あなたとの対話(Q&A)

過去や未来を思い悩む①

中部経典131の解釈について質問します。
私には過去の失敗をくよくよと後悔したり、明日の試験や仕事について「失敗したらどうしよう」と悪い結果を思い煩う性癖があるので、「実在しない過去や未来を妄想せずに、今自分がやるべきことを全うすればそれで十分」というこの経典の教えは、余計な葛藤を回避して心の安定を保つ大きな救いとなっています。
後悔や取り越し苦労は心的エネルギーの浪費だからカットすべきであるというのは納得できます。しかし、過去の成功体験を思い返して自らを奮い立たせたり、明るい未来やよい結果を期待して意欲を燃やし、事に当たる場合は、単に「過去や未来を妄想した」として否定できないように思うのです。
過去の経験や未来の希望に求めないなら、自信の根拠や行動のモチベーションはどこに求めればよいのでしょうか?
また「今自分がやるべきこと」についても、未来を予測して設定した目標を達成するためには、という観点から、過去の経験に照らし合わせつつ、今何をすべきか決定するものではないでしょうか? (瞑想が進んで「智慧」が開発されれば、未来や過去に囚われず、当意即妙の対応ができるのではないかと想像するのですが。)「妄想」に陥らずに、将来の目標を立てたり、過去の経験を今やるべき行動に活かす方法について、ご教示願えれば幸いです。

私には、この質問は「過去、未来を妄想しないと悩めなくなります。それでは、人はどのようにして悩めば良いのでしょうか」のように読めてしまいます。いくつかのポイントから分析してみましょう。

★「過去の経験を思い返して自らを奮い立たせる」

スマナサーラの注釈:人には今なすべき仕事があります。でもその人は怠け者であり、なかなか行動を開始しない。こころの中であらゆる言い訳を妄想している。「やらなくてはいけないと分かっていますよ~」とも言う。
あるいは過去の失敗などを思いだして、妄想して自信がなくなっている。
あるいは「失敗したらどうしよう、恥ずかしい、面子がたたない」等、将来のことを妄想している。
あるいはプライドという妄想で悩んでいる。
このようなとき、その患者を騙すために使う(placebo)偽薬があります。
その患者の過去に成功したいい思い出があったなら、効く可能性があるのです。ろくな経験がなかったならば最悪です。
故に、ヤブ医者以外は使わない治療法です。

仏陀の治療法:やりたくないと思うなら、人間らしく「これは私がやりたくない」と明言して止めなさい。
やらなくてはいけないと分かっているなら、たとえ苦しい仕事であろうとも人間らしく勇気をだしてやりなさい。
将来のことをごちゃごちゃ妄想するものは人間失格であり、愚か者です。
このような人には仕事などの責任をまかせられないのです。

★「明るい未来やよい結果を期待して意欲を燃やし」

注釈:一見、悪そうに見えない言葉です。

ヤブ医者の偽薬;今、仕事中苦しんでいる、悩んでいる、仕事から何も充実感も喜びも感じてない、「とにかく早く終えたい、早く終わらないかなぁ」などと考えている、そもそも仕事をしたくないという怠け心がある、などの症状を持つ患者の嘆き歌のワンフレーズ(一行)です。
この歌を歌って仕事をする人は、永遠に苦しむのです。

なぜなら、何もしない瞬間というのは人生にはありませんから。常に何かをしなくてはならないのが人生です。
それをこなす為に「明るい将来」を歌って意欲を燃やす必要があるとするならば、永久に苦しむしか方法はないのです。
これも、怠けで病んでいるか、 今なすことについて充実感を感じないで苦しんでいる患者にヤブ医者が与える偽薬です。
この偽薬で、ある程度は患者を騙すことができます。しかしある日突然「いくら苦しみながら踏ん張ってもホーッとできる瞬間はなかなかないのではないか」という事実に患者が気づいたら、最悪の状態になります。とても危険です。

仏陀の治療法:生きることは瞬間瞬間の出来事です。瞬間瞬間やらなくてはならないことがあります。
それをやらない時にも「やらない」という『怠ける行為』をしています。
人生には「停止、休止、一休み、休息、休憩」などがないのです。
瞬間瞬間の仕事をやり遂げる以外に、人間には何をする余裕もないのです。「明るい将来」を妄想するときも、やらなくてはいけないことをいったん停止して、「妄想する」という行為をしているのです。
「やるべき仕事」の立場から見れば、時間とエネルギーの浪費です。
「明日があるさ、明るい将来へ」などの共産主義独裁国家が使いそうなスローガンで苦しみながら生きる必要はないのです。
瞬間瞬間の行為をなすとき充実感を感じること。
大胆で奇跡的、世界記録的な成功の夢を見るより、瞬間瞬間の行為をこな、こなせるときの喜び、充実感を感じることです。
そのような人にだけは、苦がないのです。

存在の全てが瞬間瞬間の連続です。

★「事に当たる場合は、単に『過去や未来を妄想した』として否定できないように思うのです。」

注釈:それはあると思います。
地震に遭遇する、人身事故で電車に長時間閉じこめられる、竜巻で家が飛ばされる、社長の機嫌を取ろうと少々時間を延長して付き合ったところ、子供の誕生会に遅れてしまうなどといったことも人生にはあります。

ヤブ医者の治療;個人ではどうすることもできない出来事について、ヤブ医者はそれを「他因」にする。
祈り、祈祷、お札、呪文、呪術、お守りなどで未然に防ぐ方法を教える。
しかし、気休めの偽薬です。問題は解決しません。

自己の妄想によらない「事」が二つあります。

他の妄想によるもの。
自然法則によるもの。
その二つについてもまた、未然に防ぐことができるもの、防ぐことができないもの、の二つに分けて考えると、全部で四つになります。

1.は分かり難いので説明します。

母親がパチンコ遊びに夢中になっている間、車の中に寝かしておいた赤ちゃんが脱水症で亡くなる。
父親の立場から見れば、自分の妄想で起きた事件ではないが、他人の妄想で起きた悲しい事に自分が遭遇する。
高速道路で、居眠り運転した他の人の過ちで自分の車も事故に遭う。
社長が世界を征服する夢を見ていたせいで会社が倒産することになる。社員が他人の妄想で不幸になる……などです。これらの事は、妄想の危険性を広く知れ渡るようにして未然に防ぐことができるのです。

仏陀の治療法:何が起きてもその場その場で落ち着いて対応できるようにこころを育てる。
「ある日突然事が起きた」と思うこと自体が、妄想の結果なのです。
「自分にとって起こりえる事と言うのは○○である」と妄想して、偽りの落ち着きに戯れていたのです。それで、その妄想の達人の予想以外の××の事が起きたら混乱に陥るのです。頭がパニック状態になるのです。
将来は未定です。何が起こるかを予測しても、百パーセントの確率ではないのです。ですから、瞬間瞬間起こる出来事の全てを、一回きりの、初めての出来事として対応する心構えが必要なのです。そうすると、毎日のつまらない出来事さえも面白くなってきます。何が起きてもその場その場で対応できる智慧が生まれてくるのです。

★「過去の経験や未来の希望に求めずに、自信の根拠や行動のモチベーションはどこに求めればよいのでしょうか? 」

ヤブ医者の答え;「神様、仏さまが常に偉大なる愛にもとづいて見守っているから何事も心配しないでがんばってください」になります。
人は何かに依存して偽りの安心感・自信を作るのです。小さいときは「おかあちゃんが守っているから」などの呪文で落ち着きます。大きくなったら「会社が守ってくれる、国が守ってくれる」などの呪文もあります。それらの呪文には時々クレームつきますから「神、ほとけ」の呪文も使います。
この治療方法は以下の例えで理解出来ると思います。
虎かライオン、あるいは他の猛獣が人を襲ってきます。
人は怖くなって怯えて震えます。
そこに救い主が来ます。「汝、目を閉じよ。そうすると汝に恐怖感はないであろう」。その人は救い主の言葉を信じ、目を閉じます。見事に恐怖感が消えてしまったことに驚きを感じます。それでその猛獣は逃げようともしないその人をいとも簡単に食べてしまいます。(救い主は誰の味方みかただったのでしょうか?)

仏陀の治療法:瞬間瞬間に連続的に現れてくる小さな小さな出来事をその場その場でなし遂げる。
小さな出来事だから、必ずといえる程うまく行く。
強引に奮い立たせるほどの自信はいりません。
それでその人は充実感を感じるのです。
ついでに喜びも。
具体的な人生は、この瞬間の出来事の連続です。結果を総合的に妄想してみても、充実感に溢れる、喜びに満たされる人生だということになります。

もう一つ、方法はあります。
自分のためになること、周りの人々のためになること、生命全体のためになることであるならば早速実行する。
このような人間になりますと、道徳を人生のmotivationにすることになります。
「するのは良いことのみ」ですので確実な自信が生まれてきます。

さらにもう一つ方法があります。
妄想に支配されている生き方を止めて論理的に具体的に物事を観察する人間になる。
智慧の開発に励む。

自信があって「事」が起きたらうまく乗り越える生き方は立派そうにみえる。「事」が起きたらなし遂げるだけでは仏陀が納得しないのです。
瞬間瞬間我々は何を学ぶか、何がこころにフィードバックするか、こころが成長していくか、悪が減っていくか、善が増えていくか、こころの汚れがなくなる方へ向いているかなどの自問がとても大事です。
上手に生きるための智慧ではなく、上手に生きることから智慧を収穫するべきです。
智慧が人を完全たる平安へ導きます。
ですから、答えは「智慧に求めるべき」です。(この項つづく)

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