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こころのセキュリティ

爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

人生の難問を引き受ける管理所

仏教は、他人の仕事を横取りするようなことはありません。お釈迦さまの生きていた時代から今日まで、人びとにこの世を正しく生きる方法を説いてきたのです。その教えは、世の専門家がだれ一人として言ってくれないことです。お医者さんがこのからだの各パーツを心配して治してくれるのと同じように、仏教はこころのことを心配してくれるのです。仏教の本業は、こころを正しく、きちんと育てることです。こころの病気をチェックし、診察し、治すのです。

ふつう、われわれはこの世をただ気楽に生きていければ、それで十分であると考えます。難問もなく、悩みもなく、家族元気で、気楽に生きていければ、それで十分満足であると思って生活しています。

ところが、仏教はそんなことだけでは満足しません。そんな、ごく普通の人生ではダメだ、と言うのです。人間は、もっともっと成長しなくてはいけない。人格を完成させなければいけない。成長をしつづけ、しつづけ、しつづけていく。そして、最後は生きることを超越しなくてはいけない。それが、お釈迦さまの説かれる本意です。

この「超越」ということばに、皆さんは引っかかるはずです。引っかかるというより、誤解されるでしょう。アメリカ映画や日本のマンガブームのせいで、次元を高くするということを超人になることだ、という意味に取っているのではありませんか? 映画やマンガの世界での超人というのは、いわゆるスーパーマンのことです。けっして、超越した思考の持ち主のことを言っているのではありません。そこには、欲と怒りの渦巻いた妄想の物語の世界が展開されているだけのことです。
人間が一対一でケンカをすれば、おたがいがかなりのダメージを受け、傷だらけになるでしょう。それを映画やマンガでは何十人、何百人と闘っても、ヒーローのほうは一人で勝つ。そういう超人的なキャラクターを、ヒーローとして描くのです。

現実では、一人と闘うのだってたいへんなことです。いつも恐怖に脅え、いくら希望があっても一つも叶いません。いつも不満で悩んでいるのが、現実の人間です。そこに、こうした映画やマンガのヒーローが颯爽と登場する。皆さんの弱さ、不満、夢などが、妄想の世界では実現していきます。
ですから、物語の世界で出会う超人的なキャラクターは、皆さんの欲と怒りから生まれた希望の星なのです。人間として、人格が完成するどころの話ではありません。これは「超越」ではなく超人、いや、意地悪く言えば狂人と言ってもいいのです。穢れたこころの低部から生まれた、汚いヒーローなのです。

私たちの仏教で言う「超越」というのは、そんな俗世間のスーパーマンのことをさしているのではありません。それどころか、そういうヒーローとはまったく正反対の存在を言うのです。それは、人間が堕落する原因となる欲や怒り、無知を克服し、普通の人間の一歩も二歩も先を行く、別次元の人間になることを言うのです。われわれは、性格や人格、こころのまちがった人間を調べていくと、その原因はいま言った欲・怒り・無知がある人だということがわかってきます。
それは三悪と言ってもいいのですが、その三悪をいかになくすかが仏教の修行であり、なくすことができた人間をほんとうの人格者と言い、「超越した人間」と言っているのです。

仏教では、何十人、何百人の相手と闘って勝つスーパーヒーローではなく、相手がケンカを売ってきても、それを買わずに相手にたいして慈しみのこころを返す人こそ「超越した人間」と認めるのです。人を妬んだり、恨んだり、競争心を抱いて生きるのではなく、いつも平安で穏やかにこころを保つことができる人ほど、仏教ではこころのレベルの高い人なのです。

ですから、仏教のほんとうの仕事は、こころが堕落しないようにするだけではなく、こころを超越させることにあるのです。

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爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2002年9月