智慧の扉

2008年10月号

先祖供養は中身が大事

アルボムッレ・スマナサーラ長老

テーラワーダでは先祖供養をどうすればいいのか、何か特別な儀式があるのか、ということをよく訊かれます。私たちの「先祖供養」はとてもシンプルです。善行為をして、功徳を積んで、それを先祖に廻向するのです。

先祖が幸福であってほしいと思っても、そのためには、幸福になる原因が必要です。仏教は因果法則の教えなので、善行為の結果として幸福になる、悪行為の結果として不幸になると教えています。ですから、幸福の原因となるのは、善行為をしたその功徳なのです。自分にないものを、他人に差し上げることはできませんね。だから先祖供養しようと思ったら、自分が善行為をして、功徳ある人になって、それを先祖に廻向するしかありません。

現代社会のいわゆる先祖供養では、儀式が大げさになるほど、自分の社会的立場を心配した見栄っ張りの「自分の慰め」で終わっています。それよりは、「私はこれから、親の供養のために立派な人間になって生きていきます」と決意して励めばそれが立派な供養になるのです。

本来の仏教の先祖供養はずいぶんシンプルです。でも、ブッダの教えが生きている国々は、いつでも親子や親類の関係を大事にする文化を守っています。現代日本みたいに、「蚊を殺すように親を殺す」なんて事件はあり得ない。亡くなった親や先祖のことも心配して、熱心に先祖供養します。でもそんな派手に儀式はせずに、いつでも中身を考えています。それは「善行為して、その功徳を廻向する」ということに尽きます。