根本仏教講義

17.人とのつきあい方 8

師弟関係・夫婦関係

アルボムッレ・スマナサーラ長老

前回に引き続き、今月も、お釈迦さまがシンガーラに説かれた六方についてのお話を続けたいと思います。お釈迦さまはシンガーラに「在家の若者よ、東は両親、南は先生方、西は妻子、北は友人、下は使用人、上は聖職者たちだと知るべきですよ」と説かれました。前回はその一番目、東の方向(親子関係)について説明しました。東の次は南です。

南の方角は先生方。師弟関係です。特にインド文化では、師弟関係をすごく大事にします。親よりも先生のことを大切にする人の方が多いぐらいです。もしかすると、そのせいで逆に、仏教では、親を敬うことをすごく厳しく言うのかもしれません。おそらく親を先生ほど大切にしない人が多かったからだと思います。

師は親の代役

インド文化では、自分の師を大事にすること、尊敬することは一般的な習慣です。学問は一生の財産です。親孝行できるのも、家庭を築けるのも、収入があってこそですから、師から学ぶことは欠かせません。親も先生も、人にとってはかけがえのない存在ですが、親と違って先生は他人です。いつでも破門は可能です。先生は気に入らない弟子に学問を授けることを断る場合もあります。教育者たちは、利益だけを願っている商人ではなく、人格者です。ですから、人格が悪い生徒を受けつけないことはあり得るのです。

師弟関係がうまくいくなら、自分の将来を心配する必要はありません。師と弟子の間で親子のような関係があるとき、学問・技術などを学ぶことは楽しくなります。「試験地獄」など、なくなるのです。現代社会にも、人情に溢れた師弟関係があると悪くないと思います。「先生は、金をもらって教えているのだから、生徒達はお客さんだ」と生徒が威張ると、ろくな大人にはならないと思います。先生を教える気にさせるのは、生徒の責任でもあるのです。

先生をどのように尊敬すればよいのか、現代に生きる方々はわからないでしょう。仏教では、生徒が先生に対してなすべき行為は五つに分類されています。

一番目は uṭṭhāna-起立です。先生は目上の方なので、先生が来られたら自分の席を立つのです。

二番目は upaṭṭhāna-世話をすることです。世話のしかたというのは、昔と今とでは違うと思います。内弟子か通い弟子かということによって、世話の内容も変わります。どんな生徒であろうとも、先生に何か用事があったら協力するべきだと思います。

三番目は sussūsā-耳を傾けること。先生の言葉に熱心に耳を傾ける姿勢を持つと、生徒の成長は早いと思います。自分の意見にしがみついたり、先生の意見を軽視したりすると、学問も技術も身に付かないのです。

四番目は pāricariyā-お供をすること。これも大事な仕事です。現代でも、研究などはグループで行うのです。発表などをするときも、何人かが発表に協力するのです。学問分野、研究のしかた、学校・研究所などによっても、学派やグループが成立します。弟子が自分の指導者のお供をしないと、学問が成り立たないのは当たり前です。先生から離れて独りよがりで勉強すると、正統派になることはできません。

五番目は sakkaccasippuggahana-まじめによく勉強すること。授業をよく聞く、宿題をちゃんとするなどの当たり前のことです。当たり前ですが、現代人はそれさえも正しく行わないのです。しゃべってもよい、適当に勉強すればいい、合格点に達すればいいと思って勉強しますので、社会の役に立つ一人前の人物はなかなか出てこないのです。今は、新しいアイデアを発見できるどころか、言われたとおりのことをこなせる人さえ少ないのは、子供のときに適当に勉強するからです。

この五つの条件を守らないと、先生から見放されます。無視されたり、嫌がられたりするのです。先生に見放されたら、自分の人生はどうなるのでしょうか。誰であっても、先生に教えてもらわなければ一人前にはなれないのです。先生に逃げられるような性格であれば、人生は終わりです。ですからこの五つの項目をちゃんと守るようにします。

善い師は慈悲に溢れている

次に、先生の役割です。先生も、自分の義務を正しく果たさないと、尊敬に値する人間にはなれません。無条件で生徒達に敬われようと思っても、それは決してあり得ないことです。よい先生になるためにも五つの条件があります。これからそれをお話ししますが、それを勉強して、先生にお説教してあげようと思ってはいけません。

我々は、死ぬまで生徒ではありません。自分が学んだものを後輩に教えることにもなるのです。その場合は、あるべき先生の姿を理解しておかないと失敗するのです。人間関係も崩れてしまうのです。ですから、よい先生の条件も理解しておかなくてはならないのです。

一つ目は、suvinītaṃ vineti-弟子を正しくしつける。教師の仕事は、塾の先生の仕事とは違います。教師は「学問を生徒の頭にたたき込めば充分だ」と思ってはいけません。自分のところに来るのは、話し方も行儀作法も知らない、親に甘やかされて育てられた人物です。その人は、社会の常識も他人とのつきあい方も知らないのです。先生の最初の仕事は、この行儀作法を教えることです。学問を仕込むのではなくて、人格をつくりあげるのです。

二つ目は、suggahītaṃ gāhāpenti-教えが、身に付くようにする。生徒というのは「わかりましたか」と訊かれたら、いっせいに「わかりました」と返事するものです。しかし、何もわかっていないのです。「わかりません」と言う生徒はほとんどいないのです。生徒は嘘つきではないのです。その場ではわかったような気がするのです。しかしすぐ忘れてしまうのです。また、「わかりません」と言うのは失礼で、自分で勉強すればよいと思う場合もあるのです。ですから、良い先生は生徒の「はい、わかりました」では納得しないのです。あらゆる工夫をして、教えを忘れないように身に付けさせるのです。頭に定着させるのです。

三つ目は、 sabba – sippa – sutaṃ samakhāyino bhavanti-すべての学問・技術を、完了させる。中途半端で終わることなく、最後まで教えることです。どんな学問でも、中途半端に勉強すると何の役にも立ちません。自分が学ぶ学問、技術、芸術など、何であろうとも、終わりまでやり遂げた方が役に立つのです。良い先生は、自分が教える分野を弟子が完了するまで指導するのです。

四つ目は、mittāmaccesu parivedenti-友人朋輩に弟子のことを吹聴する。生徒は社会人ではありません。彼のことは誰も知りません。しかし、一人前になって、社会の中で仕事をして生活しないといけないのです。生徒の良いところも、だらしないところも、将来性も、知っているのは先生です。ですから良い先生は、期待も込めて皆に自分の弟子を紹介するのです。弟子の研究論文などにも、推薦する序文を力強く書くのです。技術の場合も、先生が適切な人々に紹介してくれないと仕事を任せてもらえないのです。

五つ目は、disāsu parittānaṃ karonti-諸方において弟子を庇護する。良い先生は弟子の警護までしなくてはいけないと思うと、たまったものではありません。しかし、あらゆる面で警護してあげないといけないこともあります。先生は弟子の身元保証人なのです。弟子が一人前になっても、身元保証人の役は終わりません。学問研究・技術などの分野では、一人前になって仕事を始めると、必ずと言っていいほどライバルが現れます。しかしライバルとしても、若手の背後に先生がいる場合は、そう簡単に攻撃し、つぶすことはできないのです。競争が激しいこの世で、先生は、いつでも自分の教え子の味方をするのです。
この五つの条件が揃っている人間こそが、尊敬に値する尊い先生です。我々も、先生として働かなくてはならないことになったときは、この特色を身につけるべきです。正しい弟子になる五つの条件と、正しい先生になる五つの条件が揃うと、南の方向からは何の問題も起きないのです。

夫婦円満の秘訣

西の方角というのは夫婦関係です。家族が円満であれば、西の方角から自分を護ったことになるのです。社会では人間関係に困っているという人は多いようです。円滑な人間関係を築くために、いろいろと勉強もします。しかし、人間関係といえば皆、社会との関係、会社の同僚との関係のみを考えるのです。家族は、人間関係という枠に入らないのです。これはとんでもない間違いです。家族との関係も、人間関係です。家族との関係さえも円滑でない人に社会での人間関係がうまくいくわけがありません。伴侶の気持ちがわからず、子供の気持ちがわからなくても、社会ではリーダー格でいる人もいます。しかしこれは、「社会では恐いほど厳しいが、家に帰ったら奥さんの尻に敷かれている」と笑い話で済ませる問題ではないのです。このようなリーダーは、社会に対しても危険な存在です。

円滑な人間関係を築きたい人は、まず、家族との円満な関係をつくるべきです。この場合は、子供というよりも、伴侶との関係が何よりも大事です。この経典は、シンガーラという若者に説かれたものなので、先に奥さんとの関係が説明してあります。

円滑な夫婦関係のために必要な条件は五つです。
一つ目は sammānanā-奥さんを誉めること。
二つ目は avimānanā-奥さんを軽蔑しないこと。
三つ目は anaticariyā-奥さんを裏切らないこと、不倫しないことです。
四つ目は issariya – vossagga-家の権利を任せること。
五つ目は alamkārānuppādana-奥さんがおしゃれもできるように、服や装飾品などを与えてあげること。

「何だ、そんな単純なことか。それぐらいなら私達も知っている」という気がするでしょう。しかし2500年前のインドの社会では、女性にも平等な立場があったかどうかわかりません。女は家の附属品だと思われていたのではないでしょうか。これは釈尊が女性の心理をお分かりになって教えたものではないかと思います。今の社会における夫婦関係も悪くなるとすれば、上の五つの条件の一つなり二つなりを破った時に起こるのではないでしょうか。

次に、奥さんが夫に対して守るべき五つの条件です。
一つ目は susaṃvihita – kammantā-仕事を良く処理する。
二つ目は susamgahita – parijanā-両家の親族を大切にする。
三つ目は anaticārinī-不倫しないことです。
四つ目は sambhatam anurakkhati-家の財を守ることです。
五つ目は dakkhā ca hoti analasā sabbakiccesu-勤勉になすべき事を上手にこなすことです。

説明しなくても意味は分かると思います。現代社会では、家事をしないで外で仕事だけしたがる女性もいます。また逆に、夫婦共働きなのに、家事は女性だけの責任だと思う男性もいます。釈尊は夫婦のことを平等だと見ているのです。男性が仕事するのなら、家事は女性の仕事だとここではいっているのではないかと思います。昔は「会社で仕事」という形はなかったので、家の収入を得るために、女性も手伝いしたことでしょう。ですから、家の財を守ること、管理することなどに女性の参加は不可欠だったと思います。

夫婦がこの10項目をよく理解して守って生活するならば、円満な家庭環境を築くことはたやすいのではないでしょうか。(この項つづく)

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