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こころのセキュリティ

爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

あなたの人生に責任をもってくれる存在

「神話やおとぎ話を否定するけれど、仏教にもそういう『ジャータカ物語』という教典があるではないか」と言われる方がいます。『ジャータカ物語』はお釈迦さまの過去生の物語で、全部で五五〇ぐらいの物語があります。そのなかには、たしかに神話的な特色のある話も数多く出てきます。動物が人間と話したり、平等に扱われない不幸な人が神霊に助けられたり、悪霊から救ってもらったり、貧しい人が億万長者になるなどの挿話がずいぶんあります。

でも、これらのエピソードを私たちが愛読している神話などと比較してみると、ひとつの明らかな違いのあることに気がつきます。『ジャータカ物語』に出てくる話は、どれひとつ取ってみても神の力だけで、ただ祈るだけで超能力的な希望が叶えられるものはありません。超能力的な施しを受ける前に、すべてまず自分のやっていることが善行為であること、いつもこころを育てる精進に励んでいる、道徳をきちんと守っているということが前提になっているのです。それらの条件を満たしたとき、はじめて人格向上を目的とした希望の結果を得ることができるのです。
苦しいときの神頼みや、努力や精進を怠った願いごとは、いっさい叶えてくれません。『ジャータカ物語』も、ほかの仏教の経典のエピソードも、すべてそれが大きなポイントとなっているのです。

仏教では、病気を早く治したり商売で成功を収めること、また幸福で豊かな生活を送ることを否定などはしていません。むしろ、そういう幸福を願うことは自然であると言っています。ただ、そういう幸福を望むルートの問題を指摘し、注意を促しているのです。現代の人びとは、あまりにも刹那的に、利己的にその実現をめざすので、結果を求める方法について混乱し、わからなくなっているのではないかと心配しているのです。努力なしに得られる結果は、不幸と苦しみだけです。
こころを育てること、それこそすべての人びとが最優先にやるべきことであり、それさえできれば、超能力などというありもしない非論理的で非現実的な、叶わない夢を追いかけなくても、もっと現実的で具体的な幸福に到達することができると強調しているのです。

超能力や神秘、迷信、ご利益などにとらわれた人生など、すぐにやめるべきです。こういうものにとらわれた生き方をしていると、こころの成長はスポイルされ、こころの力を喪わせるウイルスである欲、怒り、無知がコントロール不能になるまで増えつづけ、結局は願った希望とは逆の結果、つまり不幸を背負いこむことになるのです。

仏教は、このように人間のほんとうの生きる道、考えるべき方法を説いているのです。人生の、全体の管理の仕方について厳密なまでにアドバイスしているのです。人間にとってとても大切な命のことですから、仏教では徹底的に責任をもって、慈しみのこころで語っているのです。その語ることばも、意味が曖昧になって誤解を受けぬよう細心の注意を払って使っています。仏教の語っていることは、なにひとつの心配もなく信頼できる教えです。
しかもこういう教えにたいして、お釈迦さまは人びとからなにひとつも見返りを要求しないのです。お釈迦さまは自分自身にはもちろんのこと、弟子たちにたいしても、教えを説いた相手から見返りを受けることを、いっさい禁じました。このように、仏教は徹頭徹尾、人間の幸福についての方法を説いているのです。
ですから、疑問など抱かずにお釈迦さまの教えを素直に実践すれば、それだけでどんな人間も幸福になれるはずです。

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こころのセキュリティ
爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2002年9月