ジャータカ物語

No.96(2007年12月号)

忍耐を説く行者物語

Khantivādi jātaka(No.313) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時に、一人の怒りっぽい性格の比丘に語られたお話です。

昔々、バーラーナシーでカラーブ王が国を治めていた頃、菩薩は八億の財産を持つ資産家のバラモンの家に生まれました。成長した菩薩はタッカシラーで学芸を修めた後、自分の家庭を持ちました。その後、菩薩の両親が相次いで亡くなりました。両親の死後、多くの蔵に莫大な財産が蓄えてあるのを見た菩薩は、「私の両親はこれほどの財を蓄えながら、何も持たずにあの世へと旅立っていった。これは私が持ってゆくのがよいだろう」と考えました。菩薩は財産を詳しく調べ、布施の功徳を積む者として、それを受けるにふさわしいところに適宜に分け与え、自分は出家して何も持たずに雪山に入り、果物や木の実で命をつないで熱心に修行を積みました。

それから長い年月が経ちました。ある時、菩薩は塩や酸味のものを得るために山を出て、人里に下りました。菩薩がバーラーナシーで托鉢をしていると、バーラーナシーの軍師が菩薩を見かけ、その立ち居振る舞いに感心して菩薩を家に招き入れ、自分のために用意してあった食事をお布施しました。軍師は、菩薩がお城の御苑に住むように便宜を図りました。

ある日、カラーブ王は、酒をたくさん飲んで酔っぱらったあげく、多くの侍女たちや歌姫、舞姫たちを引き連れて御苑に繰り出しました。王は、平らな吉祥石の上に臥所(ふしど)を設けさせ、一人の気に入りの侍女の膝を枕に横たわり、女たちに歌い踊るように命じました。技芸に秀でた官女たちがさまざまな楽器で妙なる楽曲を奏で、美しい歌姫たちや舞姫たちが歌い踊るさまは、あたかも帝釈天の住む天界のようでした。そのうちに王は、良い気持ちになって、ぐっすりと寝込んでしまいました。王が眠ったのを見た女性たちは、演奏や踊りをやめ、琵琶や太鼓などの楽器をそこに残して御苑の散策に出かけ、花を摘んだり、木の実を拾ったり、笑いさざめきながらぶらぶらしていました。

ちょうどその頃、菩薩は、御苑にある満開の沙羅の樹の下で、出家の楽を味わいつつ、満ち足りた象のように堂々と坐っていました。菩薩を見つけた女性たちは、「皆さん、沙羅の樹の下に、立派な出家者が坐っておられます。王様がお目覚めになるまでの間、何かお話しをお聴きしましょう」と言いあって、菩薩の近くに来て菩薩を礼拝し、「どうぞ、何か私達にふさわしい、良いお話しをお聴かせください」とお願いして、菩薩を取り囲んで腰をかけました。菩薩は彼女たちのために、法を説き始めました。

その頃、王を膝に乗せていた侍女が膝を揺すり、王は目を覚ましました。周りに誰もいないことに気づいた王は、「女たちはどこに行ったのだ」と不機嫌になりました。彼女たちが菩薩の話を聴いていることを知った王は、たいそう腹を立て、「悪党の悪徳行者め、思い知らせてやる」と、刀を持って菩薩に近づきました。

女性たちは、刀を携えた王が血相を変えて近づいてくるのを見て青くなりました。何人かの王の気に入りの侍女たちが、王の手から刀を取って、王をなだめようとしました。

菩薩の傍らに立った王は、「沙門よ、おまえの説く教えとは何か!答えよ」と怒り声で詰問しました。「大王様、私は忍耐を説く者です」「忍耐とはどういうものだ!」「ののしられたり叩かれたり、ひどい目に遭わされても、怒りの心を起こさないことが忍耐です」。

それを聞いた王は、「では、おまえに忍耐があるかどうか調べてやろう」と、首切り役人を呼ばせました。首切り役人は、斧と棘(とげ)付きの鞭(むち)とを携えて、黄色の衣服を着、赤い花輪を持ってやって来ました。彼は王にうやうやしく挨拶をして、「大王様、ご用はなんでございましょう」と訊きました。「この盗人(ぬすっと)の悪徳行者を捕らえ、地べたに引きずり倒し、前後左右から二千回、その鞭で叩け」「かしこまりました」。

首切り役人は、王に言われた通りに菩薩を引き倒し、棘付きの鞭でさんざん叩きました。菩薩の外皮膚は破れ、内皮膚も破れ、肉が裂け、血が流れ出ました。

王は再び「おまえの教えとは何か!」と菩薩に尋ねました。菩薩は「大王様、私は忍耐を説きます。あなたは忍耐は私の皮膚の内にあるとお考えのようですが、忍耐は皮にはありません。あなたのご覧になることのできない、私の心の中にあるのです」と言いました。

菩薩が落ち着いているのを見た王は、ますます凶暴になり、「この悪徳行者の両手を切り落とせ」と命じました。首切り役人は、菩薩の手を台に乗せ、斧で菩薩の手を切り落としました。王は「両足も切れ」と命じました。役人は、両足を切り落としました。菩薩の手足の先からは、壊れた壺から油が流れるように、どくどくと血が流れ出しました。

王は、再び菩薩に尋ねました。「おまえは何を説く者か!」「私は忍耐を説きます。あなたは、忍耐が、私の手足の先にあるとお考えでしょうが、そんなところにはありません。私の忍耐は、奥深いところに秘蔵されています」。

菩薩がまだ落ち着いているのを見た王は怒り狂い、「この者の耳と鼻をそぎ落とせ」と首切り役人に命じました。役人は、命じられた通りにしました。

全身血みどろになった菩薩に、王は再度「おまえは何を説く者か!」と尋ねました。「大王様、私は忍耐を説く者です。忍耐は耳や鼻の先にあるものだとお考えになってはなりません。忍耐は、奥深い心の中に秘蔵してあります」。

王は、「おまえのその忍耐にもたれて坐っておれ」と言って、足で菩薩の胸を蹴り、その場を立ち去りました。

王が立ち去ると、軍師が菩薩に駆け寄って菩薩の血をぬぐい、菩薩の体をできるだけ楽に坐らせて、切り落とされた手足と耳や鼻を清らかな布でくるみました。軍師は菩薩に礼拝し、「尊師、もしあなた様がお怒りになるのであれば、あなたに対して乱暴狼藉をはたらいた王様に対してお怒りになってください。どうか他の者には怒らず、お赦しくださいませ」と言って、詩句を唱えました。

あなたの手と足と
耳と鼻とを断ちたる者
大徳よ、その者にお怒りあれ
この国を滅ぼすことなかれ

これを聞いた菩薩は、次の詩句を唱えました。

わが手と足と
耳と鼻とを断ちたる者
彼の寿長かれ
われのごときは、怒ることなければなり

王が御苑を出て、菩薩の視界を離れた時、二十四万由旬(ゆじゅん/長さの単位)の厚さのある大地が、堅い布地のように裂け、アヴィーチ地獄(阿鼻地獄)から真っ赤な火が現れ、代々王家に伝わってきた赤い毛布でくるむがごとく王を包みこんでアヴィーチ地獄に吸い込みました。

菩薩はまもなく亡くなりました。たくさんの王の家来や街の人々がお香や花を持って集まり、菩薩の死を弔いました。その後、かの行者は雪山の方へ飛び去ったと噂する人がいましたが、それは事実ではありません。

過去の話を終えたお釈迦さまは、次の詩句を唱えられました。

その昔、忍耐を説く沙門あり
忍耐によりて安息に達しし彼を
カラーブ王は
無慚に断ち切りぬ
かかる極悪非道の行いの
報いは辛し
カラーブ王は地獄にて、
そをさとりたり

釈尊はつづけて四聖諦の法を説かれ、それを聴いた怒りっぽい比丘は、不還果の悟りを得ました。

釈尊は、「その時のカラーブ王はデーヴァダッタであり、軍師はサーリプッタであり、忍耐を説く行者は私であった」と言われて、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

忍耐について語るこの物語の教訓は明確です。仏教が道徳を語る時は、人々に言い逃れができないように説くのです。人間というのは面白い生き物です。自分たちの役に立つ、自分たちに幸福をもたらす、正しい生き方を教えてもらうと、何か言い訳をつけて反対方向へ行きたくなるのです。悪い行いなら、いくら注意しても、隠れてでもやってしまうのです。「そんなにも不幸になりたいのか」と訊くと、「不幸になんかは絶対なりたくない」と断言的に言う。しかし幸福になる道を教えると、その道を歩みたくない。制御不可能な機械のようなものです。

殺生してはならない、盗んではならない、邪な行為はいけない、嘘をついてはならない、などなど、昔から今まで教え続けている。しかし人間は、殺生するための理由、盗むための理由、他の悪いことをするための理由などを探すのです。「相手が悪人なら、殺すのは正しいのではないか」などなど、理屈を考えるのです。どう見ても、悪いことをするための言い逃れに過ぎないのです。

悪いことは絶対的に悪いのです。お釈迦さまの語られる悪行為は、そのようなものです。世間が言う善行為・悪行為は、「絶対的」という条件を満たしていないのです。お釈迦さまが言う悪行為は、止めたら幸福になるのは絶対的です。それでも人は言い訳をして逃げる。だから道徳を守るリミットを設定してあげるのです。このリミットの範囲で守ればよいのです。例えば「怒らない」という場合は、極悪人がノコギリで自分を生でガリガリと挽いている時でさえも、相手に対して怒ってはならない、と。

この物語で、何も悪いことをしていないのに鞭で打たれても、自分の鼻、耳、手足を切断されても、自分のこころの中で忍耐を実践するのだと、リミットが説かれているのです。これで、道徳はどこまで守るべきかと、簡単に解ると思います。人はいずれは確実に死ぬのだから、自分の命を守ることより、善行為の方に必死にならなくてはいけないのです。

 

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