施本文庫

ブッダの経営論

ビジネスリーダーの人間力 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

模範的なリーダーだったハッタカ・アーラワカ

ここで、お釈迦様の経典を一つ紹介します。これは結論として話すべきところなのですが、結論を先に言ってしまって、それから残りの話をするというふうに、順番を逆にします。

お釈迦様が小さいときから知っていた、ハッタカ・アーラワカという人がいました。ハッタカというのは、お釈迦様が手に取った、つまり抱っこされたという意味です。お釈迦様が抱っこするというのは、大変珍しいことです。彼はお釈迦様のお気に入りだったのでしょう。
この人は、若者になって社会に出てからも、しょっちゅうお釈迦様に会いに行きました。しかも、ものすごく大勢の人と一緒に来るのです。皆とても落ち着いていて、アーラワカさんの言うことをよく聞いて、彼はグループリーダーとして何の問題もありませんでした。
それである日、お釈迦様がこのように質問したのです。

「あなたはえらい人気者だ。あなたにはものすごく大勢の人々がついてくる。それはなぜなのか。そしてあなたはどうやってこの人たちを管理しているのですか」

アーラワカさんの答えは、「人々を管理するとき、人々のリーダーになるとき、自分の支配下にいる人々に対してどのような態度をとるべきか、お釈迦様が教えてくれました。私はそれを真面目に実行しているのです」というものでした。
お釈迦様が教えたことを真面目に実行した結果、彼はすごく人気者になって、たくさんの人々が付き従うようになったのです。

リーダーになるための教え1:布施

そのお釈迦様の教えの一番目はダーナ dāna、「布施」ということです。
「布施すること、与えることが必要な人だとわかったら、その人々に必要なものを与えなさい」というものです。
リーダー、管理者は、自分の部下それぞれに何を与えなければならないかを判断して、それを与えなくてはいけないのです。

何を施すかを一人ひとりが算段するのは自由です。そこで、いちいちうるさく言わない。そこが仏教のポイントです。誰でも自分の理性で、その現場において考えなくてはいけないのです。イスラム教が現代社会で問題を起こすのは、コーランの教えにあまりにも固定した教えがあるからですが、仏教は二千五百年以上前に語られたのに、そういう欠点はまったくありません。

施すといっても、それは必ずしもお金という意味ではないのですが、それも入ります。突然お金が必要な出来事が起きたら、「大丈夫、これを使ってください」としてもいいし、それができるくらいまで、ビジネスリーダーは自分の部下一人ひとりのことをよく知っておく必要があるのです。
仏教から見れば家族ですから、自分の家で何か事件が起きたら、課長や部長、トップの上司の方は「それは大丈夫だよ」ということで助けてあげることができます。施しというのは、お見舞いに行く、家に行って様子を見るなど、いろいろあるのです。

例えば、日本の社会では、女性が結婚してから仕事をするのは難しいです。皆さん、もし機会があったら、スリランカに行ってみてください。学校が休みの日、子供たちは母親の仕事場をうろうろして、遊んでいたりします。ある日、私が銀行へ行くと、お金を受け渡しするカウンターに小さな子供がいて、いろいろな人としゃべっているのです。女性たちは中で仕事をして、学校が休みなので子供連れで銀行に仕事に来ていたのです。それで、みんなに自分の子供と遊んでくださいと言う。それは日本ならすごく変でしょう。
でも、我々は全然変だとは思いません。ですから大学のトップにも女性たちはいるし、裁判官もけっこういます。結婚で仕事を辞めるということは、考えたこともないのです。その代わり、育児休暇はあります。子供を産むと、半年か一年の有給休暇が取れます。

このように、部下の子供たちと少し話してみるということさえも「施し」になります。具体的に考えようとするとややこしくてたまりませんので、論理的なところで、「施し」という一言で憶えておくとよいと思います。
与えることであり、与える内容はそのつど判断するのだと。

与えるというのは、物の交換ではなく、心の交換です。リーダーは部下を精神的に助けてあげる。精神的に助けてあげたら、部下も精神的にリーダーと一緒になるのです。
そうなれば、言うことも聞くし、命令もできるし、怒鳴ることもできるし、しっかりしろと言うこともできる。家族になってしまったのだから、何ということもありません。第一にそれをよく理解しておきましょう。

リーダーになるための教え2:愛語

二番目は、パーリ語でペィヤワッジャ peyyavajjaです。日本語に訳すと「愛語(優しい言葉)」という意味です。
これを、仏教ではすごく厳しく実践します。人間と人間のコミュニケーションは、ほとんどが言葉です。その言葉の中にはいろいろな意味が入っているので、使うときには気をつけなくてはいけません。それが相手の人にさまざまな反応を起こすのです。
心ない一言が相手の心を傷つけてしまうかもしれません。言葉は手で殴るより厳しいのです。言葉は爆弾にもなるし花束にもなります。ですから、うかつにしゃべるのではなく、落ち着いて丁寧に、よく考えてしゃべらなくてはならないのです。

同時に、相手が気持ちよく、喜んで受け取れる方法、プレゼンテーションが必要です。すごく格好をつけてデータ分析をしても、心に入ってはきません。優しい言葉で、楽しい調子でしゃべらなくてはいけないのです。

例えば、北野武さんが来たら、それで番組ができて何の苦労もないとプロデューサーが言います。その理由はプレゼンテーションのうまさです。どこかで何かねじって変なことを言うのですが、実はものすごく観察して言っているのです。
やはり、そういう人々はけっこう成功しています。peyyavajja(愛語)、つまり言葉の管理が見事にできているのです。人と人とのつながりは、言葉によって成り立っています。我々は徹底的に言葉に気をつけなくてはいけません。

大学の授業で、寝ている学生に向かって、「あなたたちは学生でしょう。勉強するのが仕事でしょう。しっかりやりなさい」と理屈を言っても通じません。先生は、学生たちが勉強せずにはいられないように教えなくてはいけません。それが先生の仕事です。どのように言うかが大事なのです。

先生がすごく面白くプレゼンテーションすれば、学生は勉強したくなってしまって、勝手にやるのです。皆さんも、結婚式のスピーチができなくてもいいのです。しかし、仕事ではそうはいきません。
自分がプロである世界では、口下手ではだめなのです。何とか冗談を言って、何とか面白く、何とか楽しく、相手の心が穏やかになる、気持ちよくなるような言葉をしゃべらなければなりません。
お釈迦様がおっしゃっているのは、ただ呪文を唱えるのではなく、自分も成長し、周りも成長させながら成功に至る道です。

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この施本のデータ

ブッダの経営論
ビジネスリーダーの人間力 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2013年