頼できるような生き方をすれば、皆、自分のことも信頼してくれます。それで、最高な親族に恵まれたことになるのです。

以上の条件がすべて揃っても、基本的には、生きることは苦なのです。肉体の維持管理は苦なのです。

この身体をこの世で生かし続けることも苦なのです。その上、必ず老いたり病気になったりもする。それも苦なのです。いくら無視しても、必ず死ななくてはいけないのです。自分の死を考えることさえも、苦なのです。人は決して避けられないこの苦をないがしろにして、幸福を探し求めるのです。何かの幸福が手に入っても、それは、生きる苦の上に成り立つものです。ブランドの品物をほしがっている人が、財力がなくて偽物で我慢するようなものです。

では人にとって、最高の幸福とは何でしょうか?

一切の苦しみを超えて達する涅槃が、人にとって最高の幸福なのです。皆様が、最高の幸福である涅槃に達することができますようにと、最後に祝福いたします。

経典の言葉

  • Ārogyaparamā lābhā
    Santutthiparamaṃ dhanaṃ
    Vissāsaparamā nāti
    Nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ
  • 健康こそは至高の利 知足は至高の宝にて
    信頼至高の親族ぞ 涅槃は至高の至福なり
  • 訳:江原通子
  • (Dhammapada-204)