折々の法話

お釈迦様は科学者です

 

スマナサーラ長老

皆様は仏教が、宗教の一つだとお考えになっていると思います。確かに宗教には違いないのですが、お釈迦様の説かれた教えは宗教としての角度だけで受けとめてしまうと、核心に触れることが難しくなります。本質が見えなくなってしまうのです。それはどういうことなのでしょうか。

 お釈迦様はご自分で究極の探求をなさって、人間が至るべき、体験するべき、努力するべき、目的とするべき境地として、「涅槃」を示されました。それは究極的な境地であることは、皆様もよくご存知だと思います。それは私たちの次元では得られないもの、得るためには努力して自分で体験しなければならないということもご存知だと思います。しかし体験して下さいといっても、そう簡単に体験などできませんね。第一私達は生きていくのに忙しい。まず食べなければならない。仕事も、趣味も、子育てもある。病気もするし、年もとる。だからその前に心置きなく遊んでおこうとも思う。「涅槃」或いは「解脱」などは興味があってもちょっと余裕ができた時に考える程度です。または逆に人生に行き詰まったときや深い悩みに陥ったときなどに、苦しみから逃れる為に考えることがあるかもしれません。

 お釈迦様はそんな私達人類に一つの提案をなさいました。ご自身の研究の結果として『人類の究極の目的は涅槃である』という結論を出したので、「あなたたちも本当かどうか試してみて下さい」と、涅槃を体験する為の方法まで示されたのです。お釈迦様は自分の言うことを、鵜呑みにして下さいとは決していいません。これは科学的な提案です。

試し方としては、客観的に《自分の今の状態を観察してみなさい。私の今、自分の普通の生き方、或いは他の生命の生き方、世の中のことを客観的に、離れてありのままに観察して下さい。》というものです。科学の世界も同じでしょう。ある科学者が何か発見をしたら、他の人々も実験をしてみて、おなじ結果になればそれは真理である、事実である、ということになるでしょう。

そのお釈迦様の結論を本当かどうか実験してみておなじ結果を得たのが“阿羅漢”といわれる人達です。彼らはお釈迦様の直弟子といわれる人々ですが、私達はその人々のお陰で安心して教えを受け止めることができるのだともいえます。例えば素晴らしい効能をもった新薬が完成したとしても、誰も試したことがなかったら私達はその新薬を使おうとはしません。大勢の人々が試してみてその安全性と効能が証明されて、やっと安心して試してみるのです。それと同じで阿羅漢たちはお釈迦様の説かれた究極の平安を体験し、その「真理」が真理であることを身をもって証明しました。彼らは真理へのナビゲーターの役割をする人々なのです。

私達は彼らのお陰で仏教=お釈迦様の教えが安全性の高い、人類の役に立つものだと知っているのです。しかし、仏教が本当に安全なのか、人類の役に立つのか、究極の境地とは何なのかは、自分自身で試してみなければわかりません。お釈迦様が言うのだから、阿羅漢たちが証明したのだから信じるというのでは、仏教の醍醐味は味わえないのです。皆様もぜひお釈迦様の研究レポートがどれだけのものか、真理なのかどうか、ご自分でチャレンジしてみて下さい。やり方はとても簡単です。寝ている時間を除いて自分と自分の周りの人やもの、出来事などありのままを、客観的に冷静に離れた立場で観察すればよいのです。

一つ付け加えれば、この『観察』を習性にしてしまえば、あなたはもうどこで何をしていても、立派な修行者になっています。
 (文責:杜多)

お釈迦さまの「宗教」、「科学的な教え」に関連した法話⇒根本仏教講義(38)へ

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