智慧の扉

2007年2月号

「聞く耳」を養う

アルボムッレ・スマナサーラ長老

皆そう思っていないのですが、私たちのこころは全然、素直ではありません。いくら仏教を学んでも、こころはそう簡単に真理を受け入れない。ブッダの教えが真理だと知っていても、一切の現象は無常だと分かっていても、やっぱりこころからは認めないのです。

だからこそ、私たちには「精進」が成り立つのです。納得して理解した真理を、自分の性格に、こころに、叩き込むために精進努力して、真理が自らの智慧になる。それが「悟った」ということです。悟るためには、真理を認めたくないという、生来のこころのプログラムを強引に入れ替えないといけないのです。仏教の学問は、そのプロセスに沿って進みます。仏教を学ぶ順番は、すなわち悟る順番なのです。

日本の道元禅師は「森羅万象がブッダである、ブッダの教えである」という意味の歌を詠んでおられますね。私たちが「聞く耳」を持つならば、川も水も草も木も鳥も、真理を語っていることが分かるでしょう。「生きる意味とは何か?」と誰かに聞かなくても、青虫一匹を見れば、それが分かるはずなのです。「虫なんか気持ち悪い」と怯えて逃げる人は、妄想のとりこになって、真理を聞く耳を塞いでいるのです。自分も「気持ち悪い」細胞を何十キロも持っているのにね。

青虫はジリジリと、そのまま真理を語っています。「青虫にたとえて真理を語る」のではなく、「青虫が真理を語っている」のです。それが文学的には「青虫がブッダですよ」という表現になる。道元禅師は奇をてらったわけではなく、修行で体験した世界を淡々と語っただけなのです。

主観・固定概念を捨ててものごとを観察すれば、私たちの耳を塞いでいる「妄想」はほとんど消えます。妄想が消えると、理性が機能しはじめる。そこでようやく、私たちは真理を「聞く耳」を持てるようになるのです。

妄想をやめることにチャレンジして下さい。悟りはともかく、「観察すればするほど、いつでも面白い世界を生きられますよ」ということは保障します。

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