ジャータカ物語

No.36(『ヴィパッサナー通信』2002年12号)

カラスの話

Vīraka jātaka(No. 204) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、お釈迦さまの真似をした者について語られたものです。

長老たちがデーヴァダッタの仲間を奪還して帰ってきたとき、お釈迦さまはお尋ねになりました。「サーリプッタよ、あなたたちを見てデーヴァダッタは何をしたか?」「お釈迦さまの真似(※注)をして説法していました。」そこでお釈迦さまは、「サーリプッタよ、デーヴァダッタが私の真似をして破滅に至ったのは、何も今に限ったことではありません。前生においても、破滅に至ったことがあります」とおっしゃって、長老たちの求めに応じて過去のことを話されました。

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その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、ヒマラヤ地方の水鳥の胎から生まれ、ある湖のほとりに住んでいました。名はヴィーラカと言いました。

当時、カーシ国に飢饉がありました。人々は食べ残しをカラスの餌として与えることも、神霊などに食物の供え物をすることも出来ませんでした。ほとんどのカラスは飢饉の国から逃れて森の中へ入り込みました。

そのころ、バーラーナシーに住む、サヴィッタカという一羽のカラスが、雌のカラスとともに、ヴィーラカの住んでいるところにやってきて、その湖の片隅に住みかを作りました。彼がある日その湖で餌を探していると、ヴィーラカが湖に降りてきて魚を食べ、再び出てきて身体を乾かしていました。それを見てサヴィッタカは、「あのカラスに頼って、私はたくさんの魚を得ることが出来るにちがいない。あのカラスに仕えよう」と考えて、彼に近づきました(彼は、水鳥のことを自分と同じカラスだと勘違いをしたようです)。ヴィーラカに、「なんの用ですか?」と問われて、「あなたにお仕えしたいのですが」と答えると「よろしい」と彼が承諾してくれたので、そのときから彼に仕えました。

ヴィーラカもそれ以来、自分に必要なだけを食べ終わると、魚をすくいあげてサヴィッタカに与えました。彼も、自分に必要なだけを食べると、残りを雌のカラスに与えました。そのうちに、サヴィッタカは高慢になって、「このカラスも黒いが、私も黒い。眼だって、くちばしだって、足だって、あいつのと私のとに何も違いはないのだ。これからは、あいつに魚をとってもらう必要はない。私が自分でとろう」と考え、ヴィーラカに近づいて、「これからは、私が自分で湖におりて魚をとりますよ」と言いました。「いや、あなたは水に降りて魚を取るように生まれついてはいませんよ。身を滅してはいけません」とヴィーラカに止められましたが、サヴィッタカはその言葉を聞き入れないで湖に降り、水中に入りました。しかし、浮かび上がろうとしても、水草をかき分けて出てくることが出来ず、水草のあいだにからまって、くちばしの先が見えるだけでした。彼はとうとう息が出来なくなり、水の中で事切れてしまいました。

一方、彼の妻は、彼が帰ってこないので、事情を知りたいと、ヴィーラカのところへやってきて、「サヴィッタカが見えませんが、いったいどこにいるのでしょう?」と尋ねて、第一の詩句を唱えました。

ヴィーラカよ
あなたは見かけたのですか
美しい言葉を語る
孔雀に似た頸を持つ
私の主人サヴィッタカを

それを聞いて、ヴィーラカは、「ええ、私は、ご主人のなれの果てを知っていますよ」と言って、第二の詩句を唱えました。

水中も陸上も自由に生きる
いつも生魚を食べる水鳥の
真似をしたサヴィッタカは
水草にからまり死に果てぬ

それを聞いて、雌のカラスは嘆き悲しんで、バーラーナシーへ帰って行きました。
お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときのサヴィッタカはデーヴァダッタであり、ヴィーラカは実にわたくしであった」と。

スマナサーラ長老のコメント

(※注)お釈迦さまの真似…デーヴァダッタは、お釈迦さまの義理の兄弟です。俗世間的に見るならば、お釈迦さまとデーヴァダッタは、ほぼ同じレベルの立場になるでしょう。釈迦族の他の親戚たちと共に出家したデーヴァダッタは、自分とお釈迦さまの間は、実際には天と地ほどの差があることを解りませんでした。仏陀の跡継ぎは自分しかいないと思いこんでいたのです。新米の比丘たち二百五十人を引き連れて、仏陀の代わりに指導していたのです。

仏道を歩む上で迷子になったこの比丘たちを連れ戻すように、サーリプッタ、モッガッラーナの両尊者にお釈迦さまが命じました。両尊者が自分のところにやって来るのを見たデーヴァダッタは更に高慢になり、仏陀の真似をして、自分が途中まで話した説法の続きをサーリプッタ尊者に任せたのです。そしてその、サーリプッタ尊者の真の教えを聞いて、新米の比丘達の目が覚めたのです。結果として、デーヴァダッタは仲間を失ってしまいました。

仏陀に対して激しい敵意を持っていた四人の比丘(コーカーリカ、カタモーラカティッサ、カンダデーヴィヤープッタ、サムッダダッタ)がいて、この四人と組んでデーヴァダッタが仏陀の威厳に対して攻撃していたのです。
この失敗に激怒したこの四人は、デーヴァダッタを激しく殴り、致命傷を負わせたのです。このように大失敗して全てを失ったデーヴァダッタは、その後病気に陥り、亡くなったのです。

この物語の教訓

見かけが似ていても、それだけで同じだと思うことは問題です。カラスと水鳥はかなり似ていますが、全く能力は違います。

世間でも、他人の真似をして不幸になる人が後を絶ちません。権力者の使用人たちは、自分も同じ権力を持っているような錯覚に陥り、不正を働いて、その権力者も道連れにして一緒に破滅するのです。才覚もないのに金持ちの真似をすると、破産するか自殺することで人生は終わるのです。善人の真似をするつもりが、犯罪まで犯して地獄に墜ちるのです。

他人の真似をしたがるのは、空っぽの人です。真似する場合は、必ず自分より優れている人の真似をするのです。ですから、表面的に似ていることは、無知で高慢な人に勘違いを引き起こすのです。

チャレンジするべきなのは、優れた人と表面的に似ることではなく、性格、智恵、能力などの中身で似るようにすることです。