施本文庫

仏教の「無価値」論

 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

「価値」という妄想 

そこでお釈迦さまは、幸福の道として、俗次元の考えを乗り超えて、価値のつけられない視点を教えたのです。「すべてのものは瞬間瞬間、変化消滅していくのだ」とおっしゃるのです。「無常」を説かれたのです。
これが「無価値」の、「無執着」の世界です。生き方です。 

「価値」とは実際にあるものではなく、われわれの概念から出てくるもう一つの概念です。価値の世界は、具体性はほとんどない、頭の中に生まれる抽象的な概念なのです。わかりやすく言えば妄想です。 

たとえば「ダイヤはすごく高価なものである」と言っても、ダイヤが本来高価なものという意味ではないのです。一部の人間だけの概念です。もし「ダイヤはたいしたものでない」と世の中でみんなが決めたならば、ダイヤの価値はたちまち消えてしまうでしょう。
また、世の中で「ダイヤを身に着けたら不幸になるよ。家族親戚みんな、苦難に遭うよ。早死にするよ」というような話が広がったならば、「あんなもの買う必要はないんだ」ということになりますね(ダイヤの工業的な価値は具体的ではないでしょうか? 工業に価値があるからダイヤに価値があるのです。もし人間が工業はいらないと思ったら、ダイヤの工業的な価値も消えるでしょう)。
ですから、ダイヤの価値というのは、ただ人間の頭の中に現われる、たんなる妄想概念にすぎないのです。 

ダイヤだけではなく、世の中のすべてのものに人間は価値をつけるのです。この価値というのは概念のみです。「ただの概念だから、ほっといてもよいのではないか」と思って、落ち着いているわけにはいきません。この「価値」が、執着をつくるのです。束縛をつくるのです。自由を奪うのです。他に害を与えるのです。他を殺すのです。他に殺されるのです。争いを起こすのです。戦争を起こすのです。憂い、悲しみ、悩み、苦しみを生むのです。
この「価値」が、安らぎに、平和に、平安に、解脱に、厚い蓋を被せているのです。 

一切の苦しみをつくるこの「悪魔」が、残念なことに己のこころの中に永住しているのです。この悪魔は、じつはなんの実体もない、「価値」というたんなる妄想概念です。幻覚です。目が覚めればよいのです。 

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この施本のデータ

仏教の「無価値」論
 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2001年5月13日