あなたとの対話(Q&A)

仏教の中の女性差別①

ビルマにて、改めて仏教の中のなかの女性の問題が頭の中に大きく浮上してきました。律蔵を見ましても、お釈迦様がなかなか女性の出家を認められなかったことは、なぜなのか、疑念として残ってしまいます。道元様は女性差別を否定されているので、たとえ現状の大乗仏教でひどいことがありましても、正法眼蔵を読まない坊さんがやっていることと、心の中で片づけることも可能でしたが、現在のテーラワーダ仏教ではどのように解釈すればよいのでしょうか。
ヴィパッサナーを伝え続けているところでなぜ、男女差別があるのか、テーラワーダ仏教のすばらしさをかけらでも知ってしまったが故に、とても混乱し、残念に思います。私と同じように出家した女性にも、少しでも知ってもらいたいと思いながらも、やはり小乗ではないかと思われるのではないかと危惧します。

もしも、テーラワーダで男女差別があるならば、その教えを実践しているあらゆるところに差別現象を見いだせるはずです。タイ、ミャンマー、スリランカ、カンボジアだけでなく、イギリス、アメリカ、オーストラリア、シンガポールなど、ほかのところでもその現象が見られるはずです。男女差別があるとすると、これらの国ではもう、社会問題になっているはずです。

ミャンマーの女性の問題は、よく頭に浮かびます。

意見や概念は一時的なものですから、ほどほどに持った方が無難でしょう。「差別」だと思っても「平等でなくては」と思っても、どちらも何らかの状態と比較して考えていることです。差別、平等などの概念も意義もそのときそのとき変わっていきます。他人の意見のみならず自分の意見も、時間の流れの中では大したことではないと思わないと、あまりにも概念にとらわれて頭の中が「混乱、怒り、傲慢」でいっぱいになってしまいます。仏教の修行者なら「もろもろの概念からの解放」も目指すべきでしょうね。

しかし、現代日本に生まれ育った女性にとって、とくに大乗仏教で出家したものにとっては見過ごしがたく存じます。

自分が生まれた時代、出家した社会を最高で正しいと感じる固定観念でしょう。一時的な意見を持って、それにとらわれて苦しんでいるだけでしょう。「現代女性」と威張ってみても将来の女性は「あのころは古い時代で、平等ではなかったなあ」と残念に思うことでしょう。

大乗仏教のお寺で女性を平等に扱ってくれるなら、それはとてもありがたいことです。それについても私の個人的意見を述べたいのです。人は結婚して家庭を持つと、女性に管理されますよね。結婚する日本の大乗仏教のお坊さんにとっては「女人禁制」のような差別概念は成り立たないと思うのですが、それでも日本の大乗仏教の中では、「女人禁制」といった矛盾した考え方があったような気がします。仏教の真理に従ったのではなく、ただ欲におぼれたのでは?

また寺の跡継ぎの問題で、もし子供が女性ばかりだったらどうしますか。「婿をもらう」のが日本では一般的でしょう。「娘を住職にする」ことはまずないでしょう。私に言えるのは「現代日本の女性は平等」というのもひとつの固定概念にすぎないということです。仏教徒としては、あなたも私も「固定概念」にとらわれてはならないのです。

テーラワーダでは男女平等問題を、どのように思っているのでしょう。

女性と男性の社会的な関係、役割などは、その国により、また文化の違いにより、変わるものだと思います。ミャンマーでの女性に対する態度は、タイやスリランカでのそれと全く同じだとは、私は思っておりません。西洋についても、日本についても、いろいろあると思います。

また、時代によっても変わります。たとえば昔は西洋でも、男尊女卑で女性には立場がなかったのです。フェミニズムは現代的な動きです。日本も同様です。

私に言えるのは、女性の社会的な立場というのは、時代の流れに従って変わっていくものだということです。男の役割も確実に変わっていきます。

どちらが正しいかと考えたりすること自体、間違っていると思います。現状が悪いなら、それが良いと思う方向に変わっていきます。そのとき、現状は良いと思っている側が攻撃、反対、批判等をしますが、力の強い方の意見が通ってしまいます。残念ながら、いつでも正しい意見が通るわけではありません。

誰でも、自分がやっていることは正しいと思ってやっているのですから、他人に間違っていると思われてもどうしようもないのです。それでは互いにののしり合うことになってしまいます。たとえば、AさんがBさんに「あなたが間違っている」と言えば、BさんもAさんに「いえ、あなたが間違っている」と言うでしょう。日本人がミャンマー人に「あなた方のテーラワーダ仏教では、女性を差別している」と言えば、ミャンマー人も「それは違います」と答えるに違いありません。仏教では人々の一時的な思考にとらわれない 方がよいと考えています。 他人だけでなく、自分の意見にもとらわれない人に、心の平安があります。

もし私が着ている服やアクセサリーをとても気に入っているとき、誰かが「違う服に着替えなさい。私は気に入らないから」と言ったら、それはまぎれもなくお節介で、大きなお世話です。

女性自身は、自分が生きている社会で「差別されている」ことに気づいたならば、それを適切に変えるべきです。助けてください、協力してくださいと他人に頼まれたら、それをしてあげることこそ、お節介ではなく、親切な行為なのです。アメリカに言われるとおりに日本が変える必要もないし、日本が思うとおりにアメリカが変える必要もないのです。でも、アメリカも自分の意志で日本のことを学んだり真似たりするし、同じく日本人も、自分が気に入ったところ、直さなくてはと思っているところを、自分の意志で西欧諸国から学んだり真似たりします。それは正しいやり方だと思います。

なぜお釈迦様は、すぐに女性の出家を認めず、かなりとまどわれたのですか。

女性出家のエピソードの裏を理解すると、お釈迦様もゴータミー妃も、親子で、男女平等の立場を成立させるために努力されたことがわかります。長くなりますので、答えは来月号に続きますのでご了承ください。初めに出家したいと思ったのは、ゴータミー妃(後のパジャーパティ・ゴータミー大阿羅漢)でした。お釈迦様の育ての母です。そのときにはもう歳にもなっていました。お釈迦様も普通の人間と同じく、母親に対してよく恩を知る人でした。お母様が亡くなったときにお釈迦様が彼女の徳を唱えた話は、今も涙なしに読めないほどです。

その彼女が出家を求めたときのお釈迦様のご意見を現代風にアレンジして言えば「これはとても苦しい生き方です。宮殿の生活とは全く違います。家にいて、皆に面倒を見てもらって修行してください。母が肉体的に苦しむのは見ていられません」というものでした。在家でいても、もうとっくに俗世間を離れていましたので、修行さえすれば悟られるはずだとお釈迦様も考えました。

でも偉大なるゴータミー尊者の考えは違いました。「女性の解放のために、真理を平等に伝えるために、自分が自分の楽な人生を捨て、立たなくてはならない。自分の息子でもあるお釈迦様が語る普遍的な真理を、女性たちにも伝えるために、息子と一緒に努力しなくてはならない」というものでした。それで、断られたにもかかわらず、勝手にわがままに出家して、それを認めるように、アーナンダ尊者に代表を頼んで訴えたということです。

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