ジャータカ物語

No.87(2007年3月号)

貪欲の使者物語

Dūta jātaka(No.260) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時に、貪欲について語られたお話です。

祇園精舎に、食べ物に対する執着が強く、「食」への欲からなかなか離れることができない比丘がいました。

お釈迦さまは、「比丘よ、君が食べることに対して貪欲であったのは、今だけではない。過去においても君は、食べることに対する気持ちがとても強かった。そのために君は、剣で頭を切り落とされそうになったこともあるのだよ」と言われ、皆に請われるままに、過去のことを話されました。

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はその国の皇太子として生まれました。

成長した菩薩は、タッカシラーに留学して数々の技芸を修得し、父王が亡くなると、父の跡を継いで王となり、国を統治しました。

菩薩は公正で立派な王でしたが、たいへんなグルメでした。あまりにも食べることを大事にしたために、人々から「美食王」と呼ばれるほどだったのです。

菩薩である王は、毎日、一食に十万両もかかるような贅沢なごちそうを、選りすぐりの料理人たちに作らせました。そして、人々にその食事ぶりを見せてますます福を増幅させようと、城の中ではなく、たくさんの人々が往き来する城門の近くで食事をするのを常としていたのです。

王の食事のため、城門の近くに、外から見ることができるような造りの、色鮮やかな宝石を散りばめ贅を尽くした世にも豪華な食事の館が建てられました。菩薩は、食事のたびに、白い傘をかざす黄金作りの玉座に座り、召使いたちに担がれて、華やかに着飾った美しい侍女たちと共に、にぎやかに城内から食事の館にやって来るのでした。

食事の館は、毎度毎度、その時のごちそうに合わせてさまざまな趣向が凝らされ、毎日見ている人々も目を見張るような飾り付けがなされました。たくさんの人々が、王の食事のたびにそちらに集まって、そのすばらしさに見とれました。豪華な料理の数々が、高価な美しい皿に華やかに盛りつけられて、広い食卓を埋め尽くすように並べられたのです。

ある時、ある男が、その豪勢な食事の様子を見ました。彼は、王に負けないほどの美食家でした。何よりもおいしいものに目がなかったのです。それまで見たこともないようなすばらしいごちそうを目の当たりにしたグルメ男は、自分もそのごちそうが食べたくて食べたくてたまらなくなりました。どうしてもその欲を抑えられなくなった男は、あれこれと思い巡らしたあげく、ある計画を思いつきました。

ある日の食事時、菩薩は、門のところの食事の館で、豪華で贅沢なごちそうをおいしそうに食べていました。いつものように、食事の館の周りは、老若男女たくさんの人々で混雑し、王の豪華な食事の様子をがやがやと見守っていました。城門の辺りはたいへんな賑わいだったのです。

するとそこに、グルメの男が立派な衣服を着て、両手をあげて大声をあげながらやって来ました。

「王様、私は使者でございます。私は使者でございます」と言いながら、近づいて来たのです。

当時、その国においては、「私は使者である」と言いながら歩く者に対して、人は必ず道を開けるという習慣がありました。ですからそこに集まっていた人々は、すぐに道を開けて彼を通らせたのです。グルメ男は「私は使者でございます」と言いながら足早に進んで来て、菩薩の前まで来たかと思うと、おもむろに、テーブルに並べられた皿の上から手で料理をつかみ、それを口にほうばりました。

それを見た王の家来たちは、「なんという無礼なやつだ、すぐに捕らえて首を切り落としてやろう」と気色ばんで剣を抜き、男を捕らえようとしました。

菩薩は、「この男を捕らえるな」と家来を制し、彼に「遠慮せずに、食べるがよい」と許可を与えました。

喜んだグルメ男は手を洗い、あらためて座に着きました。男のために皿が運ばれてきました。菩薩はその男の皿に望むままに料理を取らせ、豪勢な食事を思う存分食べさせました。

食事が落ち着くと、菩薩は、「友よ、汝は『私は使者だ』と申していた。いったい誰の使者なのか」とたずねました。

男は、「王様、私は欲の使者でございます。胃袋の使者でございます。貪欲が、私に、『おまえは行け』と命じ、使者として私をこちらによこしました」と言って、次の詩を唱えました。

それのためには、仇(かたき)にも
恨み忘れて乞うという
かの胃袋の、われは使者なり
叱るなかれ、戦車の主よ

昼も、夜も、若人(わこうど)は
その魔の下に、はせ参ず
かの胃袋の、われは使者なり
叱るなかれ、戦車の主よ

菩薩はその話を聞いて、「確かに、この男の言うことは真実である。すべて、生きとし生けるものは、胃袋の使者だ。生命は皆、欲の力によって行動している。欲は、実に、すべての生きているものを動かしている。この男はおもしろいことを言う」と思いました。

彼の言葉を気に入った菩薩は、次の詩句を唱えました。

バラモンよ、汝に与えん、赤牛を
千の雌牛に、仔牛も添えて
使者は、使者に、与えるものなれば
確かに、われらは、その使者なり

このように唱えて、菩薩である王は、「余は、この男から、今までに聞いたことのない話を聞くことができた」と言って喜び、彼に多くの褒美を与えました。

お釈迦さまは、この話をした後、四つの真理についての法話をされました。その法話を聞いた食に貪欲な比丘は、不還果(ふげんか)の悟りを得ました。法話を聞いていた他の比丘たちも、預流果(よるか)や一来果(いちらいか)、不還果の悟りを得ることができました。

お釈迦さまは、「その時のグルメ男は食に貪欲な比丘であり、美食王は私であった」と話されて、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

テレビのどのチャンネルを回しても、ほとんど料理番組かグルメ番組です。きっと視聴率がとれるのでしょう。人気のない番組は、コマーシャルが入らず打ち切りになりますから。スタジオで撮影する料理番組の他に、各地方で高級レストランの料理を紹介する番組もあります。これでは物足りない。一般の人々の家を突然攻撃して「となりの晩ご飯」を紹介します。日本は平和な国だから、事前の打ち合わせもなく突然訪ねても大丈夫ですが、アメリカなら撃ち殺されるか、裁判にかけられ賠償金を払うはめになるでしょう。

料理番組を見る視聴者は、①豪華な料理を見て楽しむ、②自分も紹介されたレストランに行って食べてみようと思う、③見栄を張るための派手な料理番組ではなく、簡単で美味しい料理を紹介する番組なら「今日の晩ご飯のおかずにしましょう」とする。ここまでは大丈夫です。しかし、健康の問題でごちそうを食べられない人々は、どんな気持ちで番組を視聴すればよいのでしょうか。落ち込んだり腹が立ったりするならば、病気も悪化する可能性があります。

「一とは何ですか? 一とは、一切の生命は食によって支えられていることです」これは釈尊が、子供ながら阿羅漢に達したある沙弥に出した質問と、その沙弥の返事なのです。肉体は物質的な栄養で常に修理修復しないと壊れるものです。人の食事も一日三回と思っているが、身体は絶えず栄養を摂っているのです。大げさに言えば、我々は食べていない瞬間はない。だから何、と思えるでしょう。身体はいかに脆くて壊れやすいか、いかに簡単に死に至るものかと思えば、冥想になるでしょう。愛着が薄れていくでしょう。

他人の豪華な食べ物をテレビモニターで見て、妄想を膨らませて欲を満たすことは、危ない橋渡しです。やらせが無ければ番組は成り立ちません。作った料理が美味しくなくても、出演者は涙まで流して「美味しい」を演じるのです。本物でない作った世界をモニターで見る人々は、それに注意しないといけないのです。また、自分でもそのごちそうを食べたいと思うと、様々な問題が起こる可能性もあります。普段自分の日常の食事習慣に満足しているのに、料理番組のせいで不満を感じる可能性もあります。それは、余計な苦しみになります。食べ物は、一方的に良いとは言えないのです。命を支えるのは確かです。しかし、病弱にするのも早死にさせるのも、食べ物なのです。ですからブッダは、「食事の量を知る」と明確に戒めているのです。

このジャータカ物語の菩薩は、ブッダの性格と反対のようです。グルメなのです。それも派手なこと、国民皆に自分の食べっぷりを見せたがるのです。菩薩のわりに、どうしようもないのです。ジャータカ物語の基本的な筋は何でしょうか? 例え菩薩だといっても普通の人間と同じく、弱いところもだらしないところも悪いところもあるのです。しかし、何かすばらしいところもあります。そのような菩薩が、じわじわと修行が進んで人格を向上して行って、やがて完全たる悟りをひらくのです。我々を「がんばれ」と励ましているのです。

菩薩の王が、自分の贅沢ぶりを国民に見せたかったのはなぜでしょう。恐らく、政治的な対策だと思います。王様はとても豊かで、財産はいくらでもあるのだと思うと、国民は安心します。敵に攻撃されても、経済力があるからすぐ退治してくれるだろうと思います。また、ごちそうを食べたり遊んだりすることに興味を抱くと、国民は互いに憎んだりケンカしたりする気持ちもなくなります。暴動、反乱を起こすことも考えず、皆で楽しもうではないかと思います。戦争しないなら、軍事力にお金をかけないなら、どんな国でも豊かになるものです。菩薩は自分の派手な生き方で国の政治の安定を図っていた可能性もあります。

 

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