ジャータカ物語

No.95(2007年11月号)

ティッティラ鳥物語

Tittira jātaka(No.319) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがコーサンビー近郊のパダリ園におられた時に語られたお話です。

パダリ園に行かれる前のこと、お釈迦さまはアーラギ国の近くのアッガーラヴァ廟(びょう)で法話をされました。そちらにはたくさんの人々が集まっていました。日が沈み辺りが暗くなるにしたがって在家女性信者や比丘尼たちは帰途につき、後には男性信者と比丘方だけが残りました。お釈迦さまの法話は夜更けまでつづきました。法話が終わると長老方は自分たちの居所に戻り、他の人々はそこでそのまま休みました。大勢の中には、イビキを掻いたり歯ぎしりをする者もいて、夜中に起きる人々もいました。その様子を誰かが釈尊にお話ししたところ、釈尊は、「比丘は具足戒(ぐそくかい/比丘が受ける戒律)を受けてない者と同宿してはならない」という戒を定められ、コーサンビーに行かれました。

その頃、まだ出家したばかりで沙弥であったラーフラ尊者には自分の宿坊がありませんでした。ブッダを深く尊敬する比丘たちは、ブッダの息子であるラーフラ尊者を快く自分の宿坊に泊めたので、何の問題もなかったのです。ラーフラ尊者の寝床や枕を作るために自分の衣を貸す比丘もいたぐらいでした。ところが新しい戒律を犯すことを恐れた比丘たちは、「ラーフラよ、ブッダは新しい戒を定められた。あなたは自分の寝るところを見つけなさい」とラーフラ尊者が自分の宿坊に泊まるのを断りました。

賢いラーフラ尊者は、「私の父だから」と釈尊のところに行くこともなく、「私の師だから」とサーリプッタ尊者のところへ行くこともなく、「私の伯父だから」とアーナンダ尊者のところに行くこともなく、釈尊の厠(かわや)に、まるで梵天の宮殿に入るようにして入り込み、そちらに泊まりました。お釈迦さまの厠は、戸は堅く閉ざされ、香が焚かれ、床はきれいに掃除が行き届き、香りの縄、華曼の縄で繕われ、夜もずっと灯火が灯されています。とはいえ厠には違いありません。ラーフラ尊者は、戒律を守ろうとして寝る場所を求めてそこに泊まったのです。

ラーフラ尊者は子供の頃から道徳心が高く、よく戒を守りました。時々、比丘方は、ラーフラ尊者を試そうと、ラーフラ尊者が来るのを見かけるとわざと手箒やちりとりを外に放り投げ、「友よ、誰がこれを放り投げているのですか」「さあ、ラーフラがこの道を通っていたが」と言ったりしました。ラーフラ尊者は、「尊師、私は手箒やちりとりなど知りません」とは言わず、「尊師、すみません」と詫び、それらを片づけました。彼はそのように、よく戒めを守る、徳のある子供でした。

釈尊は、夜明け前に厠の入り口に立たれ、中の気配を感じて咳払いをされました。すると、中にいるラーフラ尊者も咳払いをしたのです。釈尊が「誰かいるのか」と尋ねると、彼は「ラーフラです」と外に出て、ブッダに敬礼しました。「ラーフラよ、なぜこんなところにいたのか」「寝るところがなかったからです。比丘方は私に自分の宿坊を探すようにと言われました」。

釈尊は、「比丘たちは、私の息子であるラーフラでさえ、このように遇している。他の者を出家させたなら、どのようにすることだろう」と正法のために憂いを感じられ、陽が昇ると比丘たちを集めさせました。そしてサーリプッタ尊者に、「サーリプッタ、ラーフラの宿舎がどこにあるのか知っているか」と問われました。「世尊、私は存じません」「サーリプッタ、ラーフラは、私の厠で寝ていた。サーリプッタ、お前たちは、ラーフラでさえこのように見捨てて放っている。他の者を出家させたら、その者はどうなるだろう。このような調子では、仏道に出家した者は、こちらに留まることがないだろう。これからは、まだ具足戒を受けてない者であっても、一、二日は自分の宿坊に泊まらせなさい。三日目には宿坊を見つけてやって、そちらに泊まらせるようにすればいい」と、新しい戒を定められました。

比丘たちが法話堂でラーフラ尊者の徳について話していました。「友よ、ラーフラは実に道徳のある者だ。自分の宿坊を探せと言われて、私はブッダの息子だぞと言い返すこともなく、ひとり静かに厠で寝ていたのだ」。そこに釈尊が来られて皆の話題をお訊きになり、「比丘たちよ、ラーフラは、過去においても、学への志を懐き、自分の罪を省み、道徳を守ろうとする者であった」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンの家に生まれました。タッカシラーで学んですべての技芸を身につけた菩薩は、出家して山に入り、熱心に修行して神通と禅定を得、出家の楽を享受しつつ楽しく森林で暮らしていました。

ある時、菩薩は、生活に必要なものを得るために森を出て村里に下りました。菩薩の立ち居振る舞いを見て信仰心を起こした村人たちは、村の近くの森に茅葺きの小屋を建て、そこに住んでもらうようにお願いしました。菩薩は承諾し、その庵(いおり)に滞在することにしました。

その村に一人の猟師がいました。彼は一羽のティッティラ鳥を捕らえて鳴くように仕込み、籠の中に入れて飼っていました。猟師はそのティッティラ鳥を森に連れて行って鳴かせました。その鳴き声で他の鳥たちをおびき寄せ、多くの鳥たちを捕らえたのです。

ティッティラ鳥は「僕のために僕の仲間たちがたくさん捕らえられて死んでしまう。これは僕の罪だ」と思って鳴かなくなりました。鳥捕りは、声を出さないティッティラ鳥の頭を竹の鞭で殴りました。ティッティラ鳥は苦しさに耐えかねて声を出しました。こうして猟師は、ティッティラ鳥を無理に働かせて生活していたのです。

ティッティラ鳥は、「僕が声を出さないと皆は来ないだろう。僕が声を出すから、皆、やって来るのだ。この人は、それを捕らえて命を奪う。僕には仲間たちが死ねばいいという気持ちはまったくない。けれども、僕に罪がないと言えるわけがない。悪業の果は僕に還ってくるに違いない」と考えました。そして、「誰かこの業から救ってくれる人はいないだろうか」と、賢者に会うことを待ち望んでいました。

ある日、猟師は森に出て、たくさんの鳥たちを捕らえて籠に入れ、疲れて喉が渇いたので菩薩の住む庵に立ち寄りました。猟師は、ティッティラ鳥の入った籠を菩薩のそばに置いて水を飲み、そのままウトウトと眠ってしまいました。ティッティラ鳥は、やっと待ち望んでいた時が来たと、籠の中から菩薩に詩句で問いかけました。菩薩も詩句で答え、互いに次のような問答を交わしたのです。

(ティッティラ鳥)
われ安楽に日を送り、
食うものに不自由なし
しかるに、われ、罠に落ちるべきところにおり
尊師よ、わが赴くところはどこぞ 

(菩薩)
鳥よ、もし汝(なんじ)がこころ
悪しき行いに傾かず
悪しきこころざしなく、こころ善きものは
罪に汚るることなし

(ティッティラ鳥)
わが仲間おりと思いて
多くのものつどい集まる
わが罪業の報いありや
わがこころはこれに惑まどう

(菩薩)
汝がこころ、汚れあらずば
汝、業の悪果を得ることなし
悪に無関心で、こころ善きものは
罪に汚るることなし 

菩薩の教えのおかげでティッティラ鳥の疑は晴れました。鳥捕りは目を覚まし、菩薩を礼拝し、鳥籠を抱えて去りました。

お釈迦さまは、過去の話を終えられ、「その時のティッティラ鳥はラーフラであり、庵に住む行者は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

寝るところもなく、子供が外で夜を過ごすのは、たいへん危険なことです。比丘たちは、ラーフラ尊者をとても大事にしていたのです。しかし比丘たちは、比丘戒を受けていない者と一緒に眠って夜明けを迎えてはいけないのです。もし寝ないでいるならば、一つ屋根の下にいてもかまわないのです。先輩の長老たちの戒律を無視して、わがままでどこかに強引に入って寝ることは、ラーフラ尊者はしなかったのです。苦労してでも戒めを守っていたのです。様々な言い訳をして道徳を破る人々は、賢い人間ではなく、理性に欠けたわがままな人々なのです。

道徳・倫理は、守るよりは破るのは簡単です。正しく生きていようとすると、結局は仲間からも見放されます。欲に溺れて気楽に悪いことをして生活する人には、いくらでも仲間が寄ってくるのです。みな人気者になりたいから、道徳・倫理を無視するのです。悪人の人気者になることも悪行為です。悪行為は悪果をもたらすのです。世間の悪さにみな嘆いていますが、それは道徳・倫理を無視することの結果であると認めたくはないのです。

道徳的に生きる人は、複雜な社会現象に遭遇します。われわれが生きている世界は、どう見たって悪に染まった世界なのです。わがまま、不公平、弱肉強食、裏切り、嘘つき、だまし、などばかりです。しかし「みんなやっているから、私もやる」という論理は成り立たないのです。アマゾンにひとりで生活するような気分で、自分を悪から守らなくてはならないのです。罪を犯さないで生活したいと思う人は、猛獣がいっぱいいる森の中でひとりで生活するようなものだと思った方がよいのです。

ティッティラ鳥は自分の仲間に損害を与えたくなかったのです。しかし、殴られるから、鳴かずにいられなかったのです。その鳴き声を聞いて寄ってくる鳥たちは、みな捕まえられたのです。無理やりに強引に脅迫されて悪いことをさせられても、清浄なこころを失わない場合は、罪にならないということです。

 

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