あなたとの対話(Q&A)

帰依について

2018年9月27日

「三宝に対する帰依」の中で、「仏陀に対する帰依」は具体的にどう考えればよいのでしょうか。教えを残された釈迦尊に敬意を払うのは当然と思いますが、釈迦尊がこの世におられない、という点に少しひっかかっているので、ご教示いただければ幸いです。

あなたの論理でいけば、人はいなくなったらその人のことを尊敬しなくても良いということになります。偉大なる人は、亡くなっても、その人のことを尊敬し続けることが役に立つのです。仏陀に帰依した人は、仏陀を指導者にし、先生にする。貪瞋痴に振り回されている人の話に無批判に乗せられる前に、釈尊ならどんなアドバイスをしてくれるだろうかと考えてみる。世の中のすべての人が一斉に言っていることでも、仏陀の言葉に反するものであるならば、それは確実に罪の道だと思って避ける自信が得られるのです。

前項と関係しますが、「三宝の加護」の「仏陀の加護」についてはどう考えればよいでしょうか。

上の説明で十分ですね。仏陀こそが我々をいつでも悪の道から守ってくれるのです。

これも同種の質問ですが、三宝帰依の「僧に対する帰依」を行うとき、もうこの世にはおられない阿羅漢の方々(サーリプッダ・モッガラーナ尊者など)のことを念じるということは、やってもいいのでしょうか、それともやってはいけないのでしょうか。

悟りを開いて、仏陀の道は正しい真理だと証明してくれた全ての仏弟子たちが、僧に帰依するときの対象になります。我々はあれやこれやとややこしく雑念しないほうがよいのです。尊敬の気持ちを抱き「僧に帰依」をするのです。働きは仏陀の場合と同じです。

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