施本文庫

ブッダの経営論

ビジネスリーダーの人間力 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

質疑5:和合の教えは民主主義

Q:仏教の経典を読むと、お釈迦さまは弟子たちに繰り返し「和合しなさい」と諭しています。この「和合」という教えについて、私たち一般社会に住む者にも役立つポイントを教えていただけないでしょうか。

A:お釈迦さまはその生涯を通じて、一生懸命、人々に和合の生き方を教えようとしてきたのです。仏教の和合は、「水と牛乳が混ざり合うように、違う性質の液体を混ぜても見事に同じものになってしまう」という喩えで表現されます。

現代的な言葉でいえば、それは民主主義の教えです。一人ひとりが違っても、皆が一緒に生活するならば、見事に一つになって調和することです。インドにはガンガーやヤムナーといった大小数限りない河川があります。それぞれの川の水は同じではないが、やがて海に注ぎ込みます。海に入ったら、「私はかつて聖なるガンジス川から入った水だから、お前は近づくなよ」なんて笑い話でしょう。一つになるのです。

ブッダの世界に入ったら、どんな富豪でもホームレスでも、性別や肌の色がどうであれ、カーストがどうであれ、皆仲間だと、そうやって和合するのが最高の幸福だと、お釈迦さまは説かれたのです。しかし、皆それをやりたがらないのですね。我を張って、個性、アイデンティティを発揮したがるのです。

お釈迦さまは出家に限らず俗世間の人々に対しても、人間は平等で民主主義で生きるべきですよ、自我を張ることなく、自分の持っている能力で皆に貢献しなさい、と教えたのです。自分の能力で周りに貢献すれば、そこに充実感が生まれます。周りにとっても、その人は有難くて仕方がない存在になるのです。
しかし「自分を特別に褒めてくれ」なんていう気持ちが生まれてくると、ややこしくなります。そうやって自我を張る人は、あらゆる問題を作るのです。

人はうまく行っている社会のありさまをみて、だれかが中央でコントロールしていると勘違いしがちです。その思考で恐ろしい「神」まで生まれたのです。
しかし、生命の世界に指導者はいません。管理人もいません。川の水が海で一味になるように、生命の世界はお互い支えあうことで総合的に成り立っているのです。人間の社会でも、うまく行っているのは「偉大なる指導者のおかげ」ではないのです。人々がお互いに支えあい、貢献しあって和合を保つことで、住みやすい社会が成り立つのです。逆に、社会に問題があるならば、組織がうまく機能していないならば、どこかに「自分は特別」という自我の病が見つかるはずです。

質疑6:リーダーのいない組織は可能か

Q:「現代的な言葉でいえば、それ(和合)は民主主義の教え」という言葉をお聞きして、和合の大切さが分かった気がします。しかし実際問題、政治制度は「民主主義」になっても、人間が組織を作ると必ず強力なリーダーが現れます。指導者のいない組織というのはなかなかイメージできません。仏教の組織論について、もう少し教えていただけないでしょうか?

A:仏教は「独裁者がいない世界」なのです。仏教は独裁的なリーダーを作らずに、民主主義で仲良く活動できないかと、世にありえないことを実践しているのです。生命は本来、自由でしょうし、束縛されていることは問題なので、その問題を解決しましょうとお釈迦さまは仰っているのです。
「縛られていると苦しいから、それから救われるために他の独裁者に従ってください」というのが世の中にある宗教です。それは、やけどで苦しんでいる人に、こちらの焚き火に飛び込んでくださいと勧めるようなものです。宗教とは、小さな苦しみを大きな苦しみで隠してやろうということです。

お釈迦さまは、生命は本来自由であると説きました。しかし、現実には自由ではない。自由でないのは他人のせいではなく、自分のせいであると教えたのです。生命は束縛されている環境のなかで、いろんなものに執着して離れられなくなって、他に依存して生きています。お釈迦さまは自分の心を自由にすべきではないかと仰って、そのための方法を示したのです。

皆さん組織を作るのはいいけれど、束縛しあう関係ではなく、仲間として生きていくことが大切です。民主的に組織運営するには、慣れてないと難しいのです。理性が必要なのです。誰かがマネジメントすると、リーダーになって他の人々に命令したがります。それは民主主義にならないのです。
先程も言ったように、民主主義は各自が持っている能力を、社会のために提供することです。お互いの能力を出した時に、民主主義の組織になる。それで、お互いに幸せです。みな自分ができることをやっているのだから、自分は楽しいし、周りにとっても楽で便利なんです。周りも自然に心が明るくなって、助かった、よかったと喜んでくれる。

できる能力を提供するというのはいたって簡単なことです。世間では能力がないのに努力することを褒めるが、仏教はそれに大反対です。民主主義の組織では、無理なことを努力するべきではないのです。人間、何かしらできることがあります。自分にできることで仲間に貢献してあげるのが大切です。これはぜんぜん無理ではないし、楽しいことです。何かをやって楽しいか否かというポイントをチェックしてみてください。できないことをやっていると楽しくない。できることをやっていると楽しくなって、時間も忘れて、過労もまったくないのです。

そういう組織・仲間ができればいかに幸福で楽しいかということです。しかし、そのためには理性が必要です。自我を張ることではないのです。
自我を張ると、自分にできないことまでしようとします。人を抑えつけて、管理しようとします。偉そうに命令しようとします。そういう振る舞いは、自我を張ったということです。それで皆、嫌になって協力しなくなってしまう。人々をあらゆる規則で束縛しないといけなくなる。それで強力なリーダーが現れて、恐ろしい独裁的な組織ができあがってしまうのです。

リーダーが必要だと思うのは、少々勘違いです。リーダーに管理される組織は、自由ではありません。そのような組織のメンバーになることは、自分が喜んで束縛の条件を呑むことになります。
何かの目的があって組織を作ります。その組織の全員がその目的に達するために努力しなくてはいけないのです。それだけでも、和合を保てます。調和が生まれます。それでメンバーたちのなかで皆、様々な能力を持っています。一人が明確に理解しやすく喋るのは上手です。皆に必要な情報をアナウンスすることは、その人がやれば楽です。管理能力がある人がいます。その人が組織の運営などを管理すればよいのです。皆に愛される人気者がいます。その人はリーダーとしてまとめ役をすればよいのです。文章を書ける人は文章を書く、絵の能力がある人はイラストを描いてあげる、などの各々が持っている能力を出しあうならば、文字通りの民主主義的な組織になることでしょう。

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ブッダの経営論
ビジネスリーダーの人間力 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2013年