根本仏教講義

26.人生改良計画 3

クタクタの脳細胞を元気にする 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

私たちが二十四時間、頭のなかで考えていることというのは、ほんとうは二十四時間もかかりません。たいていのことは数分で考えて終了することができるものです。ですから「役に立たない思考はしません」と決めて、思考をケチったほうがよいのです。私たちは無駄な思考をしているために、頭が混乱し、何も考えられない状態になっているのです。
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妄想は時間の無駄

役に立たない思考、実行できない思考、自分を悲しませる思考、落ち込ませる思考、混乱させる思考など、思考にはいくらでもあります。これらをまとめて「妄想」といいます。データに支えられていないから妄想というのです。

たとえば「自分はダメな人間だ」と思っている人がいるとしましょう。なぜ「ダメだ」と考えるのでしょうか? 何かをやってそれがうまくいかなかった。ゆえに私はダメだと考えるからです。でも、その「ダメ」というのはその人のすべてでしょうか? 何か失敗したといっても、それは長い人生のなかの、ある一つの出来事にすぎません。それに、自分がやることはなんでも成功するのでしょうか? 私たちはいろんなことにチャレンジしますが、実際に成功するのは千分の一、いや一万分の一ぐらいではないでしょうか。なのに、ある一つの失敗だけを見て、「自分はダメだ」とすべてを否定して悩むのです。ですからいかにこの思考が屁理屈で非合理的な思考かということがお分かりになるでしょう。

現実的に考えるなら、「これをやりましたが失敗しました。次にこれをやったらまあまあで、これがまたダメで、これはなんとかうまくいきました。でも次はまたダメで……」と、この連続なのです。たとえば、仕事で大きなミスをしたとしましょう。たいていの人は「大変だ! 取り返しのつかないことをやってしまった。やばい、どうしよう」とあれこれ悩んで混乱します。これでは落ち着いて問題に対処することなどできません。大騒ぎして何の役に立つでしょうか。

そこで、論理的にこう考えてみるのです。もしその問題が解決できるものなら、心を落ち着けて、解決できるよう努力すればいいでしょうし、もし解決できないものなら、「この仕事はうまくいかなかった。今はもうどうすることもできません。では、次の仕事に行きます」と瞬時に頭を切り替えて、次の仕事をしっかりやればよいのです。このように、余計なことを考えずに、自分はダメだと妄想せずに、事実のところできれいにストップするなら、心は混乱しませんし、時間もずいぶん残るのです。思考を極力ケチると、ものすごく時間が残るのです。「忙しい、時間がない」という人は、なぜ時間がないのかといいますと、たいてい妄想ばかりして時間を無駄に使っているからです。たとえば「あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ。毎日、掃除と洗濯と料理だけで一日が終わってしまう」と、不平不満ばかりもらしている家庭の奥さんは、なぜそんなに忙しいかといいますと、四六時中無駄な妄想をしているからです。そのため、一つのことにあまりにも時間がかかってしまうのです。何も妄想せずに淡々と料理を作るのと、あれこれ妄想しながら作るのとでは、どちらが早いでしょうか? 当然、妄想しない方です。

どんな人でもスピーディに手際よく物事をやりたいでしょう。妄想さえしなければ、ものすごいスピードが生まれてきます。無駄が消え、想像できないほど仕事が早く進むのです。

そこで考えてみましょう。なぜ私たちは無駄なことをするのでしょうか。なぜ失敗するのでしょうか。なぜやり直しになるのでしょうか。なぜ一回できちんとできないのでしょうか?

すべて妄想のせいなのです。たとえば、ある会社に長年勤務している四十五歳の男性が、会社の改良のため、今まで一度もやったことのない仕事の分野にまわされたとしましょう。そうすると、はじめての仕事ですから、当然、何一つ分かりません。それでも今までの仕事の経験がありますから、たとえ仕事の内容が違っても、少々頑張れば一週間ぐらいで慣れるはずなのです。しかし、そうはなりません。妄想を回転させ、前の仕事に戻りたいとか、こんな歳になってなんで新しい仕事を覚えなくてはならないのかとか、もとの部署に戻りたいとか、あれこれ妄想します。ですから一週間で覚えられる仕事が、何ヶ月間もかかるのです。新しい仕事に適応できなければ、会社はいい顔をしません。だんだんお荷物扱いするようになり、ついにはお払い箱にするかもしれないのです。

スピーディな人の思考

自分には能力がない、新しいものが身につかない、仕事ができないなど、いろいろ問題があるのは、ものすごく強烈に自我をつくって妄想しているからです。妄想で頭がクタクタに疲れているのです。脳細胞が全部使用済みで、もう使えない状態。それもほとんど役に立たないことばかりに使ってしまったため、能力がないのです。

スピーディーな人は、たった一つ、無駄な思考をしません。それで成功するのです。「今晩のおかず、何にしようか」と一分で考えるのと一時間かけるのと、どちらが有効でしょうか? 当然、一分で考えるほうです。その余った五十九分の時間で何か役に立つことをし、そのように毎日を生きているなら、人生が成功しないはずはないでしょう。すべてのものは無常です。変化するのです。この「あらゆるものはすべて変化する」ということを理解するなら、私たちはいろんなことを身につけることができるでしょう。

無駄な妄想を瞬時に消す方法

そこで、無駄な思考をするという自分の悪い性格を直すために、お釈迦さまは「慈悲の思考で生きてみなさい」とおっしゃいました。慈悲の思考で頭が満たされると、無駄な妄想や屁理屈はすべて消えてしまいます。ですから、たとえ何か嫌なことがあっても悩んだり落ち込んだりせず、努力して、強引にでも、慈悲の思考をつくってみてください。妄想するのではなく、いろいろ工夫をしながら慈悲の思考を回転させるのです。

皆さまにご紹介しているのは「生きとし生けるものが幸せでありますように」という言葉です。この一行を繰り返し繰り返し心のなかで念じ、慈しみの気持ちで心をいっぱいにするのです。この一行を念じるだけで、頭のなかにある無駄な妄想がサーッと消えてなくなり、頭のなかがきれいになるのです。これは最もスピーディで効果的な方法であり、今ここで、幸福をつくることができるのです。

「生きとし生けるものが幸せでありますように」というのは妄想ではありません。事実です。なぜなら、誰でも幸せになりたいからです。でもそれを忘れている人がいます。まれですが、幸せになりたくないという人が、たまにいるのです。しかしその人の話をよく聞いてみると、会社が倒産したとか、大きな失敗をしたとか、夫婦間や親子間で重大なトラブルがあったとか ―― なにか心に大きな傷を負っているのです。それでもそういう人たちに、「そんなに幸せが嫌なら、私は不幸でありますようにと真剣に念じてみてください。これから徹底的に不幸になりますように、あらゆる苦しみに遭いますように、そういう気持ちで生きてみてください」と言うと、その人は「あれっ」と、自分の矛盾に気づくのです。ときどきいます。自分は嫌いだとか、お金がなくても気にしませんとか、仕事をやりたくないとか、勉強したくない、と言う人たちが。でも彼らに、「私が不幸になりますようにとしっかり念じて、堂々とそのように生きてみなさい」と言うと、「あれっ、おかしい。不幸になるのは嫌だ」ということに気づくのです。
(次号に続きます)