施本文庫

充実感こそ最高の財産

今、この瞬間を生き切ればいい 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

飛びまわる心 

問題はこれだけで終わりません。心が今やっている仕事に集中しないのです。たとえばジャガイモの皮を剥いているとしましょう。そのとき心は、ジャガイモを剥く行為だけに専念しないで、子供のことを心配したり、昨日見たテレビドラマのことを考えたり、週末の予定を考えたりと、あっちこっちに飛びまわっているのです。 

学校で授業を受けている子供たちも、一見、先生の話をまじめに聞いているように見えますが、頭の中では「早く授業が終わらないかな」とか、「今日の弁当は何だろう」とか「放課後、何をして遊ぼうか」などと、勉強とは全く無関係のことに忙しく心が飛びまわっているんですね。 

会社で仕事をしているときも、過去や将来のこと、家のことなど、勝手気儘に心が飛びまわっています。 

心が飛びまわると、今やっている仕事に集中できますか? できませんね。それで、ちょっとしたミスをしたりするのです。このようにただでさえ時間に追われて生活しているのに、集中力が欠如するとさらに時間を無駄に使うことになります。15分で終わる仕事に一時間もかかってしまう。そうすると、次の仕事をするための時間が少しずつ減っていくでしょう。 

どうでしょうか、私たちの生き方というのは。日々の義務を果たすだけでも24時間かかるのに、義理や守ることでさらに時間がなくなってしまう。そのうえ一つひとつの仕事に集中して取り組めないため、必要以上に時間を費やしてしまうことになるのです。たとえ一日を一週間くらいの長さに引き延ばしたとしても、まだ時間は足りないと思いますよ。
これは国の赤字国債と同じです。増える一方で、減る見込みはないのです。これはすべて無知が原因なのです。 

「あせり」は失敗のもと 

それから、心が今やるべき仕事に集中しないとちょっとした問題が起きます。心に喜びが生まれてこないのです。 

たとえば料理を作るとき、「早く、早く」と焦って大慌てでやると、心が混乱して失敗が多くなります。材料が足りないとか、調味料を入れ忘れたとかね。そうするとさらに心はあせってイライラしてしまうのです。 

会社の仕事が終わったら、居酒屋に直行して愚痴をこぼしながら酒を飲んでいる男性の方も少なくないと思います。会社では上司に、「何をやっているんだ、早くやれ!」と急かされて、落ちついて仕事をすることができないんですね。あせればあせるほど仕事がいい加減になり、中途半端になるのです。そして心はイライラして、ストレスだけが溜まってしまうのです。 

ですから、どんな仕事でも、たとえ小さなことでも、一つひとつあせらずに集中してやってみてください。そうすれば、心に楽しみが生まれてくるのです。この楽しみが充実感なんですね。
普段の生活の中で何かの仕事を最後まで成し遂げたとき、「やったぞ、できたぞ、終わったぞ!」という充実した気持ちを感じませんか? この充実感が、心のイライラを消してくれるのです。
仏教では人間の心を「心猿」monkey mindと呼んでいます。枝から枝へと飛び移る猿のように、私たちの心は落ち着きがなく、あっちこっちに飛びまわっているという意味です。一ヶ所に止まること、一つの仕事を最後まで成し遂げること、心にはそれができないのです。そのために人生そのものが完全な失敗で終わってしまうのです。 

「終了宣言」から生まれる心のやすらぎ 

幸せは、美味しいごはんにあるのではありません。大金持ちになることでも、プール付きの豪邸に住むことでもありません。幸せとは「心の喜び」のことをいうのです。 

では、いったいどうすれば心に喜びが生まれるのでしょうか? それには「終わった」という気持ちが必要なんですね。「やったよ、終わったよ」という自慢に思えるような気持ち。めまぐるしく回転している心には、終了宣言が必要なのです。終了宣言をしないかぎり、心は不安定なままなのです。

大事な仕事を途中で中断してみてください。そのときから心は不安定になりませんか? 締め切りがある場合は特にそうですが、仕事をまだやっていない、手をつけていない、終わっていない、あるいは後回しにしている、そのときの気持ちはどうですか? かなり苦しいのです。重要な仕事だけではなく、どんな小さなことでも「今はいいや、後にしよう」と先延ばしにすると、心はものすごく不安定になるのです。イライラして楽しみが消えてしまうのです。 

おもしろい番組があるからといって、仕事を後回しにしてテレビ見るとどうなりますか? テレビを見ていても、「仕事をしなくちゃ、でもテレビを見たい。でも仕事しなくちゃ、でもテレビを見たい!」と心が激しく揺れ動くんですね。そうするとテレビを見る楽しみも消えるし、仕事をしなかったことの苦しみも増えるでしょう。それで仕事を始めようとするともう遅い。時間がないのです。だって時間はテレビにとられてしまいましたからね。
それで「あー、テレビを見なければよかった」と後悔して自分を責めてしまうのです。終了宣言で慰めてほしいと期待していた心が、結局責められてしまうのです。
そして「失望」という苦しみを受けるのです。私たちの生き方はこのようなものです。 

幸福というのは「終了宣言」のことです。どんなに些細なことでも、それを終了した瞬間に心はやすらぎを感じるのです。私たちは24時間という限られた時間の中でいろいろなことをやっているでしょう。その一つひとつの行動を、その場その場できちんと終了して「終わりました」と確認することが大切なのです。
そうするとどうなるでしょうか? 瞬間瞬間、心にやすらぎを感じませんか? 喜びを感じませんか? 心に「終了宣言」をインプットする、そうすることで心に安らぎが生まれてくるのです。 

涅槃は最高の幸福なり 

お釈迦さまが悟りに至った道もそのような道でした。悟りをひらかれたときも「終了宣言」をされたのです。それは生きるという行為すべてに対する終了宣言です。どれほどのやすらぎを感じると思いますか。 

仏典には Kataṃ(カタン) karaṇīyaṃ(カラニーヤン)「為すべきことは為し終えた」と記されています。修行すべきことは修行し終えました、これからやることは何もありませんという意味です。これが人間にできる究極的な終了宣言なのです。ですから涅槃は最高の幸福 Nibbānaṃ(ニッバーナン) paramaṃ(パラマン) sukhaṃ(スカン)なのです。 

Nibbānaṃ 涅槃こそが、paramaṃ 最高の、 sukhaṃ 幸福である。
論理的に考えてもお釈迦さまのこの言葉の意味が分かると思います。 

日常生活の中で何かの仕事を最後まで成し遂げたとき、「終わった、やったぞ」と思う瞬間で心に喜びを感じませんか? 解脱というのはその延長線上にあるのです。決してわけのわからない神秘的なものではないのです。 

ストレスの炎を消し、楽に生きる 

これまで見てきましたように、私たちには仕事が多すぎます。たとえ地球をゆっくり回転させて一日を一週間の長さに延ばしたとしても、まだやっていない仕事がたくさん残っているのです。そのぐらい忙しいんですね。
そのうえ願望や希望、欲望もあるでしょう。「あれもやりたい、これもやりたい、あれも欲しい、これも欲しい」ときりがない!このように、心は休むことなく走りまわっているのです。結果として、やらなければならない仕事を途中でやめてしまったり、手をぬいたり、後回しにすることになるのです。そうすると心がイライラして不安定になりますね。それがストレスというものなのです。 

私たちはどこまで苦しみ、どこまでストレスを溜めれば気が済むのでしょうか。お釈迦さまは次のような譬えをあげて、人間のストレスの量を説明しています。 

「巨大な穴の中に真っ赤に燃えた炭火が入っている。身体を槍で突き刺され、その穴の中に入れられて、グルグルかきまわされているような状態だ」と。身体を槍で突き刺されただけでも大変な痛みでしょう。そのうえ豚の丸焼きみたいに、真っ赤に燃える火の穴に放り込まれて、グルグルとかきまわされているというのです。とんでもない苦しみだと思いませんか。 

どんな人でも瞬間瞬間このぐらいの強烈な痛みを感じているのです。そして生まれてから一度もこの苦しみから解放されたことがないのです。生まれて以来ずっと溶岩の中で生きているようなものですから、それに慣れっこになってしまい、自分がくるしんでいることさえも気がつかないのです。だれかと比較すれば気がつくでしょうが、残念なことに、苦しんでいない生命は一人もいないのです。 

みんな溶岩の中にいるのです。大きな布で身体を覆えば、少し楽になるかもしれません。でもそれだけであの強烈な熱さは消えますか? ほんの一瞬は消えるかもしれません。でも次の瞬間にはその布にも火が燃え移り、さらに苦痛を感じることになるのです。 

この譬えのように、私たちもストレスを消そうと様々な工夫をしています。が、かえってそれがさらなるストレスを生みだしているのです。
このように、いい加減に、中途半端で生きていると、ストレスだけが増幅し、やるべき仕事は失敗してしまうのです。そうすると「あー、失敗してしまった」という後悔が生まれ、自信も失ってしまうのです。この世の中で堂々と生きている人間は少ないでしょう。みんなどこか不安で自信がないのですね。もし瞬間瞬間の仕事を終了宣言までするならば、「失敗しなかった、よくできました」という自信が湧いてきます。そして充実感も得られるのです。 

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充実感こそ最高の財産
今、この瞬間を生き切ればいい 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2002年9月