パティパダー巻頭法話

No.267(2017年5月号)

ブッダの出現は真[まこと]の慶事

仏暦2561年ウェーサーカ祭  Sukho buddhānamuppādo

アルボムッレ・スマナサーラ長老

ウェーサーカ祭の祝福

仏暦二五六一年に変わる日にあたる五月十日は、仏教徒にとっては「仏教の正月」です。仏教徒たちは、この日を普通の正月よりも気合を入れてお祝いします。正月の祭というと、ふつうは俗世間的な行事なので、食べたり遊んだり、互いにお祝いしあったりして、楽しく過ごすのが一般的です。毎日緊張して、ストレスばかり溜まる不安な生き方をしている分、お祭りの日だけでも苦を忘れて楽しく過ごしたいと思うのです。比較的に見れば、暗く生きるよりは楽しく生きるほうがよいに決まっています。しかし、問題もあります。楽しく過ごしても、こころが汚れるのです。こころを汚すことは、理性的な行為ではありません。理性から脱線することは、不善行為になります。「楽しかったけど悪を犯しました」という結果に終わってしまうのです。

こころが汚れないお祭りの仕方

仏教徒たちはウェーサーカ式典を派手に祝う一方、こころが汚れないように徹底的に注意もします。「楽しかっただけではなく、たくさん善行為をした」と言えるように工夫するのです。テーラワーダ仏教徒たちがウェーサーカを祝うやり方を調べてみれば、こころ汚さずに他の俗世間的なお祭りを祝うヒントも得られるでしょう。

仏教徒たちはウェーサーカの日、五戒ではなく八戒を守ります。自分の家族に対する愛着を控えて、「他の人々も皆、ひとつの家族の仲間だ」という気持ちで過ごすのです。俗世間では人に対して、社会的な地位を示す敬称を使って呼びますが、この日は兄弟、姉妹、親戚に使う言葉で呼び合います。御馳走をつくって自分で食べるよりは、他人に振舞うことをするのです。貧しい人々を助けることは一般的な善行為ですが、ウェーサーカ祭の日は貧しい人、豊かな人、という区別もしません。人間は皆、同じ家族なので、自分のできる範囲で食事を作って他人に差し上げるのです。それも個人で抱え込むことなく、たくさんの仲間で協力し合うので、他人に食事を接待する習慣もけっこう派手な祭りになっています。経済的な力がある人々も、自分の家でご飯を食べることなく、皆に配られている食事を喜んでいただきます。人間は皆、同じ家族であることを実感してみるのです。

娯楽のテーマを変える

人間は音楽が好きです。劇場鑑賞も好きです。しかしこれは、こころを感情で汚す俗世間的な娯楽でもあります。ウェーサーカ祭では、娯楽を自粛しません。代わりにウェーサーカ祭にふさわしい娯楽にするのです。歌われるのは、生命をことごとく愛する内容の歌や、ブッダの偉大なる力を賛嘆する歌になります。より良い人間として、どのように生きるべきかという内容の歌もうたいます。劇場でも、人間に道徳を教える、釈尊にちなんだ物語を上演します。子供たちも、歌や劇などに参加します。ウェーサーカ祭で催される行事すべては、楽しいものですが、こころを汚すことなく、人格向上の助けになる行為に入れ替えられるのです。

誕生祝いの資格

皆、自分の誕生日を祝いたがります。他人の祝福を期待しているのです。しかし、誕生日とは、「皆やっているからやる」マンネリのお祝いです。別に、おめでたいことではないのに、自分の誕生日をおめでたい日だと思っているのです。他人を真似するだけでは、理性的な生き方とは言えません。ちょっと考えてみましょう。①自分の誕生はそれほどおめでたい出来事でしょうか? ②あなたは他人に祝ってもらう資格を持っていますか? ③誕生日とは自分の死が近づく節目だと考えたことがありますか?

この世に生まれてきた誰かが、他人にとってかけがえのない存在であるならば、周りも幸福にしてあげる人間であるならば、その人の誕生日を祝うべきです。または、一年中の自分の生き方が、とても有意義であったならば、周りが評価する業績があったならば、その人は他人に自分の誕生を祝ってもらっても構わないのです。生年月日の月と日に、カレンダーの月と日が重なっただけのことで、お祝いするほどの出来事ではありません。誕生日を祝ってほしいと思うならば、その資格を得られるような生き方を心がけましょう。

釈尊の誕生

ウェーサーカ祭は、お釈迦さまの誕生日です。お釈迦さまが生まれたことで、いまも人類はこころの安らぎを得ています。悪を控えて、善行為をする生き方をしています。こころの汚れを落とす実践を行っています。人間にふさわしい生き方を行っています。ブッダの説かれた教えは、二千五百年経っている今も、古びていません。最先端の思考として、つねに輝いています。ブッダが生まれたからこそ、人類に人格向上することができるのです。ですから、誕生日を祝うべき資格を持っているのは、唯一お釈迦さまだけです。ウェーサーカ祭を祝う人々は、無量の幸福を自分自身に与えているのです。我々一人ひとりが自分自身の幸福を目指して、自分の修行の一環として、ウェーサーカ祭を祝うべきだと思います。ブッダの無量の慈悲の力によって、皆さまに幸福が訪れますように。