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わたしたち不満族

満たされないのはなぜ? 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

4 不満を満たせない仕組み

田中という名の男性がいるとしましょう。
田中さんは生まれたとき「田中」という名字をもらいました。その田中という名字は、二十歳になっても四十歳になっても八十歳になっても変わらず、ずっと田中のままです。
しかし、人間の中身のほうは、身体もこころも、絶えず変化しています。赤ちゃんが子供になり、小学生、中学生、高校生になり、成人し、中年になって、老年になるのです。

このように中身は常に変わっていますし、質的にも全く違うものなのです。
赤ちゃんと六十歳の男性とでは、身体もこころも全く質が違うでしょう。質が違うのに、わたしたちは同じ名前を持ち続けているのです。

ここから仮に、時間の経過とともに「田中」という名前を変えることにしてみましょう。ある瞬間を田中さんと言ったなら、別の瞬間には田中さんではなく、名前を変えて別の名前にするのです。
そこで、あるとき、田中さんがBという品物を見て「これが欲しい」と思いました。しかし、田中さんは時間とともに変化します。その変化した人を「中田さん」としましょう。田中さんはもういません。中田さんに変化してしまったのです。また「B」という品物も、時間の経過とともに変化して「C」という品物に変わりました。

初めは「田中さんがBを欲しい」と思っていたのです。しかし、結果として「中田さんがCを得る」ということになったのです。
田中さんがBという物が欲しかったところを、中田さんがCをもらってどうなるのでしょうか。中田さんにはCが必要なのでしょうか。

田中さんは、Bが欲しいと思ったその瞬間にBが得られたら楽しいでしょう。しかし、田中さんもBも瞬間瞬間変化していますから、「田中さんがBを得る」ということは不可能なのです。

ですから、欲しいと思ったものは得られないのです。せいぜいできるのは「中田さんがCを得る」ことです。でもこれでは意味がありません。中田さんにはBもCも必要ないのです。中田さんがCを得たのは田中さんがBを欲しいと思ったからであって、中田さんが望んだものではありません。

このように、わたしたちも希望や願望、欲しいものがたくさんあるでしょうが、それらは決して叶わないものなのです。

もう一つ例を挙げましょう。
二十歳の若者が車を欲しがっています。彼女をドライブに連れて行きたいと考えているのです。でも若者はまだ二十歳で、お金がありませんから車を買うことができません。
そこで仕事をしてお金を貯めることにしました。それから十五年が経ち、若者は三十五歳になりました。結婚もして、子供も二人いて、貯金もいくらかあります。それでずっと欲しかった念願の車をようやく手に入れることができました。

しかし、そのときはもう遅いのです。二十歳のときに求めていた楽しみを得ることはできないのです。当時の彼女はいませんし、ロマンチックにドライブすることもできません。
今いるのは奥さんと二人の子供で、いつも奥さんに「買い物に行くから車で送ってちょうだい」と引っ張られるのです。
二十歳のときに車があったなら最高に幸せだったでしょう。でも今はそのときと状況がまるっきり違うのです。

いつでも「時間のずれ」があります。「二十歳の若者」と「妻子を持つ男性」とでは全くの別人です。自分もまわりもすべて刻一刻と変化しているのです。
ですから、満足することも、希望や願望が叶うことも不可能なのです。あるのは「こんなはずではなかった」という失望感と不満感。
これが無常から生じる結果なのです。不満を満たすことはできません。

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わたしたち不満族
満たされないのはなぜ? 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2006年9月23日