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充実感こそ最高の財産

今、この瞬間を生き切ればいい 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

我慢することは美徳? 

多くの日本人は、我慢することは美徳であると考えています。でも本当にそうでしょうか。皆さんはどんなときに「我慢」しますか? 自分にとって何かイヤなことがあるときでしょう。楽しいことや好きなことをするときには、我慢なんかする必要ありませんね。本当はやりたくないだけどやらなくちゃいけない、そういうときに我慢するのです。
ですから心にストレスが溜まるのは言うまでもありません。そしてこの「イヤ」「やりたくない」という気持ちは怒りですから、我慢することは美徳どころか、悪行為になるのです。 

たとえば仕事中、急にお腹が痛くなったとしましょう。お腹の痛みぐらいで会社を早退するわけにはいきませんから、たいていの人は痛みを「我慢」して強引に仕事を続けようとします。でも心の中では「なんでこんなときに腹が痛くなるんだ、仕事ができないじゃないか」と、痛みに対して文句を言っているのです。でもなぜ「痛みはイヤだ」と思うんですかね? 痛みというのは自然な現象でしょうし、いくら「イヤだ、イヤだ」ともがいても、その痛みが消えるはずがないのに。 

だから「痛みを消したい」という気持ちはいったん置いておいて、その痛みを客観的に観察してみればいいのです。たとえば、「お腹が痛い。お腹といっても上の方がチクチクしている感じ。身体も全体的に重くてだるい。食欲もない。あーなるほど、今こういう状態だ」と。
そうすれば我慢することは成り立たなくなるんですね。痛みだけでなく、世の中のどんなことに関しても、「ものごとはそんなもんだ」と客観的にクールに観ていれば、我慢する必要はなくなるのです。 

事実をありのままに観る「智慧」 

仏教は「無常」を説いています。どんなものでも瞬間瞬間変化してゆきます。 
古いものは消え、新しいものが生まれています。この変化に対して常に心を開いておくことが重要である、と仏教は言っているのです。つまり、変化といっしょに生きるということです。そうすれば何か問題が起きたときも、その場で適切に調整し、対処することができるというわけです。 

ものごとは瞬間たりとも止まることなく変化しています。このことを理解するには鋭い智慧が必要です。智慧とは、貪瞋痴で見方を歪曲させないこと、余計な判断をしないこと、事実を如実に観ること、を言うのです。 

たとえばある人が「Aさんは悪い人だ」と言ったとしましょう。その言葉を鵜呑みにして、自分も「Aさんは悪い人だ」といきなり信じてしまうのは智慧があるとは言えません。そうではなくて「この人は『Aさんが悪い人だ』と言っている」と観るだけで何も判断しないこと、それが智慧なのです。 

もしその人に「私の話をちゃんと聞いていたんですか?」と聞かれたなら、「はい、あなたが『Aさんは悪い人だ』と言ったことは聞きました。でもなぜ悪い人だと言うんですか? 証拠があるなら教えていただけますか?」と聞き返せば何も問題は起こりません。証拠があれば、それが客観的な判断か、その人の主観的な判断かはちゃんとわかりますからね。たとえ客観的な証拠があったとしても、やはり自分自身で、それが本当かどうかを調べてみたほうがしっかりします。 

このように何も判断しないで、入った情報は単なる情報として止めるようにする、その楽な生き方が智慧の生き方なのです。 

「忍耐」は耐えることではありません 

仏教に「忍耐」という言葉があります。パーリ語でkhantī〈カンティー〉と言います。サンスクリット語では〈クシャーンティ〉と言い、ヒンドゥー教の人々は「クシャーンティ、クシャーンティ」と言って互いに挨拶を交わしています。 

では「忍耐」とは何でしょう? 日本人の間では昔から、苦しいことや辛いことを我慢して耐え忍ぶことを忍耐と言っているようですが、仏教ではちょっと意味が違います。忍耐とは心の平安や平和を意味するんですね。 

お釈迦さまは比丘たちに「忍耐しなさい」とよくおっしゃいました。では何を? 「寒いとき、暑いとき、蚊や虫に刺されたとき、空腹のとき、のどが渇いたとき、人に非難されたとき……、忍耐しなさい」とおっしゃったのです。これは「我慢しろ!」という意味ではなく、「落ちついていなさい、平和な心を保ちなさい」ということなのです。 

私たちは、他人にちょっと褒められただけで上機嫌になって、すぐに舞い上がってしまうでしょう。舞い上がると心に大きな波が生じて、落ちつきが失われ、智慧が消えてしまうんですね。ですから、褒められても舞い上がらずに平和な心でいなさい、とお釈迦さまは教えているのです。 

それから、辛いことや苦しいことに出遭ったときも、イライラしたり逃げ出したりせずに落ちついていることが大切です。 
たとえば寒さが厳しいとき、うだるように暑いとき、暴風のとき、虫に刺されたときなど、冥想するのがちょっとむずかしい、と思うかもしれません。でも、「せっかく冥想しているのに全然集中できない!」といらだちを起こしてしまうと、瞬時に心の平和が壊れてしまうでしょう。ここで忍耐が必要になるのです。忍耐して、心の落ちつきを保って、冥想を続けていくことが非常に大事なのです。 

また、生きていれば災害や事故などの予期せぬ困難に出遭うものです。それは避けられないことです。たとえば山に登っている途中で遭難したとしましょう。そのとき「大変だ、どうしよう!」と言って、混乱したり怯えたりしても、全然問題は解決しないでしょう。パニックを起こすと死ぬことさえあります。
そうではなくて、冷静に「まあこういうこともある」と落ちついていれば、次に「どうするべきか」という道が見えてくるのです。この落ちついている状態が忍耐なのです。 

褒められても舞い上がらず、貶されても機嫌を悪くしない、どんなときでも心が落ちついている状態のことを、仏教では「忍耐」といいます。これは立派な人にしかできない生き方です。 

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充実感こそ最高の財産
今、この瞬間を生き切ればいい 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2002年9月