あなたとの対話(Q&A)

業について

2018年9月27日

業についてお聞きします。「自分の業」と言われますが、父親と母親からDNAを受け継いでいるので、人の人生というのは親の影響を受けているような気がします。

今、一生懸命考えておられるのは身体のこと、物質のことなのです。命のことではないのです。物質は単純明快で、科学でも解析されていますね。親からもらったものは、ただの物質なんです。それを生かしているのは、自分のこころなのです。親が身体を作ったとしても、親には子の運命を作ることはできないでしょう。

立派なDNAをもつ親にも、障害を持つ子は生まれます。それを現代医学で、生まれる前に殺すことはできますが、立派なDNAを持っているからといって立派な子供を作るということは不可能なのです。DNAは何億もあるのです。膨大なDNAのなかのどれとどれが組み合わさるかを、親が決めることはできません。ですから、子供は作られても、子供の運命は作られないのです。親がどのような希望を持っても無理なのです。運命は、自分自身のこころが作っていくものです。

しかし、生まれたときも両親を選択できませんし、男か女かも選択できません。

両親を選べない、というのも正しい言葉ではありません。死ぬ瞬間に、我々の渇愛というのは究極に強くなります。それに合わせた場所に生まれてしまうのです。結局、自分のこころが原因を作っているのです。いわば、自分のこころが選んでいるのです。それまでの自分の行為の結果なのです。
死ぬ瞬間にピークになった渇愛のエネルギーで、次の生はここだよ、と決まってしまうのです。ですから、今『ここ』に生まれている我々は、自分の両親で納得するしか道がないのです。うるさい父親がいるというなら、それは自分で選んできたことなのです。必ず、ぴったり合うところに行くのです。

もう少し具体的に教えてください。

たとえば、最後の渇愛がすごく悪いエネルギーだった、それでも人間に生まれてきたとします。前世では、『共存』という気持ちがまるっきりなくて、破壊して破壊して、とにかく生きていたいという気持ちだけで生きてきた。大きな罪だけは犯してこなかったけれど、激しい競争心の渇愛で死んだとします。

そこでまた人間に生まれ変わったとすると、『ぴったり合う場所』というのは、自分にまったく合わない母親のところ、という風になってしまうかもしれません。それが業の機能です。だから母親も、子がおなかのなかに来たときから、ものすごいつわりで、気持ち悪くて悪くて、死んじゃいたいくらい嫌な気持ちがして、生まれるときも苦しみばかり。生まれてからも、面倒くさくて、よく泣く、思うようにならないと、ヒステリーを起こして虐待に至ったり、生まれてすぐに棄てられたり。棄てられる運命の業を作ってきたのですから、そうやって、自分にいちばん合うところに生まれてしまうのです。子供が欲しくて欲しくて待っているような母親のところには行かないのです。

とても共存的な生き方をしてきて死ぬときのエネルギーがいくらかきれいだったとすると、喜ばれるところに生まれ変わるかもしれません。

一例をあげましたが、だからといって一概にはいえないことばかりで、こういう話はものすごくたくさん話をしないと理解できません。自分では何も選べないともいえるし、じゃあ定めですかというとそうでもなく、自分の意志も選択もちゃんと働くし、とても複雑で、到底人間の頭で把握できるものではないのです。

障害児を抱えている場合、日本では「過去に悪いことをしたからだ」と捉えられることもあり、悩む母親もいますが。

業とは、そのような単純なものではないのです。そんな偉そうなことをいう人ほど頭の悪い人はいないのです。「あなたの業が悪い」というのは、怪しい宗教の『脅し』でしょう。

お釈迦さまは、業のこと、こころの働き、宇宙の構造の3つについては考えるな、とおっしゃっています。人間が考えてはならないことはその3つです。理由は、把握しきれることではないから。きりがないから。ただ疲れるだけで、無意味なのです。

業についていうなら、ただ、明るく元気に、毎日徳をいっぱい積んでどう生きていくかを考えればいいのです。それが、確実に業をよくしていく方法です。過去のことはわからないのです。私にもわからないし、皆さんも知る由もないのです。

もし、障害を持つ子を授かったとしたら、両親にとってはこれほどありがたいチャンスはないのです。人間として生きるために。愛情、親切さ、忍耐などが自然に生まれてきます。たとえば、一生面倒をみてあげなくてはいけない重度の障害だったら、どうしても何かやってあげたくなる、いっしょにいると何か気持ちがいい。それはその子の業で、何かエネルギーをもっているのです。まわりの人は、いやな気持ちも苦しみも感じずに活動できるのです。

もし障害を持つ子が自分の家に生まれたら、その子はその家で生まれるべきだから生まれたのです。その家族には、その子をちゃんと育てるくらいの能力はあるはずです。それを放棄したら、罪になるのです。

自分で頑張ってどんどん成長する頭の良い子の両親というのは、大抵いい加減で無責任。そういうところに生まれる子は自分で自分の人生を設計する。うまく合っているのです。しかしそのような子がガリガリ頭の知識人の家に生まれたら地獄です。親が違う生き方を押しつけたりして殺し合いになってしまうかもしれません。しかしそういうケースも多々ある。それが業。単純なものではないのです。

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