智慧の扉

2009年2月号

安定は妄想である

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 安定という妄想を追ってはいけません。不安でよいのです。起きた問題に対応することは、決して「安定」を作るためではないのです。結婚したからといって、パートナーがあなたに付いて来てくれると思ってはいけません。一日二日で出て行くかも。お互い仲良くすることさえ、一日一日の勝負なのです。必要なのは不安をなくすことではなく、「ものごとはどうなるかわからない」という無常の真理を認める勇気です。

 世界が狂っているのは、無常はウソだと思っているからです。しかし、無常でなければ生きていけないのです。細胞一個一個、無常だからこそ、やっと生きているのです。ならば全体もそうでしょう。何か安定した境地がほしいと、俗世間のなかで探すことほど極端な無知はありません。

 人に永遠の霊魂があるということほど、人を地獄に落とす嘘はない。安定願望はとても危ないのです。自分の家が火事になるはずがない、と思っている人は危険です。不安があるからこそ、人間は生き残っています。我々はいつでも、いまだかつて遭遇していない問題にぶつかります。常に気づきを持って、「この場合はこうします」と、日々の努力で具体的に生きることが必要です。

 祈祷したり、風水を気にしたり、そんなことで経済状態がよくなると思ったら勘違い。責任逃れです。壁紙の色で気分が悪くなったなら、ただ気分の問題だと思って、気に入った壁紙に変えてください。風水のうんちくは要りません。モノや観念に頼るのではなく、自分の判断能力で具体的に物事を見れば、不安な世の中で無事に生きることができるのです。