ジャータカ物語

No.58(「パティパダー」2004年10月号)

幸運物語

Siri jātaka(No.284) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがコーサラ国、舎衛城近郊の祇園精舎におられた時のお話です。

祇園精舎を教団にお布施したのは、舎衛城のアナータピンディカ長者という大富豪です。長者は在家仏教徒として、生涯にわたって、毎日毎日、金に糸目をつけずにお食事や日常品のお布施をしつづけました。ある時、大金を貸した知人の舟が嵐にあうなどの不運が重なり、長者の財産が傾いたことがありました。それでも長者は全く気にせずに、毎日教団にお布施をつづけていました。財政を心配したアナータピンディカ家の守護神が、「今はお布施はやめてください」と言いました。長者はそんな言葉には全く従わず、それどころか、守護神を追い出してしまったのです。家を追い出された守護神は困り果て、帝釈天に助けを求めました。しかし、帝釈天でさえ、ブッダと親しいアナータピンディカ長者に意見できるほど偉くはありません。帝釈天は、「君は、早く長者の家に戻り、彼の財産を回復しなさい。そうすれば、許してくれるだろう」とアドバイスしました。守護神はその言葉に従って懸命に働いて、長者の財産を元に戻し、長者に許してもらいました。

そのように、貧乏になってもすぐにまた大金持ちになる長者を見て、あるバラモンが、「アナータピンディカ長者のところには幸運の神がいるにちがいない。客人のような顔をして訪問し、幸運の神を盗んで来てやろう」と考えました。このバラモンは幸運の神を見る能力があったのです。長者の家を訪ねたバラモンが「幸運はどこだろう」と見回すと、金の駕籠で飼われている真珠のように白い鶏の鶏冠に幸運の神がいました。バラモンは、「何とすばらしい鶏だ。私にはたくさんの弟子がいます。でもうちの鶏ときたら時間にルーズで、弟子達を起こさず、困っています。ぜひこの賢そうな鶏を私にください」と懇願しました。長者はサラッと「はい、どうぞ」と言いました。その言葉を聞いた幸運の神は、寝台の横に飾られた宝石の玉にパッと飛び移りました。バラモンは、あれこれ理由をつけて、宝石の玉をも懇願しました。欲のない長者が「どうぞ。それも、もらってちょうだい」と言ったとたん、幸運の神は長者の位を象徴する家宝の杖にパッと飛び移りました。バラモンは、またうまいことを言って、杖も、もらい受けました。すると幸運の神は、長者の第一夫人の額に飛び移ったのです。さすがの幸運泥棒も、奥さんをもらいたいとは言えず、「実は、私は幸運の神の相を知っています。今日は、幸運を盗もうと思ってやって来ました。ところが、幸運の神が宿ったものををもらい受けると、神はパッと他に飛び移ります。とうとう奥様の額に宿ってしまいました。いくら何でも奥様をもらい受けることはできません。私はあきらめました。やはりあなたのものは、あなたのものです」と言って、帰りました。

長者はこのことをおもしろく感じ、「お釈迦さまにお話ししよう」と思って祇園精舎へ行き、ブッダに礼拝して傍らに坐り、一部始終をお話ししました。ブッダは「長者よ、この度は幸運が他の者のところに行くことはなかったが、過去に、徳の少ない人の得た幸運が、徳多き人のところに行ったことがあった」と、過去の話をされました。

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンに生まれました。成長した菩薩はタッカシラーで学問を習得し、両親が亡くなると出家して、ヒマラヤで修行をしました。ある時、バーラーナシーに托鉢に来た菩薩は、善良な象使いに出会い、彼に請われるままに象使いの庭園に滞在することになりました。

ある夜、森で薪を集めていて城壁の閉門時間に遅れた一人の木こりが、しかたなく森の神殿の祠で薪を枕に寝ていました。神殿の大木には野生の鶏たちが住んでいました。鶏たちは仲が悪いらしく、上の枝の鶏が下の枝の鶏の背中に糞を落としました。下の鶏が「何でこんなことするんだ!」と怒るのもかまわず、上の鶏はまた下の鶏に糞をかけたのです。怒った下の鶏が「聞いて驚くな。俺を殺して焼いて食べると、次の朝千金を得られるんだぞ!」と大声を出すと、上の鶏は「お前、そんなことでいばるなよ。俺の太ももを食べると王になる。外側の肉を食べると男は将軍、女は第一王妃。骨つき肉を食べると在家者は大蔵大臣、出家者は国師だぞ」と自慢しました。それを聞いた木こりは、すぐに上の枝の鶏を捕らえて殺し、城門が開くのを待ちかねて家に帰り、妻に鶏を料理させました。木こりは「まず沐浴して身体を清めてからこれを食べよう」と、鶏肉料理を壺に入れ、それを持ってガンガー河に行きました。木こりが沐浴していると、突然、高波が襲いかかり、壺をさらって、木こりを溺れさせました。木こりは、何とか水から逃れて、這々の体で家に逃げ帰りました。

波にさらわれた壺は下流に流され、象を沐浴させていた象使いがそれを拾いました。象使いは壺の料理を見て、行者に供養しようと思いました。菩薩の行者は、天眼によってこの一部始終を知り、象使いの家に行きました。そして、鶏肉料理を供養しようとした象使いに、「この肉は私が分けましょう」と言って、太ももの肉を象使いに、外側の肉を象使いの妻に与え、自分は骨のところの肉を食べました。そして、「あなたは三日後に王になるでしょう。そのことを心にとめておきなさい」と言いました。

三日後に、隣国の王が攻めてきて、城壁を取り囲みました。王は象使いに自分の服を着せて王に変装させ、「お前は象に乗って戦え」と命じ、自分は家臣に変装して戦場に出かけました。ところが王は、すぐに矢に射られて死んでしまったのです。それを知った象使いは、蔵から大金を取り出し、「金の欲しい者は前に出て戦え」と太鼓を打ち鳴らし、敵軍を蹴散らしてしまいました。

大臣たちは国王の葬儀を終えた後、王の座について協議しました。そして「王様は象使いに自らの衣を与えられた。象使いは勇敢に戦って勝利を得た。彼に王になってもらおう」と、象使いを王位につけました。象使いの妻は第一王妃となり、菩薩は国師となりました。

ここでブッダは過去の話を終え、詩を唱えられました。

財を集めることならば
能力を活かし、日雇いでもして
不運な人にもできること
しかし、財を享受することは
幸運な者にのみできる

他の人を乗り越えて
有徳者に冨は常に集まる
たとえ大不況においてさえ

そして、「長者よ、幸福な者とは善を行う者のことで、他のことではない。徳を積む人は、鉱山を持たなくても、宝石を得るのだ。

神々と人間が望むものをすべて与える宝がある。どんな願いであっても、かなえられる宝である。美貌、麗しさ、権力、地位などは望むまま。天輪王の幸福や天界の王の位さえ得られる。人間界の成功、天界のあらゆる楽しみどころか、涅槃の成就さえ、かなうのだよ。善友との深い結びつき、明知、自在性、真理の会得、解脱、弟子としての完成、独覚の境地など、ありとあらゆるものが得られる奇跡のような宝。その宝とは、善行為なのだ。ゆえに思慮ある者、賢者たちは、善行為を賞賛する」と説かれ、

鶏も、宝石も、杖も、妻も、
これらはただの幸運のしるし
清らかな徳を積む者を
幸運が決して離さない

とアナータピンディカ長者をほめる詩を唱えられてから、「王になった象使いはアーナンダであり、行者は私であった」と話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

金を儲けることはそれほど難しくない。人は、沢山金を貯めて金持ちの気分になりたいと夢を見るが、金持ちになるということは、決して困難な行為ではありません。少々頭を働かせて自分がおかれている状況を判断すれば、金を手に入れる方法はすぐみえて来る。

しかし、今の人にはそれも難しい。自由な発想はない。頭は固い。思考はワンパターン。知識は感情に抑えられている。自分の自由な発想で商いをしようとするのではなく、皆やっていることの真似だけをする。そうなると競争の原理が働くので、金が入らなくなる。自分がユニークな思考で商いをするならば、自分にとってのライバルはいないのです。それで安定した収入を得られるのです。

金持ちになりたいならば、才能なんか無くても良い。日雇いで文句も言わず黙々と肉体労働でもするならば、金ぐらいは入ります。その金を使わず貯めておけば金持ちなのです。

「財産があるか否か」と「恵まれているか否か」は別々な話です。飲まず食わず奴隷のように働いて億万長者になっても、人生は成功しているとは言えない。明るいとも言えない。恵まれている人こそ、楽しく、明るく、不安が無く、生きているのです。恵まれているということは、財産はその人に対して正しく機能しているという意味です。わかりやすく言えば、使わない、使えない財産があっても、意味がないということです。幸福になるどころか、命が狙われるかも知れません。

徳を積んでいない人は、財産を正しく使う気にはならない。使ってみようとしても間違った使い方をするので、全財産が無くなるのです。人は、善行為をして徳を積むことを、大事に考えた方が良い。有徳者のところに財産は勝手に揃う。使っても使っても、また揃う。布施をすることなどで徳を積む人は、他人に貢献しているのです。人の役にたつ生き方をしているのです。皆に協力しているのです。そのような人の足を引っ張ろうとは、誰も思わない。その人の財産を盗むことも、その人の商売を倒産させることも不可能です。不況のどん底にいても、有徳者には収入があるのです。

人は「どうすれば金が儲かるか」ばかり考えて悩んでいる。それは暗い思考です。金が入るどころか、ある財産も逃げてしまうのです。徳を積むことに専念すれば、財産は勝手に入ってくるものなのです。