あなたとの対話(Q&A)

考えない方が良いこと

2018年10月7日

考えたら頭が狂ってしまう4つの事で、ひとつは業ですが後の3つを教えてください。

一箇所を紹介します。
Buddhānaṃ buddha visayo – ブッダ達のこと。visayaは領域、管轄です。仏陀の智慧、能力などだと思います。
jhāyissa jhāna visayo – 瞑想する人のサマーディのこと。jhānaは禅定です。それについて考えても把握できない。
kamma vipāko – 業の果報。業はどのように結果を齎(もたら)すかということです。
loka cintā – 世界についての思考。lokaは宇宙という意味で使っているのです。
Aṅguttara Nikāya, catukka Nipāta, Apaṇṇaka vagga, Sutta 7

Sumanasara

(参考までに、質問の元になったスマナサーラ長老のご法話をご紹介します。)<管理人>

根本仏教講義(34)~「業と因縁」(1)~

今回から「業と因縁」という新しいテーマでお話しさせていただきます。このテーマでお話しするのは難しくてあまり好きではないのですが、私にできる限り説明させていただきます。
もし何か分からなかったことがあれば、どんどん質問していただければと思います。

■日本でいう「業と因縁」とは?■
「業と因縁」と言えば日本ではごく普通に使われている言葉ですね。
私もよく耳にしますが私がよく開くのは「業が悪い」という言い方なんですね。また「因縁」という言葉もよく出て来ますが、たとえば、人に会った時に「ご縁があったんですね」というふうに言う。「これも何かの縁ではないか」とかね。何かよくわからない場合に、私達はそういう言葉を使うようです。

なぜこうなったか分からない、或いは偶然人に会って、何かものごとが非常にうまくいったような場合。まあ、それも何か縁ではないかと思うんですね。このように私が知る限りでは日本で縁というのは「何か分からないもの」について言うものではないかと思います。

例えば人が来るという約束があって会った場合、或いはこちらから会いたいと、アポイントを取って会った場合は「これは何かの縁ですよ」とは言わないんです。
「業」の場合も同じです。自分の希望どおりではなくて何かちょっと自分の希望と違ったことが起きた場合、特に悪いこと、不幸なこと、あってほしくないことが自分に起こったならば「業が悪い」と考えたりすると思います。

これらの言葉は仏教から出て来た言葉なんですね。そうすると皆様がたが因縁とは何か、業とは何かを知りたいと思うのは、ごく普通のことだと思います。
では、お釈迦様は、業と因縁という2つの言葉についてどういうふうにおっしゃっているかというと、業については、そんなことは放っておきなさい、普通の人間の頭で分かることじゃない、とてもとても難しい、深いことなのだと話しておられます。
人間には考えても考え切れないことなので、考えない方がいいとおっしゃいます。考えたら頭が狂ってしまうという四つの事がありまして 、その一つが業なんですね。

ですが因縁のことは、考えるなとは言っておられません。因縁については、みんなが因縁をわかっていないから、そのためにあらゆる苦しみを味わっているんだとおっしゃっています。… →全文へ

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