施本文庫

初期仏教の「女性・男性」論

~女性こそ社会の主役、男性は暇な脇役です~ 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

2 一般社会の女性論

女性の辞書に「控えめ」はない

では次に、一般社会の女性論・男性論を分析していきましょう。
まず女性ですが、世間一般の女性のイメージは、どのようなものでしょうか。「女性は控えめがいい」「夫の一歩後ろを」などと、よく言われます。しかし、実際は「控えめに」は女性の辞書にない単語です。それは、女性の天職を考えれば当然のことでもあります。

女性には大きな天職があります。最初にもお話ししました。その天職とは、「新たな生命をつくって、育てること」です。女性はすべての生命を生み、育てる存在なのです。

「神」が創った人間は、これまでにたった二人、アダムとイヴだけです。しかし、女性たちはどれだけ人間をつくってきたことでしょう。神がまったくかなわないほどの生命をつくってきたのは女性たちです。神より偉大です。

人間だけでなく、どんなfemale/メスの生命も簡単に子どもをつくります。一匹の鮭が、一度に四千個もの産卵をします。全部稚魚になることは難しいですが、それにしてもたくさんの生命を生み出すという、神にはとてもできない仕事を、いとも簡単に成し遂げるのです。
さらに女性は、生命をつくるだけでなく、育て、(しつけ)します。人間だけでなく、猿も、猫も、虎も、女性たちが育てて躾しています。ですから、生命を育てている女性は「控えめに」などと言っている場合ではないのです。何としても子どもたちの命を守って育てようと、必死に天職に励みます。

女性差別主義者をつくるのは女性

人間は、女性たちによって生み出され、育てられ、躾されます。女性蔑視する人であっても、女性の躾によって、女性を蔑視する人になっているのです。偉そうに女性を蔑視する言動をとる男の人は、実は女性の躾どおりに振る舞っているだけなのです。
たとえば「男は偉い」と母親に言われ続ければ「男はすごい、女はだめだ」という性格に育つでしょう。母親に言われた「男は偉い」というそのままのことを実践しているだけ、言いなりです。あるいは、「男子厨房に入らず」とか、「あなたは男でしょう」という言葉も一般的ですね。そう言われることで男性に根付いた「男尊女卑」の思考さえも、女性が刷り込んでいるのです。
ですから、男性の意見に「その考えは女性蔑視だ、あなた方は男尊女卑だ」と反論する女性がいたとしても、「今さら私たち弱い男性に文句を言わないでください」と言いたいところなのです。男の男尊女卑発言の大元をたどれば、裏で女性が糸を引いているのです。

女性の影響力は、恐ろしいほど強力です。我々が地球の引力から離れられないように、生命は女性の影響から解放されません。女性というのは管理者です。しかもすごい管理の達人なのです。あらゆる方法で自分が生んだ生命を管理します。

女性の優れた管理能力

女性が、明らかな管理者として管理する場合、上から「こうしなさい、ああしなさい」と命令します。たまたま私が見た例があります。激怒のあまりヤクザかと思うほど凶暴な状態になっている男たちのけんかの現場でした。包丁を持って刺そうとまでしている大げんかでした。その(いさか)いを年老いた母親が聞きつけ、何のことなく堂々とけんかの場所へ現れて、「おまえ、何をやっているの、家に帰りなさい」とひと言、強く言ったのです。それで解決。それまで、いくら周りにいる男たちが止めようとしても「殺してやる!」とすごい剣幕だった男が、お母さんのひと言で、「はい、わかりました」と従順になって帰るのです。
あの女性の力は、計り知れないほど強烈な管理力です。ずっと育ててもらうあいだに内側から管理されているので、逆らえないのです。これが一番目の管理の方法です。

話し合い、説得で管理する場合もあります。話し合いも女性のほうが上手です。例えば会社の仕事で、どうしても結びたい契約があったら、女の人を送り込めばたいてい成功します。交渉ごとに強いのです。それは、話し合って、「お互いにとって有益だから契約を結びましょう」と、頭で理解した上で行う男の契約とは性質が違います。女性の場合は、理論は考えず、とにかく契約成立という目的に向かって、上手に相手を管理して達成するのです。最終的に「私の言う通りにしなさい」という形で成約してしまうのです。ですから、時には女帝・鬼のように、独裁的に管理する場合もあります。別に悪気はありません。ただ、思うように管理したいだけです。

あるいはまったく正反対に、「はいはい、ご主人様、旦那様」という調子で管理する場合もあります。秋葉原のメイドカフェは、まさにそれです。メイド服の女の子にソフトクリームを食べさせてもらったり、「ご主人様、ご気分はいかがでしょうか」と優しく聞かれたりすると、男たちはすっかり調子に乗って、本当にご主人様になった気分です。愚かもいいところで、あれは、まんまと管理されているのです。しかし、見事な管理とも言えます。いろいろある管理の中でも、「控えめ」を演じた管理は効率が高いのです。世の多数派はこれを使います。その「控えめ」は演技です。嘘だと思いますか?

生む、育てる、守る

先にお話ししたように、命を生むこと、育てること、守ること、心配することなどは、仏教的には「性色的に女性に入っている項目」となります。現代的な言葉を使えば、「女性の身体の遺伝的情報として、命を生むこと、育てること、守ること、心配することが備わっている」となります。そして心にも、その記録は無意識的にあります。身体が女性であれば、生むこと、育てること、守ること、心配することなどの情報が、心に無意識的に入っているのです。

ですから、優しく接する、応援する、面倒を見るという積極的にアプローチするやり方にしろ、あるいは助けてもらう、守ってもらう、養ってもらうなどの受動的なやり方にしろ、いずれにしても、とにかく女性は他の生命を管理します。

時々、女性は「もう本当に男性に助けてもらって、養ってもらって感謝しています」というようなことを言うでしょう。それこそが管理なのです。そう言われれば、男は調子に乗って「やはり女性は弱いから、強い俺様が助けてあげなくては」「必死で仕事をして贅沢をさせてあげよう」などと思うでしょう。女性は「あなたのおかげで楽をさせてもらっています」などと言う。そうやって、その男を素晴らしく見事に管理しているのです。

優しさという管理

「女性というのは本来、優しい」という考えがありますね。それは嘘ではありません。本来、女性は優しいのです。簡単にけんかするのは男性です。
しかし、女性の優しさは管理に直結したものです。すごく優しく、きめ細やかに配慮したりすることで管理してしまうので、どんなに力が強い男でも逆らえないのです。

この私にしても、基本的に人の言うことはまったく聞かない頑固な性格であっても、管理されます。私は、たとえ数百人の男から、「こうしてください」と言われても、自分がそう思わなければまったく気にもしないで思うところを通します。しかし、一人の女性に、優しく「そんなこと言わないで、みんなが言っているのですから」と言われたら、「はい、わかりました」と何のことなくやってしまったりするのです。そうしながら私は、「どういうことだろう? 本当はやりたくなかったのに、どういうわけでやっているのだろう」と途中で思ったりします。

女性という生命体は、男性という生命体を管理するのです。私も生き物ですから、その操られている糸からは解放されません。結婚しているか、していないかは関係ありません。独身でいようが、我々みたいに出家していようが関係なく、見事に女性が男性を管理しています。現に、タイでもミャンマーでもスリランカでも、お寺は全部女性が管理しています。

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初期仏教の「女性・男性」論
~女性こそ社会の主役、男性は暇な脇役です~ 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2011年