ジャータカ物語

No.102(2008年6月号)

マイハカ鳥物語

Mayhaka jātaka(No.390) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の舎衛城(しゃえいじょう)近郊にある祇園精舎におられた時のお話です。

その頃、舎衛城に、億万長者の帰化人の豪商が住んでいました。彼はすごい金持ちでしたが、ひどくケチで、人に何かを与えたり、困った人を助けたりすることは決してありませんでした。それどころか自分にさえケチケチして、せっかくの財産を自分で楽しむこともしなかったのです。豪商は、家でおいしいごちそうが出ても喜ばず、古くて酸っぱくなった古米の粉粥を好んで食べました。よい香りのする高価な絹の衣服は奥にしまい込まれ、粗くてゴワゴワの粗末な織物を身につけました。駿馬に牽かれた金の馬車には乗らず、木の葉の傘に覆われたロバの馬車に乗るのでした。お布施や慈善事業などの善行為を一切せずに物惜しみの心で生きた豪商は、死後、ロールヴァ地獄に堕ちました。豪商には財産を継ぐ後継ぎがいなかったので、莫大な遺産も王に没収されることになりました。豪商の財産を城に運ぶためには、七日七晩もかかりました。

その騒ぎが収まると、コーサラ王は祇園精舎にお釈迦さまを訪ねました。王は釈尊に、七日七晩もかけて豪商の財産を城に運んだことをお話しし、「世尊、かの帰化人の豪商は、あれほどの財産を持ちながら、人には全く施さず、自分さえもケチケチ暮らし、鬼が蓮池に陣取ったように、財産を護って死んでしまいました。あれほどの貪欲非道の男が、なぜあれほどの財産を作ることができたのでしょうか。また、彼はなぜ、自分の財産を楽しもうという気が全く起こらなかったのでしょうか」とお訊きしました。釈尊は「大王よ、それは彼の過去の行いによるのです」と言われ、王に請われるままに過去の話をされました。

 

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、バーラーナシーに一人の豪商が住んでいました。彼は大金持ちでしたが、不信心で利己的な性格で、自分のものを人に分け与えたり、困っている人を助けたりすることは全くありませんでした。

ある日、豪商は、王様に用事があってお城へ出かける途中に、タガラシキンという名の独覚仏陀に出会いました。豪商は独覚仏陀に礼をして、「尊者、今日のお食事は召し上がりましたか?」と尋ねました。独覚仏陀は、「いいえ。これから托鉢に行くところです」と応えました。さすがのケチな豪商も、「聖者にはお布施しなければならないだろう」と思い、食事のお布施を独覚仏陀に申し出て承諾を得、「この方を我が家にお連れしなさい。私の席に座っていただいて、私のために用意してある食事をお布施するのだ」と下僕に命じました。

下僕は独覚仏陀を豪商の家に案内し、豪商の妻に主人の命令を告げました。妻は独覚仏陀を豪商の席に座らせ、数々のごちそうを独覚仏陀の鉢に満たしました。独覚仏陀はそちらでは食事を召し上がらず、そのまま豪商の家を退出されました。独覚仏陀が歩いていると、お城から家に戻る途中の豪商と再び出会いました。豪商は独覚仏陀に礼をして、「尊者よ、食事のお布施は受けられましたか」と訊きました。「はい、いただきました」と独覚仏陀は答えたのです。豪商は、どれどれと、独覚仏陀の托鉢の鉢の中を覗いてみました。

独覚仏陀の鉢の中に、さまざまなごちそうが入れられているのが見えました。しかしこの豪商には、そのお布施に対して心を喜ばして感動することができなかったのです。それどころか、「しまった。こんなごちそうをうちの召使いや使用人に与えたなら、骨の折れる仕事でも何でもしただろうに…。私は実にもったいないことをした」と、自分のお布施を後悔したのです。

ここで釈尊はコーサラ王に、「大王よ、布施というものは、次の三つを備えてこそ、大果があるのです」と言われ、次の詩句を唱えられました。

布施をする前に快くあれ
布施をするときには、こころ豊なれ
布施し終わりて、悔いるなかれ
さればわれらの幼子は死を免れん

与えようとするとき、こころ楽しく
与えるときには、こころ清く
与え終わって、こころ喜ぶ
これぞ正しき布施の極意なり

「大王よ、その豪商は先日亡くなった帰化人の豪商でした。彼は過去において独覚仏陀に布施をした徳のおかげで、多くの財産を得ました。しかし、布施の後で自分の心を汚した罪により、その財産を楽しむことができなかったのです」「世尊、では、彼に後継ぎがいなかったのは、なぜでございましょう?」「大王よ、それには次のような理由があるのです」。そしてお釈迦さまは、コーサラ王の求めに応じ、もう一つ過去の物語を話されました。

 

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は大長者の家に生まれました。若い頃に両親を亡くした菩薩は、家督を継いで、まだ幼い弟の面倒を見ました。菩薩は結婚して息子が生まれ、門の前にお布施堂を建てて多くの慈善行為を行いながら暮らしていましたが、欲の苦しみと出家の功徳を知って、幼い息子がようやく歩けるようになった頃に出家することにしました。菩薩は、妻と子供とすべての財産を弟に託し、布施などの善行を怠らぬように弟に言い聞かせてから、自らは出家して山に入りました。菩薩は修行に励み、神通力と禅定を得て、雪山で満足して住んでいました。

そのうちに菩薩の弟も結婚し、子供が生まれました。弟の心に、「兄の子がいると、将来、財産を二つに分けなければならない。そうならないように、今のうちに兄の子供を殺してしまおう」という邪悪な思いが起こりました。彼は菩薩の子供を川に連れて行き、川に沈めて殺しました。菩薩の妻は、一人で帰ってきた弟を見て、「私の子供はどうしたのですか?」と訊きました。彼は、「川で遊んでいて突然いなくなりました。懸命に捜したのですが、見つかりませんでした」と応えました。彼女は泣き崩れ、何も言うことはできませんでした。

菩薩は神通力でこのことを知り、空中を飛んでバーラーナシーに戻り、家の前に立ちました。かつて門の前に建っていたお布施堂は、影も形もなくなっていました。弟は兄が来たことを知って、急いで迎えに出て来ました。弟は菩薩に敬礼して家に招き入れ、さまざまなごちそうでもてなしました。食事が終わると、お互いに快く挨拶をしてから、菩薩は弟に訊きました。「私の子供の姿が見えないが、どこに行ったのか?」「兄さん、あの子は死にました。川で溺れたようなのですが、なぜそんな事が起こったのかはわかりません」

菩薩は、「愚か者、おまえが殺したことを私が知らないと思っているのか。おまえは、いつまでも財産があると思っているのだろう。しかし、そんなものは、いつ王などの権力者に没収されるかわかったものではないのだ。おまえはマイハカ鳥のような愚か者だ」と弟を厳しく戒めて叱り、菩薩の威厳をもって次の詩句を 唱えました。

マイハカという名の鳥が、山の洞穴に居た
ピッパラ樹の枝にとまり、
熟した果実をついばんで鳴く、
「マイハン、マイハン(わがもの、わがもの)」と

その声を聞いて他の鳥たちが集まり、果実を食い、去り行く
かの鳥はなおさら鳴き騒ぐ、
「マイハン、マイハン(わがもの、わがもの)」と
これのごとく、人ありて、多くの財貨を貯え

ふさわしい分配により他を助けることもなく
自分で衣食香花を楽しむこともない
彼、「マイハン、マイハン(わがもの、わがもの)」と泣き喚(わめ)いて、
財産を護るのみ

けれども、盗賊、国王、その後継者たちが、すげなく財を掠(かす)め去る
ゆえにかの守銭奴は、常に憂いて泣き止まず
賢者、もし財を得れば、これを他に分かちて惜しまず
この世で名声を得、死後も天上の楽を享く

菩薩は弟を戒め、布施などの慈善を再開させ、自分はヒマラヤに戻って禅定に入り、梵天界に生まれる身となりました。

お釈迦さまは過去の話を終えられ、「大王よ、その弟は帰化人の豪商でした。彼は、かつて兄の子供を殺した罪により、後継者を得ることができなかったのです。また、兄の出家者は私でした」とおっしゃって、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

私の財産、私の家族、私の仕事、私のコレクション、私の作品などなどと、人は誇らしげに言います。「私の」なら、鼻クソさえも気持ち悪くないのです。しかし、「私の」と言えるのでしょうか。「私の」ものなら、私以外、誰にも使えないはずです。「私」から、決して離れないはずです。影のように、どこへ行ってもついてくるはずです。実際は、「私の」家なのに、私が出かけたところで、どうなるかは解らないのです。火事になるか、地震で倒れるか、泥棒に入られるか、解ったものではありません。それでも人は、「私のものは私のものだ」と断言するのです。「私の身体」と言っても、身体が勝手に病気になったり、年を取ったり、衰えたりすることは明白です。ですから、私の身体さえも、事実をありのままに知る人にとっては、「私のもの」ではありません。

よく実る樹を見つけるマイハカ鳥が、その樹を自分の縄張りにしようとする。鳥たちが縄張りを作る時、鳴き声で印をつけます。マイハカ鳥のさえずりは、人間に「マイハン、マイハン」と聴こえたようです。マイハンとは、パーリ語で「私の」という意味です。マイハカ鳥が縄張りを主張するために、できるだけ遠くまで届くようにさえずると、それを聴いた他の鳥たちは、そちらにたくさん食べ物があると知ってしまうのです。四方から鳥たちが飛んできてその樹の果物を食べてしまうのですが、マイハカ鳥にはどうすることもできません。さらに声を上げて、「マイハン、マイハン」と鳴くばかりです。そうなると、さらに鳥たちが寄ってくるという皮肉な結果になるのです。

鳥たちは他の鳥たちに対して、「私の餌だから食べるなよ」とは思っていないかもしれない。しかし、人間が「私の」と言えば明らかに、他人には権利がない、取るなよ、使うなよ、という意味です。ここでは鳥よりも、人間のことが皮肉られているのです。

「与えること」は、生命にとって幸福に生きていくために必要不可欠な条件なのに、生命が絶対やりたくないものの第一は、与えることなのです。やりたいことの第一は、与えることの反対である、「取る、得ること」です。ですから、生命が不幸になることは、不可避の状況になっています。

与えることは必要不可欠だと言われたからといって、ただ与えればいい、ということでもないのです。与えること・布施について、仏教は詳しく教えています。受ける側が必要とするものを与えなくてはならない。いらないものを与えても、布施にならない。猫にミカンをあげたからといって、餌をあげたことにはならないのです。受ける人が道徳を守る善い人であるならば、与える行為の結果は大になります。テロ行為をする目的で隠れている人が、それを実行する前、食べ物がなくて飢えているとする。ごちそうを食べさせて、元気にしてあげたら、企んでいたテロ行為をして、たくさん人を殺すかもしれません。人々の幸福のために、自分のことを省みることもなく頑張っている人に必要なものを与えれば、その人はさらに他人の幸福のためにがんばるのです。

しかし、受ける側が道徳的か否かを調べてから与えると言うことだと、「与えたくはない」という気持ちになるのです。また、人のこころなんかは、解るものではありません。ですから、与える人が道徳的になって、自分のこころを清らかにする目的で与えるならば、たとえ相手が道徳的な人間でなくても、自分が受ける結果は大果になるのです。「私の、私の」とブツブツ言いながら生きることは、とても暗い生き方です。友人だけではなく、家族にも逃げられる存在になるのです。「私の」と思うこと自体が、人が無知である証拠です。それから、ケチ・物惜しみ、嫉妬、怒り、恨み、貪欲などが付いてきます。思考が不幸に陥る悪循環に入ってしまうのです。それを破る方法は、与えることなのです。

ですから、こころがきれいになること、人生が明るく楽しくなることを期待して、「与えたい」という意志を起こすことです。与える行為をする時は、とても楽しく行うべきです。それから、「与えることができた、楽しかった、うまくいった」などなどを思い出し、さらに楽しまなくてはならないのです。この三つの条件(与える前に楽しく、与える時楽しく、与えてからも楽しく)は、正しい布施行為の極意です。これならば、布施を受ける側の条件に問題があっても、布施する人は「絶え間なく楽しみがある」という結果を受けられるのです。しかし、布施の結果はそれだけに留まりません。布施によって、どこにどんな形で生まれ変わっても、生きるために必要なものがすべて揃う引力が、こころに溜まるのです。「自分のもの」というならば、これこそ自分のものです。しかし、お釈迦様が「自分のものは成り立たない」とおっしゃることは事実なので、布施により溜まる引力に対して、「相続」という言葉を使います。相続と言えば、何もしなくても、生まれただけでその権利を持っているのです。