ジャータカ物語

No.81(2006年9月号)

口が達者なカターハカ

kaṭāhaka jātaka(No.125) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時に、語られたお話です。

僧団の中に、偉そうに大きなことばかり言う比丘がいました。お釈迦さまは、「彼は過去でも口ばかり大きかった」と言われ、比丘たちに請われるままに過去の話をお話しになりました。

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバーラーナシーの大富豪でした。

ある時、菩薩の妻が身ごもり、息子が産まれました。ちょうど同じ日に、菩薩の家の女奴隷もまた、一人の男の子を産みました。奴隷の息子はカターハカと名づけられました。カターハカは主人の息子とまったく同い年だったので、主人の息子が読み書きを習う時に、石板持ちなどをして手伝いながら、共に学ばせてもらうことができました。成長したカターハカは、読み書きが巧みな、美しい男になりました。

奴隷でありながら教育があり、頭の切れるカターハカは、次第に菩薩の家の財産の管理まで任されるようになりました。しかし彼は、自分の奴隷の身分が不満でなりませんでした。

「ああ、おもしろくない。こんな生活はもうイヤだ。奴隷は、少しでも間違えば殴られる。食事は粗末なものばかり。俺はいつまでもこんなことしているもんか。なんとか奴隷の身分から抜け出すうまい道はないかなあ。…そういえば、ご主人様の知り合いに、跡取り息子のいない長者がいると聞いたことがある。確か地方に住んでいる長者で、息子はいないが娘が一人いるという話だった。何とかその家の娘婿になることはできないだろうか…」。

カターハカは、ある計画を考えました。得意の読み書きの能力を使って、地方の長者に手紙を書くことにしたのです。主人の便せんに適当な挨拶文を丁寧に書いてから、「実は、わが息子をあなたの家の婿(むこ)として差し上げようと思い、息子に手紙を持たせることにしました。我々が親戚関係になることは、両家にとってふさわしいことだと思います。どうぞ息子をそちらで入り婿にしてください。私もいずれお伺いいたします」と書いて、主人の印鑑を押しました。

カターハカは主人の家から好きなだけお金や衣服を持ち出して家を逃げ出し、地方の長者の屋敷を目指して旅立ちました。無事に地方の長者の家に着いたカターハカは、丁寧に挨拶をして、「私はバーラーナシーの長者の息子です」と名乗り、自分が偽造した手紙を長者に渡しました。地方の長者は、その手紙を読んでたいそう喜び、カターハカを一人娘と結婚させて、彼を跡取りとして自分の屋敷に住ませることにしました。

すっかり長者の息子になりきったカターハカは、偉そうに振る舞うようになり、出された食事には「つまらない田舎料理だ」と文句を言いました。そちらの衣服やお香などは「田舎くさいなあ」とバカにしました。

一方、バーラーナシーの長者の家では、奴隷が一人いなくなったということで、手分けして方々を捜させていました。ようやくある使用人が、カターハカが地方の長者の家で若主人になっているのを見つけました。彼はカターハカには何も告げずにすぐにバーラーナシーに戻り、主人に一部始終を報告しました。長者である菩薩は、「彼はしてはならないことをした。行って連れて帰ることにしよう」と、王に旅の許可を申請しました。王から許可を得た菩薩は、多くの従者を連れ、地方の長者のところへと旅立ちました。

「バーラーナシーの長者がこちらに来るために都を出発したそうだ」という噂が、カターハカの耳にも入りました。カターハカは青くなって、「ご主人様は、私を捕らえようとして、こちらに来るに違いない。これは逃げるしかないぞ」と慌てました。しかし、「いや待てよ。主人はとても優しい人だ。私が礼を尽くして謝ったら許してくれるかもしれない」と思い直しました。

それからというもの、カターハカは、ことあるたびに、「愚かな者は両親を敬うということを知らない。両親が食事をする時に敬礼もせず、自分も共に食事をするのは、礼を知らない者のやり方だ。私たちは、両親が食事をする時には、壺を捧げ、痰壺(たんつぼ)を持ち、お盆に水や扇をのせて、側(かたわら)に侍(はべ)るのだ。また、両親が用を足す時は、手を洗うための水入れをもって陰に控えているのだ」などと、奴隷の作法を息子の作法のように皆に話しました。菩薩が近くまで来たと聞くと、カターハカは舅(しゅうと)に、「父上様、実家の父があなたにお会いするために、すぐそこまで来ています。父上様には、家の方の準備をお願いいたします。私は贈り物をもって、父を途中まで迎えに行きたいと思います」と告げて、舅の承諾を得ました。

カターハカは、たくさんの贈り物を持って、多くの従者を従え、主人である菩薩の元へと向かいました。菩薩に会ったカターハカは、奴隷の礼をもって菩薩にていねいに敬礼し、贈り物を差し出しました。菩薩は黙っていました。それからのカターハカは、主人に対する奴隷の礼を尽くそうと、懸命に努力しました。菩薩に対する言葉遣いや立ち居振る舞いはもちろんのこと、菩薩が用を足すために天幕を張った便所に行くと手を洗うための水瓶をもって付き従い、おとなしく陰に控えていました。そのようにして菩薩の気持ちが和らいだのを見て、カターハカは他の者を下がらせてから菩薩の足元にひれ伏し、「ご主人様、どうぞお許しくださいませ。私はどうしても奴隷の身分から抜け出したかったのでございます。何でも言われる通りにいたします。どうぞ私の立場が失われないようにしてくださいませ」と懇願しました。カターハカの様子を見た菩薩は彼を憐れみ、「心配するな。私の方は別に困ることはないのだ」と言って、地方の長者の家に向かいました。

菩薩は地方の長者の家で、たいへんなもてなしを受けました。カターハカは常に気を配り、奴隷が主人になすべきことをするように努めました。ところがある時、菩薩がくつろいでいると、地方の長者が菩薩の横に坐り、「私はあなたのお手紙を拝見してたいへん喜び、娘をあなたのご子息に差し上げることに決めたのですよ」と話しかけました。菩薩は地方の長者の気持ちを損なわないように親切な言葉を返したので、地方の長者は満足しました。しかし、それ以降、菩薩はカターハカの顔を見るのが嫌になりました。

ある日、菩薩は長者の娘を呼んで、「娘よ、私の頭にシラミがいないか見ておくれ」と頼みました。彼女は菩薩の近くに来て、頭を梳(す)き始めました。菩薩は彼女に優しく語りかけ、「息子は、苦しい時も楽しい時も、あなたに親切にしていますか。二人は仲良くケンカせずに暮らしていますか」と訊きました。カターハカの妻は「あなた様のご子息に何の不満もありません。ただ、彼は都会育ちのため、こちらの田舎料理が気に入らず、不満を言われるので困っております」と答えました。菩薩は「娘よ、それは彼がしてはならないことだ。私が黙らせる言葉を教えよう。それをよく覚えておきなさい。彼が食事に文句を言ったら、その言葉を唱えなさい」と、ある詩を娘に教えました。菩薩はその後数日そちらに滞在すると、バーラーナシーに戻りました。カターハカは多くの贈り物を持って途中まで菩薩に従い、菩薩を送ってから地方の長者の家に戻りました。

菩薩が滞在していた間は奴隷そのままにおとなしくしていたカターハカは、菩薩が帰ると、とたんに態度が大きくなりました。ある時、長者の娘が数々のごちそうを用意して運ぶと、「また田舎料理か」と文句を言いました。長者の娘は、菩薩から教わったとおりに、詩を唱えました。

他(ほか)の国に来たからと
威張った言葉を語るなら
彼が戻って、破滅させよう
カターハカよ、食事をなさい

カターハカは、これはきっとご主人様が妻にすべてを教えたに違いないと思い、怖くなりました。彼は、それからは文句はひと言も言わないようになり、出されたものは何でもおとなしく食べるようになりました。

釈尊は、「カターハカは僧団で高言を吐く比丘であり、バーラーナシーの長者は私であった」と話され、過去の話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

出家社会ではよく現れる問題の一つを明確にしているところです。出家は皆同じ服装です。生活習慣も同じです。出家の仲間から見ても、在家から見ても、同等に見える。しかし、精神的な状態、仏教に対する理解、修行経験は、決して同じではないのです。大変立派で尊い方々もいるし、何の役にも立たない人もいる。何歳でも出家できるので、年をとって出家する新米の人も長老に見えてしまう。誰が指導者か、誰が尊敬に値するか、誰に教えてもらうべきか、見た目では全然わかりません。

これは、出家社会ではとても気をつけなくてはいけない問題です。目上の人を敬うべきという規則を守るように厳しく言われているのは、この問題を解決するためです。精神的に優れた人に導かれないと、誰一人も仏道では成長しません。在家の人々も、智慧のある、仏説に詳しい出家に導かれないと、心を育てることはできなくなるのです。

出家してから、尊い修行者の間で、自分には何の立場もないと気づく人もいる。それなら短距離で偉い立場になりたいと企(たくら)む人もいる。無駄話をしない、必要なこと以外語らない、サンガに頼まれないと在家に説法しない、指導を懇願された時以外修行者に説教しない、それが出家の生き方です。

腹黒い修行者はこの状況を悪用する。自分で進んで喋る。頼みもしないのに在家にアドバイスする。若い修行者にでしゃばって教えたりもする。仏教をあまり知らない人々は、この罠にはめられる。でしゃばりは出家には禁止です。ここまでは現世物語で言わんとしていることです。

言葉を巧みに使って人に迷惑をかけることについての仏教の見解は、カターハカさんのエピソードで読める。菩薩は、自分の息子と奴隷の息子を同等に育てた。それもまた仏教の立場です。しかしインドの社会制度は厳しい。社会では彼は奴隷以外の何ものでもありません。平等に育てられたカターハカが奴隷の格で仕事をし、一緒に勉強した同級生をご主人様として敬うのは苦しかったことでしょう。ただの奴隷として育てられたら、その苦労はなかったと思われます。家の坊ちゃまと同じレベルの学問を受けたカターハカが、自分の生まれを悔やんだのは、どうしようもないことでした。バラモン社会制度では、奴隷の身分からは抜け出せない。誰も知らない辺鄙(へんぴ)なところで高貴なカーストの家の養子になったら問題解決だと思ったところも、批判できません。しかしそれも、もしかすると叶わない夢でしたでしょう。彼は、とにかく偉くなりたいと必死でした。

身分はどうであれ、自分が生まれた家では平等に親切に面倒を見てくれる。それで満足できず、自分は他の奴隷より恵まれていることに気づかなかった。自分に相応しくない立場を欲しがって、不正な方法で目的に達したのです。

不正な方法で身分不相応の偉い立場に何としてでも立った人々が、その立場に相応しい仕事をこなせないのは当然です。現代の世界でも、資格も能力もないのにあれこれと不正的な工夫で責任ある立場にいる人々の行為からは、悪い嫌な結果以外、何も得られません。現代世界の貧困、争い、混乱、戦争等も、責任とリーダーシップを持つ資格のない人々が、金やマスコミなどの力を悪用してその立場に立つからだと言えるのです。

しかし仏教は、「悪人を倒せ、辞任しろ」と感情的に攻撃的に言い張ることが答えではないと言う。正義のために一人でも不幸になると、正義は成り立たないのです。カターハカに途轍(とてつ)もない心配をさせる。しかし、彼を不幸に陥れることはしない。その代わり、そのだらしない人を管理する技を、彼の奥様に教えてあげたのです。彼がわがままを言いたくなる度、奥様の詩句は、頭上に翳(かざ)された金棒(かなぼう)になる。行儀の悪い、権力欲が強い、わがままな権力者を潰すより先に、彼らを管理できる金棒を探すことです。そうすると、誰も不幸にならないのです。